丑三つ時の秘め事
丑三つ時の秘め事
柄にもなく誘われたままで連れていかれた合コン。大学でこんな俺と仲良くしてくれているナタに泣きつかれたら行かざるを得なかった。それがこんな苦痛だとは思いもしなかったが。
飲みの席に着き、一時間半が経ち始めた。さすがの皆も酔いが回ってきたのか大きな声で談笑をしている。素直に言うならば帰りたい。それかへべれけに酔ってしまいたい。そう思い、矢継ぎ早にお酒を飲み進めるが一向に酔いは回らない。
「相変わらずお酒強いモナね」
「うん?あぁ、まぁな」
完全に出来上がったナタが全く会話に入ろうとしない俺に気を使って話しかけてくる。正直一人で飲む時以外で酔ったことなどない。一人で飲む時はそんなに量なくても酔えるんだがな。
周りの喧騒に耳を塞ぎたくなるような感情に蝕まれる。隣に座っているやけに肌を露出した女が折り重なって話しかけてくるが、俺はナタの言葉にしか応えなかった。それが癪に障るのか女は腕にしがみつき始める。
「ねぇ。ラディくん。私酔っちゃった……」
「……そうか。誰かに送って貰え」
「ラディくんに送って貰いたいなぁ。別に人のいない所で、でもいいけれど」
冷たく突き放してもいいがそれで自分の立場が危うくなるのはまた違う。なんと答えるのが正解だろうか。
「ナタ、こいつ酔ったらしいから連れて帰ってやれ」
「いいモナよぉ。じゃあお開きにするモナ」
ナタはそう言うと伝票を持ち、男性陣からお金を収集すると意気揚々とレジへと向かった。
フットワークが軽いというか、何も考えてないのか、それとも俺への気遣いなのか。俺が対処しきれない女問題に関してはすぐに助けてくれるのがナタの良いとこだ。
女たちのボソボソと不満の声があがる。
「お持ち帰りされたかったなぁ……」
「それ言ったら私だってそうよ」
「私はナタくんでも別にいいけどなぁ」
どうしてこういうヤツらは男と寝て既成事実を作る事しか考えないのだろうか。女も女なら男も男だが。生き物すべて生殖行為ばっかりに夢中になりすぎている事実に激しい嫌悪を抱くと同時に、吐き気が込み上げてくる。
「ラディ大丈夫モナか?」
「ん?あぁ、大丈夫だ。悪いな、いつも」
「それは全然構わないモナけど、ラディばっかモテるとナタとギルのメンツが……」
「俺は気にしてねぇぞ。いつもの事だしな!」
水色の毛並みを持つギルはしっぽをピンと立てて取り繕う。目つきの悪いギルだが、性根はナタよりも愚直で優しい。きっとこんな合コンよりも他の場面で良い女と結婚するのだろう。
「それにお前が女嫌いなのも知ってるしな」
「無理して誘ってごめんモナ。ラディが居ないと女の子たち集まってくれなくて……」
白い耳を垂らして謝罪の言葉を述べる。俺はその姿に罪悪感を抱き、ナタの肩を軽く叩く。
「いや、別に良い。お前らこそいつもありがとな」
「お、デレたな。珍しい」
「うるせぇな、さっさと女の子とホテルでも行ってこい。じゃあな」
「また月曜日に学校で!」
俺が二人に背を向けると、ナタの間の抜けた声が俺を見送った。
真っ暗な街路を歩く。時刻は既に二十三時を回っていた。
なんだかこのまま真っ直ぐ帰るのもつまらない。そんなことを珍しく考え、コンビニでチューハイ缶をまとめ買いする。
せっかくならば一人で夜桜でも見ながら呑み直そう。夜だが街灯はあるし、月も良く見える。
コンビニを出ると、早速缶を開ける。プシュッと爽やかな音が誰もいない道に響いた。
桜並木の川沿いを歩きながら酒を飲み始める。ふと路地裏の箱入りを思い出した。桜のピンクと箱入りの毛色が重なったのだろう。一度考え始めると会いたいという衝動に駆られてしまい、思考の全てが侵される。
左腕に付けている時計を見ると時刻は深夜一時過ぎ。この時間じゃいる訳がないし、どこか見えない所で寝ているだろう。そう自分に言い聞かせながら衝動を抑えようとしていたが、足は真っ直ぐにいつもの路地へ向かっていた。
こんな夜中に会ってどうする。下手なことをしてここまで築いた全てを失うなんて愚行だ。
脳みそだけは必死に拒絶するが、いつの間にかあの路地へ辿り着いていた。ゴミと汚物が散乱して、腐敗臭にも近しい香りを放つのがこの路地裏。
