低学歴だと犯罪者になる?!
N村さんは有名なインフルエンサーの一人だ。知名度が高く、SNSでのちょっとした発言がニュース記事に取り上げられたりもする。当然ながら、社会的影響力も馬鹿にできない。そんな彼がある日、こんな発信をした。
「犯罪者は低学歴に多い。だから、学歴を高くすれば犯罪者は減る」
それに反応したのが、同じくインフルエンサーのK林さんだった。彼はそれにこう反論した。
「俺は東大出ているが、刑務所に入ったぞ?」
K林さんには企業のお金を横領して捕まったという前科があるのだ。
(彼はその知名度の利用してインフルエンサーになったとも言える。因みにN村さんはN村さんで、裁判で敗けた数億単位の損害賠償を踏み倒したという経歴を持っている。
……日本のインフルエンサーは、こんなんばっかか)
その主張に対し、N村さんは刑務所のデータを提示し、こう反論した。
「刑務所に入っている割合を比較すると、中卒、高卒の割合が多いのは明らかです。犯罪を減らす為には、学歴を良くするべきなんですよ」
それでこの議論は終わりだった。つまり、N村さんの勝ち。
「流石、論破力が高いと言われているだけあるなぁ。N村さんは、頭が良い」
その記事をスマートフォンで眺めながら、僕はそう独り言を言った。場所は教室、目の前には吉田君がいた。不思議そうな顔を彼が見せたので、僕は軽くざっと記事の内容を説明した。すると彼はこんな風に言うのだった。
「それ、二人とも間違っているよ?」
僕はその言葉に「へ?」となる。
「でも、N村さんの言っている事は当たり前の話じゃない?」
「そうとも限らないよ」と、彼は言うと「まず、K林さんの主張は君が言う通りに間違っている。これは一部の自分の主張にとって都合の良い情報だけを取り出すという印象操作の常套手段だね。
わずか1人だけという標本調査で高学歴の人が犯罪をし易いかどうかが分かるはずがない。残りの人間は全て犯罪をしていないかもしれないのだから」
僕はそれを聞くと「うん」と言った。
つまりはそれがN村さんが指摘した点だ。ところがそれから吉田君はこう続けるのだった。
「でも、同じ理屈はN村さんの主張にも当て嵌まる。中卒者、高卒者の全体から観れば、犯罪を行った人の割合はわずかだろう。彼の言い方だと、まるで中卒者、高卒者には犯罪者が多いように聞こえる。これは蔑視や差別に繋がってしまうよ。もちろん、本人の意図は別だろうけど、情報発信を生業としている者としていかがなものかと思うよ」
僕は軽く考えるとこう言った。
「それはその通りかもしれないけど、でも、主張自体は正しいだろう?」
なら、大きくは間違っていないはずだ。ところがそれも彼は否定するのだった。
「いや、間違っているよ。少なくとも、N村さんの提示したデータからでは低学歴が犯罪に結びつくかどうか結論付けられない」
言い終えると、彼はノートにさらさらと何かを書き始めた。
「情報から結論を出す為には、まず情報のタイプ分けからしなくちゃならないんだ。ここでは情報を大きく3つに分けてみよう」
そう言うと、『1.時系列のないデータ』と書かれた一文を示しながら彼は言った。
「まず、データに時系列がないか、または不明の場合。“熱を加えたら、水が沸騰した”、“アクセルを踏んだら、車が加速した”などは時系列を持つデータだけど、“ある国の人間の身長が高い”、“ある地域に住む鳥の色の割合”だどかは時系列がないか、不明のデータだ。“AとB”がただあるだけで、どっちが先か分からないって事だね」
「うん」と、それに僕。
次に彼は『2.時系列はあるが、他の要因を排除できていないデータ』という一文を示した。
「“海水浴客が増えたら、アイスの売上げが増えた”というデータがあったとする。一見は海水浴客が増えると、アイスの売上げが増えたように思えるけど、“気温が上がった”という要因が排除できていないから、因果関係は立証できていない。
