沈黙のなかの願い
第七十一章:言葉のない対話
ラティナとの初めての出会いから数日。
私は毎日、彼女の家の前まで通うようになった。
といっても、話をするわけではない。彼女は相変わらず一言も声を発さず、扉の隙間からじっとこちらを見つめるだけだった。
それでも私は、小さな布の人形を置いたり、森で摘んだ花を渡したりしながら、そっと問いかける。
「きれいなお花だよ。ねえ、ラティナちゃんは好きな色ってある?」
「今日は、森で小さな鳥が枝の上で歌ってたの。とってもかわいかったよ」
彼女から返事が返ってくることはない。でも、少しずつ変化はあった。
ある日は、扉の前に置いたお花が、翌朝には水の入った器に生け直されていた。
またある日は、人形の服に、丁寧に刺繍が施されていた。
言葉ではない、でも確かに“対話”があった。
それが、何よりもうれしかった。
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第七十二章:エリオの想い
ある夕暮れ。
私は癒し処に戻り、火を灯しながらエリオにその日のことを話した。
「ラティナちゃん、今日も言葉はなかったけど……人形に小さな羽の飾りをつけてくれてたの」
「それは……彼女なりの“ありがとう”だろうな」
エリオは温かい笑みを浮かべながら、そっとお茶を私のカップに注いだ。
「昔の俺なら、そんな些細な変化にも気づけなかったかもしれない」
「今のエリオは、たくさんの心の声を聞けるようになったよ」
彼は少しだけ照れたように肩をすくめた。
「でも、本当に心の声を引き出せるのは、りめるだよ。君が目を見て、何も否定せず、ただそこにいる……それがきっと、彼女にとっての救いなんだ」
私はふと目を伏せた。
「でも……あの子の沈黙の奥に、どれだけ深い痛みがあるのか、まだ何もわかってないんだよ」
「だからこそ、君は毎日通ってるんだろ?」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
癒すということは、傷を知ろうとすること。
わからなくても、寄り添い続けること。
その姿勢こそが、癒しの第一歩なんだと、私は改めて思い知らされていた。
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第七十三章:声にならなかった叫び
次の日、私はいつものようにラティナの家を訪れた。
けれど、その日は扉が閉ざされたまま、窓にも灯りがなかった。
「ラティナちゃん……?」
返事はない。
胸に小さな不安が芽生えたその時だった。
——かすかな嗚咽のような音が、家の奥から聞こえた。
私はためらいながらも、そっと扉を開けた。
そこには、床に座り込んで小さく肩を震わせているラティナの姿があった。
その手には、ぐしゃぐしゃに握りしめられた人形。
服の羽飾りは、破けてちぎれかけていた。
「ラティナちゃん……!」
私は駆け寄って、そっと彼女の手に触れた。
「大丈夫、私はここにいるよ……泣いてもいい、怒ってもいい。ラティナちゃんの気持ち、全部そのままでいいんだよ……!」
彼女は何も言わなかった。ただ、壊れた人形を抱きしめるようにして、声もなく泣き続けた。
それは、これまで閉じ込めてきた想いが、ようやく溢れ出した瞬間だった。
私も一緒に涙を流した。
この子が、どれほどの孤独と戦ってきたのか。
どれほどの悲しみを、言葉にもできずに抱えてきたのか。
ただ側にいて、何も言わず、彼女の涙を受け止めることしかできなかった。
でも、私は思った。
——これが、“癒し”の始まりだと。