奪われた平穏
第十八章:動き出す影
アストリアからの来訪者が町を去った後も、彼らの存在は私の心に小さな影を落としていた。
——私の癒しの力を狙う人たちがいる。
この世界の厳しさを、私はまだ知らなかったのだと改めて感じる。
そんなある日の夜、宿で眠っていた私は、どこか遠くで小さな物音がしたのを感じて目を覚ました。
「……ん?」
窓の外は真っ暗で、町は寝静まっているように見える。
モコもベッドの隅で丸くなって眠っていた。気のせいかと再び目を閉じようとしたその時——
ガタッ。
再び物音がした。今度は明らかに近くで。
心臓が激しく鼓動を打つ。誰かが私の部屋の外にいる?
私はそっとベッドから降りて、足音を立てないようにゆっくり扉に近づいた。
「誰か……いるの?」
小声で問いかけるが、返事はない。
震える手で扉を少しだけ開ける。
廊下には誰もいない。ほっと息を吐いた次の瞬間——
「動くな」
背後から冷たい声が響き、私は息を止めた。
恐る恐る振り向くと、そこには黒いフードを深く被った人物が、私にナイフを突きつけて立っていた。
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第十九章:癒しの力を狙う者
「静かにしろ。騒げばお前も、この町の人間も無事では済まない」
フードの下から覗く目は冷たく鋭く、微塵も感情を感じさせない。私は声を震わせながら訊いた。
「あなたは……何が目的なの?」
男はナイフを僅かに近づけながら低く囁いた。
「お前の癒しの力だ。それを渡してもらおう」
「そんなの……できるわけない!」
私は咄嗟に拒絶したが、男の声は揺るがなかった。
「力を素直に差し出すなら、傷つけはしない。だが抵抗するなら、この町の人々がどうなるかわかっているだろう?」
その言葉に、私の胸が締め付けられた。
私はどうすればいいのだろう。癒しの力を失えば、この町を守れない。でも、私が抵抗すれば、町の人たちが傷ついてしまうかもしれない——。
その時だった。
「にゃあああ!」
突然モコが男に向かって飛びかかり、小さな牙を立てた。
「くっ!」
男は驚いて腕を振り払い、ナイフが床に落ちる。
「モコ!」
私はその隙にナイフを拾い上げ、男に向かって構えた。手が震えるが、それでも私は強く叫んだ。
「町の人を傷つけることは許さない!」
だが、男は薄く笑った。
「……甘いな」
次の瞬間、部屋の窓が激しく割れ、別のフード姿の男が中に飛び込んできた。
「きゃっ!」
突然の衝撃に私は転び、ナイフも手から滑り落ちる。
「りめる様!」
扉が勢いよく開き、町の青年たちが駆け込んできたが、フードの男たちは素早く窓から外へ逃げ出してしまった。
部屋は静寂に包まれ、私はただ震える体を抱きしめるしかなかった。
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第二十章:守りたいもの
翌朝、町の長は重苦しい表情で私に謝罪した。
「本当にすまない……りめる。この町で危険な目に遭わせてしまった」
私は首を振った。
「違います。私のせいで、この町に危険を呼び込んでしまったんです」
長は静かに私の肩に手を置いた。
「お前が悪いのではない。だが……これからどうするつもりだ?」
どうする……。私は自分の心に問いかけた。
逃げれば、この町の人たちはもう危険に晒されることはないかもしれない。でもそれでは、癒しを求める人たちを見捨てることになる。
私は深く息を吸い、静かに顔を上げた。
「……私はここに残ります」
長の目が驚きに見開かれた。
「危険だぞ?」
「わかっています。でも……私は私の癒しの力を必要としてくれる人たちを、見捨てたくありません」
町の長は黙ったまま私を見つめ、やがて深く頷いた。
「そうか。ならば、この町は全力でお前を守ろう」
私は胸の奥に、小さな勇気が灯るのを感じた。
モコが私の足元で、小さく頼もしく鳴いた。
——私には戦う力はない。でも、この世界に来てわかった。癒しの力はただ人を癒すだけじゃない。誰かを守る勇気や希望をも与えられるのだと。
だから私は決めた。この力を守り抜き、世界に平和をもたらすために戦い続けることを。
たとえどんな影が待ち受けていようとも——。