“A→B(他の要因有)”って表現すると分かり易いかな?」
「分かるよ」と僕は答えた。
最後に彼は『3.時系列があり、他の要因を排除できているデータ』を指差した。
「“熱を加えたら、水が沸騰した”、“物を落としたら、加速しながら落下した”などのデータはこれに含めて良いだろう。他の要因が強く影響しているとは思えないからね。このタイプはほとんどの場合、特別な実験空間じゃきゃ得られないデータだけど」
そう言い終えると、彼は質問を投げかけて来た。
「さて。このうち、N村さんの言ったデータはどれに当たると思う? 犯罪者に低学歴の人が多いってデータ」
僕は考えるとこう返した。
「『2.時系列はあるが、他の要因を排除できていないデータ』じゃない? 低学歴以外にも、他に要因があるかもしれない」
すると彼は首を横に振るのだった。
「いいや、違う。実は『1.時系列のないデータ』なのさ」
僕はそれに少し驚いた。
「いや、でも……」と言いかける僕を彼は止めた。
「ちょっと前に、中学生が美人局をやって、サラリーマンを殺してしまったって事件があっただろう? 中学生でも既に犯罪組織と繋がりがあるってケースは十分に考えられるんだよ。
つまり、低学歴だから犯罪組織と結び付いたのじゃなくて、犯罪組織と結び付いているから低学歴なのかしれないのさ。もしそうなら、犯罪を減らす為には若年層が犯罪組織と結び付く機会を減らすような試みが重要だって事になるね」
それから彼は、ちょっと僕の顔を見て、一呼吸の間の後に続けた。
「一応断っておくと、教育制度はとても重要だよ? 実はずっと昔は人口が増えると経済が衰退するという現象が起きていた。他にも要因はあるのだけど、これは人的資本の影響が大きいとされている。つまり、人口が増えた事によって一人一人の教育が疎かになってしまっていたのだね。
これを解決したのが、教育インフラだった。つまり、学校だね。学校のお陰で、人口が増えても教育レベルを落とさない体制を社会は実現できたんだ。結果として、それが経済成長に結び付いたんだよ。だから、N村さんの主張にも良い面はある。
でもねぇ……」
何か含みのある言い方だったので、僕は「どうしたの?」と尋ねてみた。
「いや、このN村さんって人、以前に宇宙空間では位置エネルギーが0になるから、位置エネルギーは嘘だなんてトンデモな主張をしていたんだよ。まさか、隕石がゆっくり降って来ると思っていた訳じゃないだろうから、隕石が高速で降って来るのが、宇宙空間の物質にも位置エネルギーがあるからって理屈を理解していなかったのだと思うんだ。
重力加速度は本来変数だから、積分しなくちゃならないのだけど、それを分かっていなかったのじゃないかな? 正直、僕は引いてしまったよ」
後半部分は分からなかったけど、前半の理屈は簡単に理解できた。隕石が高速で降って来るのは、隕石に位置エネルギーがあるから。誰でも分かる理屈だ。それをN村さんは理解していなかったという事になる。
「こういう点を考えると、僕はN村さんを“頭が良い”と評価するのには抵抗があるんだ。ま、口が巧いのは認めるけど。インフルエンサーって立ち位置にいるのだから、もっと勉強した方が良いと思うんだけどねぇ。
……学校教育を疎かにしているのは、実は彼自身なんじゃないのかなぁ?」
それを聞いて僕は思い出していた。“N村さんは、頭が良い”という僕の言葉に彼は反応していた。きっと、それを疑問に思っていたのだろう。
実質的な頭の良さより、いかに目立つかの方が重要。
日本のインフルエンサーに犯罪ないしは、それに近い事をしている人が多いのは、実はそんな事が原因なのかもしれない。
“なんだかなー”
と、僕は思ったりした。