生と死の路地裏
3
いつ雨が降ってもおかしくないような暗澹たる雲行きの下で、俺と箱入りはぼぅっと空を眺めていた。
俺はこの天気が好きだった。子供の時は天気なんて関係無かったが、歳をとると曇りが一番動きやすいことに気がつく。昼間なのに薄暗いような雰囲気。どことなく湿気た雨の匂い。こんな国に住んでるんだ、天気に恵まれなくったって当たり前だろう。幸せなんて烏滸がましいんだよ。
「何難しい顔してるのよ」
隣から冷たく芯の通った声が俺に呼びかける。突然話しかけられ少しばかり驚いたが、それを悟られぬように平常に横を見る。
足元でダンボールに入りながらピンク色のしっぽを揺らす。エメラルドグリーンの澄んだ瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。
「あぁ。まぁ曇りが好きなんだよ」
「なんで好きだと難しい顔するのよ」
「お前は晴れが似合いそうなんだが、どんな天気が好きなんだ? 」
箱入りの質問に特に返答もすること無く質問をする。お互い答えたくないことは答えないのが暗黙の了解。
「え、えぇ。晴れは好きよ。けど夏は曇りの方が好きね。なにせ暑いとそれこそ死んでしまうもの」
理由はともあれ曇りも好きなのか。そんなくだらない事で喜んでいる自分がいた。
もしこの感情をさらけ出したらどうなるのだろうか。「俺と同じだ」「嬉しい」「やっぱり気が合うんだな」なんてな。
わかってる。この関係を崩すのはどうしても惜しいものがある。多分こいつは俺にそんな感情を向けられたところでなびくようなやつでは無い。むしろ嫌悪感を抱くかも。だって俺たちは。
そこで思考は途切れる。大通りから生臭い血の匂いが漂う。それは真っ直ぐにこちらに来ていた。
箱入りは慌てて箱を小脇に抱え物陰に隠れた。俺は何するでもなくその匂いの元を、目を凝らしながら見つめていた。
大通りに続く細道から出てきたのは俺と同じ種族だった。黄色いはずの毛色は所々赤黒い血に染まり、右手にはナイフを握っていた。どこからどう見ても異常者と言えるような風貌。瞳孔は開ききっていて興奮冷めやらぬ表情をしていた。
「なぁ。この辺に糞虫居なかったか?」
「……さぁ。俺は知らんね」
まるで犬のように斜め上を見て鼻を鳴らす。そのまま近辺を小さく回る。
「ん……?」
大量に積まれたゴミ袋の前で立ち止まる。目を細め下卑た笑みを浮かべた。
「ゴミに混じって薄ら臭うね。なぁ、本当に居ないのか?」
「……」
「居ないと思うならお前虐殺のセンスないから諦めた方がいいぜ」
「はぁ……。分かったよ、分かった」
俺は両手をあげて男に近づく。正直な話小馬鹿にされたのに腹が立った。それにプライドを持っているかどうかはいまいち分からないが、少なくともこの街の住人ほとんどに言ってはならない台詞ではある。
「バレちまったか……。悪いけどそれ俺が狙ってる獲物なんだよ。だから見逃してくれよ、な?」
努めて平常に、腹の底を探られぬよう話しかける。こういう類の生き物は人の心根を見据えるのが上手い。そして何よりもこういう男はどうにも好かない。同族嫌悪と言われればそれまでなのかもしれないが。
「うーん……」
男は顎に手を添えて悩む素振りを見せる。見た目だけ悩んでこそいるが、本心はもう決まっているだろう。卑しい目がこちらを見据える。
「まぁほら、お前さんもたっぷり楽しんだ後だろう?俺が楽しんでもいいじゃないか」
目と鼻が付きそうなほど近寄りズボンのポケットに万札を三枚ほど押し込む。俺が離れるとポケットを覗き込み数を数え、満足したように小さく笑った。
「ま、いいだろう。僕は他のところで獲物探してくるから。にしてもお前も変わったやつだな」
「うるさい。満足したならさっさと行け」
「へーへー。お前は典型的な人間嫌いだな」
そう吐き捨てると颯爽とこの場から出ていく。
単細胞な奴で良かった。俺は箱入りにバレないように安堵のため息を着く。
ゴミ山の後ろから辺りを見回しながら箱入りが出てくる。ゴミの匂いで多少誤魔化されるとお互い安堵しきっていたのが今回の敗因だな。そう心で後悔をしながらいつものように笑顔を貼り付けた。
「案外あっさりと居なくなったわね」
「ま、俺の手腕だな」
ケラケラと俺が笑うと箱入りも少し口角を緩めた。本人が一番不安だっただろう。命がかかってるんだ。誰だって死に直面したら頭がおかしくなる。その点この種族は毎日が命懸けだ。まぁこいつみたいな良しぃは別なのかもしれんがな。
「そもそも私が隠れる必要も無かった気もするけど……。まぁ念には念よね」
いつものように憎たらしい言葉を吐いているが、手が少し震えているのが見えた。
俺はそれを見ないふりをして淀んだ曇り空を眺めた。
「自分で言うのもなんなのだけど、彼女らよりも言葉だとか思考は普通だと思うのよね……」
自分に言い聞かせるように呟く。顔には出さないがやはり恐怖に耐えていたのだろう。いつもよりもやや口数が多い。
「箱入りだったら大丈夫だろうけど、中にはそういう良しぃを好んで殺るやつもいるからな」
「まぁなんでもいいわ。その時が来たら受け入れるしか無いからね」
「……」
諦めたような、自らを俯瞰して安堵するように言う。俺は何も言えずに灰色の空を見つめた。少なくとも虐殺者である俺たちが意見をすることなどお門違いにも程がある。
横目で箱入りの横顔を見つめる。手入れはされておらずボサボサの毛並み。綺麗なピンク色のはずが所々黒ずんでいる体。透き通るような水色の瞳。
「まぁでも……その、ありがとうね」
頬を赤らめ口を尖らせながら細い声を出す。突然のことにぽかんと口を開ける。あまりにも予想外な発言に俺は平常を振る舞うことを忘れていた。
返事をしない俺に、気まずそうにこちらを向く。表情を取り繕う間もなかった。慌てて箱入りと反対方向を向いて顔を隠す。
箱入り本人もいたたまれないのだろうか。もぞもぞと布とダンボールの擦れる音が聞こえる。なんだかそれがおかしくなり俺は息を声とともに吹き出す。
「これは明日槍でも降るな」
口元を押え笑いを堪えながら箱入りを見つめる。箱入りは頬を赤らめて眉間にしわを寄せた。
「一々面倒くさい人ね。貴方は」
そう憎たらしい口調で箱入りは笑った。空はあんまりにも雲が分厚く薄暗いと言うのに、なぜか箱入りの所だけはキラキラと輝いているようにも見えてしまう。影に潜んで生きている生き物のはずなのに。表で生きている俺の方がどうしてこんなにも不安定なのだろうか。やはり生きているという余裕が生み出す陰鬱さのせいなのかもしれない。
人間というのは実につまらない生物だ。これならばしぃ族のほうがよっぽど真っ当な生物だ。
「皮肉なもんだなぁ……」
「……え?」
「いや独り言だ」