訪れし影、試される光
第五十九章:予兆
癒し処の扉を叩く音が増え始めたのは、それから数日後のことだった。
子どもたちだけでなく、大人たちも少しずつ顔を見せるようになり、話す内容も次第に柔らかくなってきた。
「……今でも夢に見るんだよ。あの夜の火の中を」
「誰かに聞いてもらえるだけで、こんなに楽になるなんて思わなかった」
人々の“痛み”は確かにそこにあった。だが、誰かがそれを聞き、受け止めることで、少しずつ“痛みと共に生きる強さ”へと変わっていく。
エリオは静かにその場を見守りながら、時折、的確な言葉で人々の心に寄り添った。
かつて闇に呑まれた青年が、今は癒しを支える柱となっていることに、私は深い感動を覚えずにはいられなかった。
——でも、その空気に、ひとつの異物が混じったのはその夜のことだった。
「……りめる様、村の南の林で、何かが動いています」
報せに駆けつけた村の見張り番が、緊迫した声で告げた。
「夜の闇に紛れて、何者かが村の様子をうかがっているようです。獣の気配に似ていますが……ただの獣ではありません」
私はすぐに立ち上がった。
「行きましょう、エリオ。嫌な予感がする」
「……ああ」
⸻
第六十章:再会の牙
私たちは村の南端の林へと足を踏み入れた。風は止み、木々の間に張り詰めた空気が漂っている。
そして——
「……に、人間……?」
現れたのは、毛並みの荒れた獣型の魔物たちだった。
その数は五体ほど。けれど、かつて私が癒してきた魔物たちとは違い、瞳には深い警戒と敵意が浮かんでいた。
その中の一匹が、私をじっと見据える。
「お前が、“癒しの妖精”か」
「……あなたは?」
「……名乗る名など、必要ない。ただ、俺たちは確かめに来た。『癒し』というものが、どこまで通じるものなのかを」
魔物たちの体には傷があった。古傷ではない、新しく深い爪痕や火傷の跡。
「あなたたちは……誰にこんな傷を……」
「“あの夜”の生き残りだ。人間たちの火に焼かれ、森に取り残された。……仲間を、家を、何もかも失った」
彼の声には怒りではなく、深い、底なしの悲しみが滲んでいた。
「それでも、お前は“共に生きよう”などと語るのか?」
エリオが私の隣で静かに言った。
「……語るよ。俺たちも、お前たちと同じく、失った者だ。俺も、痛みに呑まれて、闇の中を彷徨った」
魔物の目が揺れる。
私は一歩前に出て、静かに手を差し出した。
「癒しは魔法じゃないよ。ただ“寄り添うこと”だよ。あなたが信じたくなるその時まで、私はここにいる」
魔物たちは互いに視線を交わした。
「……試させてもらう。“癒し”というものが、本当に届くのかを」
その言葉を最後に、彼らは林の奥へと姿を消した。
⸻
第六十一章:試練の灯
翌朝、村の水場の近くで小さな騒ぎがあった。
水桶を運んでいた少年が転倒しそうになったところを、ひとりの魔物が支えた——というのだ。
「お、襲われると思ったら……助けてくれて……」
少年の証言に、村はざわめいた。
「魔物が……助けた? 本当に?」
「嘘じゃない。目を見た。なんか、優しかったんだ」
私は胸がじんと熱くなった。
彼らは、本当に“試している”。自分たちの心が癒されるのかどうか、人間たちが変われるのかどうか。
「エリオ、これがきっと——」
「うん、最初の“答え”だな」
私たちは見上げる。
この村にまたひとつ、新たな光が灯った気がした。
争いの残響の中で生まれた、小さな信頼の芽。
それはまだ、壊れやすく頼りないけれど、確かに“希望”と呼べるものだった。