揺れる心、重なる願い
第五十六章:小さな癒しのはじまり
翌朝、私は村の片隅――使われなくなった倉庫の前に立っていた。埃まみれだったその空間に、村の古い椅子とテーブルを運び入れ、小さな看板を掲げる。
「りめるの癒し処」
——誰も来なくてもいい。
まずはここに、癒しの場所があることを伝えることから始めよう。
エリオは隣で掃除を終え、布巾で汗をぬぐいながら笑った。
「こういうの、少し懐かしい感じがするね。昔、自分で小さな診療所を夢見てたことがあった」
私は手を止めて彼を見つめた。
「エリオ……」
「その頃は、自分がこんな風に人と肩を並べて何かを作ってるなんて、想像もできなかったよ。でも今は、少し誇らしい」
私は笑みを返した。
「それは、あなたが誰よりも“痛み”を知ってるからだよ。だからこそ、誰かを癒す力になれるんだと思う」
そんな私たちのもとに、最初にやってきたのは、昨日の少年・リュカだった。
「……あの、来てもいい?」
「もちろん!」
私はすぐに席を整え、リュカを迎え入れる。
「今日はね、魔物の話じゃなくてもいいんだよ。好きなことを話して、ゆっくりしていってね」
リュカは少し照れくさそうに笑いながら、「うん」と頷いた。
こうして、“誰かの心が少しだけやわらぐ場所”が、村に生まれた。
⸻
第五十七章:拒絶と希望の間で
しかしその動きに、当然ながら反発の声も上がった。
「癒し処だと?そんなもの、何の意味がある!」
「癒す前に、あの時の傷をどうするんだ!」
町の広場では、何人かの村人が私たちの行動を厳しく非難していた。とくに強く声を上げていたのは、あの老人――ユランだった。
「私の娘と孫は、あの夜、魔物に焼かれて死んだ。なぜ私が、今さら癒されなければならんのだ?」
彼の言葉は、あまりにも重かった。
私には、その痛みに言い返す言葉がなかった。
「……あなたの悲しみは、私には到底量れません。でも、もし癒しが罪を許すことだと思っているなら、それは違います」
私はゆっくりと彼に向き直った。
「癒しとは、痛みを忘れることじゃなくて、痛みを抱えたままでも、もう一歩前に進むためのものなんです」
「偽善だ!」
彼の声が怒気を帯びたその時、ふいにリュカの声が響いた。
「でも、僕は癒されたよ」
広場に沈黙が訪れる。
「僕、ずっと誰にも言えなかったんだ。魔物が友達だったこと。でも、りめるさんに話して、初めて“信じてくれてうれしい”って思った」
リュカの瞳は真っ直ぐだった。
「僕は、その魔物のことをずっと忘れたくなかったんだ。だから、今は癒されてると思う。たとえ誰にも認められなくても、もう寂しくないから」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
でも、その“沈黙”は、怒りによるものではなく、心の奥に何かが届いた証だった。
⸻
第五十八章:癒しの灯が灯る時
その日の夜、私は癒し処の明かりをつけたまま、静かにキャンドルの灯を見つめていた。
エリオが、静かに言った。
「……今日のリュカの言葉、きっと誰かの心に残ったね」
私は頷いた。
「癒すことは、難しいね。でも、誰かの言葉が、誰かの心に届く。そういう“連鎖”が、世界を変えるんだと思う」
「僕も、変わったよ。りめるのおかげでね」
「それは、エリオ自身が変わろうとしてくれたからだよ」
私たちは静かに笑い合った。
窓の外では、星が瞬いていた。
その星のひとつが、ひときわ輝いて見えた。
——もしかしたら、あれはミレアが見ている星かもしれない。
「明日もまた、誰かの心に光が届きますように」
私はそう願いながら、キャンドルの灯を見守り続けた。