砕けた歌、残されたひかり
第七十四章:石壁の記憶
ラティナは泣き疲れたのか、私にもたれたまま微かな寝息を立てていた。
その手には、ちぎれた羽飾りと、ほどけた糸が絡まったままの人形。
私は壊れた部分をそっと撫でながら、胸の奥に芽生えた痛みを噛みしめる。
――この子の沈黙には、きっと言葉で追いつけないほどの理由がある。
やがて扉が静かに開き、エリオがランプを手に入って来た。
彼は部屋を一瞥し、膝をついて人形を優しく受け取る。
「……教えてくれるかい?」
その囁きに、ラティナのまぶたが震えた。
ゆっくりと目を開いた彼女は、唇を噛みしめながら首を振る。
けれど、震える指先で床に文字をなぞりはじめた。
“ウタ”――そして、“イシ”――。
「歌と……石」
エリオがそっと読み上げると、ラティナは目を伏せ、何度も頷いた。
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第七十五章:砕けた歌声
その夜遅く、里の長老カムナが再び私たちを訪ねて来た。
ラティナは布団に横たわり、浅い呼吸を続けている。
「……あの子は、この里の“歌い手”の家系に生まれた」
カムナは低く語り始めた。
峡谷では、岩壁に声を響かせて天候を占う“共鳴歌”の文化があった。
ラティナの母はその歌い手で、娘にも澄んだ声が受け継がれていたという。
「三年前、岩壁の崩落で母親が下敷きになった。助けようと飛びこんだ父も……」
そのとき落石の衝撃と粉塵が歌い手の通路を封じ、ラティナは唯一声で助けを求めるしかなかった。
けれど救助が間に合った時には両親とも帰らぬ人となり、彼女自身も喉に深い傷を負った。
――声を張り上げるほどに、傷は広がり、やがて声は出なくなった。
「そこへ“癒し”を名乗る旅の術師が現れた。痛みを奪うと言って術をかけたが……」
術は喉の痛覚だけを麻痺させただけで、声帯の損傷は進行したまま。
さらに、一瞬でも母の歌を思い出すと激しい発声痛が走る“呪い”のような後遺症を残した。
「……だから彼女は歌を恐れ、言葉を閉ざしたのです」
私は唇を噛み、布団の端をそっと握る。
“癒し”と名乗る行為が、かえって深い絶望を刻んでいた――。
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第七十六章:ひかりの糸を紡ぐ
翌朝、私は壊れた人形を抱え、ラティナの前に座った。
針箱と布切れを広げ、ゆっくりと糸を通す。
「これ、ラティナちゃんと一緒に直したいんだ」
彼女は戸惑いながらも、そっと針を受け取った。
震える指先を私の指で支え、一本目の縫い目を導く。
――ぷつり。
小さな結び目が布を繋いだ瞬間、ラティナの瞳に淡い光が宿る。
私は静かに歌う代わりに、囁く。
「糸はね、切れたままでも捨てないで結び直せるんだよ。
歌も声も……結び直せる日がきっと来る」
ラティナは針を進めながら、かすかに笑った。
声にならない笑み。けれどそれは、確かに心が発した“音”だった。
エリオが外で待つ子どもたちを招き入れ、
「みんなで人形劇をやろう」と提案した。
小さな舞台、ぎこちない脚本、拙いセリフ。
だが、そのざわめきに紛れて――
私はラティナと一緒に、小さなハミングを口で鳴らす。
喉を締めつけない、ごくかすかな音。
揺らぐランプの灯に、人形の影が壁に踊る。
子どもたちの笑い声が重なり、
ラティナの肩がいつしか恐怖の硬さをほどいていく。
“癒し”はまだ途中。
けれど、結び直された糸の先で、
失われた歌が微かに震えはじめていた。