普段通りならばこの少し開けた場所に箱入りが座っている。淡い期待を抱きながら道を進んでいくが、物事はそんなに上手くいかないもので、そこには段ボールすら見当たらなかった。
「まぁ……そうだよな」
小さく独り言を呟いた。酒を飲んで少し浮かれてしまっていたのだろう。家に帰ろう。そう思い踵を返すと目の前に小柄なピンク色が立っていた。
「あら……?こんな時間になんの用かしら」
エメラルドグリーンの綺麗な両目をまん丸く広げ、きょとんとした顔を見せる。
「は、箱入りこそ、こんな時間に何してんだよ……」
「この時間帯が一番行動しやすいのよ。皆寝ているから、多少表に出てもバレないしね……。それよりもあなたこそこんな時間にわざわざここに来てどうしたのよ」
「いやな、夜桜見てたらここに来ちまってさ」
咄嗟についた嘘は嘘の役割をはたしていなかった。いつもならもう少し上手いこと躱せるのに。酒が回ってきたのだろうか。
返事をしない箱入りから目を逸らし手に持った缶の中身を一気に飲みきる。俺が作ってしまったこの雰囲気に耐えられなかった。
俺はその場にあぐらをかいて新しい缶を開ける。それに伴い、段ボールを持っていない箱入りが俺の隣にちょこんと座った。あまり意識したことが無かったが思っているよりも背が低くて、酷く華奢な体付きだった。
「ん」
「え?」
「せっかくだ、お前も飲めよ」
「飲んだことないんだけど……まぁせっかくだし頂くわ」
そう言ってプルタブを開けると流し込むように飲み始めた。酒だと言わなかっただろうか。……言ってなかったな。
飲み始めて十分程で俺の頭はふわふわとした浮遊感に捕らわれる。飲み屋で飲んだ酒がきたのか、はたまた今のこの雰囲気に飲まれているのか。
「あなた酒弱いのね」
「ん?なんでだよ。弱くねぇぞ」
「だってほら、顔真っ赤じゃない」
俺の頬を左手でペチペチと叩く。そして聞いた事のないような上機嫌な声でケラケラと笑い始める。
「お前だって弱いじゃねぇか」
「そんなことないもーん。あなたに比べたら何倍も強いわよ」
頬から手を離し缶に残った酒を流し込む。そしてまた新しい缶のプルタブを開けて飲み始めた。
「あ?お前可愛いな、ほれほれ」
箱入りの眉間に指をあてて、眉をひそめさせる。八の字になった顔はあまりにもブサイクで情けなかったが、それがやけに可愛くみえて仕方がなかった。
「何すんのよ」
手をはらいのけ、俺の顔を両手で包む。そして一等甘い声色を出した。
「貴方の方が何倍も可愛いわよぉ、もうほんとに可愛い」
全身から駆け抜けるように欲が湧き上がった。それは酷く衝動的なものでどんな偉人であろうと、聖人であろうと止めることの出来ない劣情。醜くて自分が世界で一番嫌ってきた欲。
気がついた時には唇を重ねていた。少し荒れっぽいガサガサとした唇。保湿もされていないためか触り心地の悪い毛並み。そんな事も気にならなかった。ただただお互いの欲を満たそうとしていた。
結果的にこれ以上の事は何もしなかった。
痛む頭と節々を抑えて起き上がると隣で箱入りが寝ていた。空には日が昇りかけている。
朝方の寒い空気に身体を震わせたあと、箱入りの頭を小突く。慌てて跳ねるように起き上がるが、こいつも二日酔いのようで頭を抱えてうずくまった。
「何これ痛すぎ……」
「何そこで寝てんだよ」
「貴方こそなんでこんなとこに居るのよ」
どうやら昨晩のことは何も覚えていないようだ。箱入りは昨日初めて酒を飲んだようだし、何より二人とも酔いすぎていた。
それに、あれを覚えていたら俺たちはもう後戻り出来ない。先に進むことも出来ない。今までの感情も、話した事も、何もかもを捨てなければならない。
「全く……。うぅ……頭痛い。寝直したいから帰りなさい。今日は相手出来ないわよ」
「お生憎俺も頭痛が激しすぎるからさっさと帰らせてもらうよ……。またな」
「えぇ、悪いわね」
頭を抑えながら物陰にある段ボールに入っていった。
正直な話会話をするのも辛い程に二日酔いが酷い。こんなになったのは初めてだ。路地裏を抜ける前に一度だけ振り向いた。段ボールに入っている箱入りが、伏し目がちに自身の唇を指でなぞっていた。