特待生試験
王都・新王立士官学校。12歳から15歳までの少年に一般教養と戦闘スキルを学ばせるための学校である。元々は貴族の子弟のみに入学を許していたが、平民出身のアカツキが国王になってからは、平民にも門戸が開かれた。とはいっても、裕福な家でないと入学できないぐらい学費は高く、例外として学費免除の特待生枠があった。
コック帽にコックコート姿のガルバはアンナと試験会場に着くと、<787>と書かれた整理番号を渡された。試験会場となった士官学校のグラウンドには、ガルバの後ろにも長い列が続いている。
千人を超える受験者を見て、アンナが不安を隠せずにいた。
「…あたし、受からないと思う」
「学費免除になるので入れたら儲けものと、ダメ元で受けさせる親が多いとアキが言っていた。力のあるやつはいねえ」
「そうかなあ」
「ほら、あっちを見てみろ」
整理番号の若い受験者の一次試験がすでに始まっていた。十個並べられた檻の中に大猪がいて、受験者は右手に棒、左脇に愛らしいウリ坊を抱えた状態で、檻に入れられていた。試験官が、子を取り戻そうとする猪を倒せば合格、と言っている。怒れる猪の迫力に、臆病な者はすぐに降参し、突き飛ばされる者、ウリ坊を離して失格になる者と、決着は早く、流れ作業のように一次試験は進んでいた。
「あの程度の突進。お前ならかわせるだろ」
「許せない…。ウリ坊を使って母猪を戦わせるなんて…」
「そうじゃねえ。話を聞け。あの猪の攻撃についてだな」
「子供の前で母親を殺させようとしているのよ! 試験官に文句いってくる!」
アンナは列から離れ、試験官のほうへ歩いていった。
「おい、待て! 昨日、美味そうにボタン鍋を食ってただろうが!」
ガルバは後を追おうとしたが、後ろの受験生に、「コックさん、二人とも列から離れたら辞退になるよ」と言われて足を止めた。
アンナは学校の教師らしき試験官に抗議をするが、試験にはクレームはつきものらしく、試験官は慣れた様子であしらっていた。しかし、アンナの頑固さが並みではないことをガルバは知っている。あまりのしつこさに試験官の顔が険しくなり、警備兵を呼んだ。当然、周りの目もアンナに集まった。
「あの馬鹿、騒ぎを起こしやがって。これで不合格だ。1カ月の稽古がパーじゃねえか。かといって、今さら止めても、もう遅せえ。それならいっそ――」
ガルバが叫ぶ。
「アンナ、そいつらをぶっ倒して母猪を助けろ! 呼吸法を忘れるな!」
「うん!」
立てかけてあった試験用の棒をアンナが持つと、警備兵と試験官が剣を抜いた。
★
校長室のドアを激しくノックする音で、ルザンヌ・クッチはソファから気怠そうに起き上がった。絹のシーツで隠されていた裸体があらわになり、豊満な胸が揺れる。カールのかかったブロンドの髪をかき上げると、辺りには甘い匂いが漂った。
ドアを開けて、七三分けに髪を整えたハーベイが入ってくる。
「失礼します!」
「まだ一次試験の時間でしょ。野暮なことしないの」
「大変です! 教頭! 試験会場で騒ぎが!」
「それって、校長でも、収められないこと?」
「あの人がお飾りなのは教頭が一番知っているでしょう!」
ルザンヌは胸元に切れ込みが入ったワンピースドレスを素早く切ると、ソファの陰に隠れている半裸の少年の頬にキスをした。
「坊や。強くなってね」
ルザンヌが校長室から出ると、ハーベイが苦虫を噛み潰した顔で案内する。
「また、生徒のつまみ喰いですか」
「見込みのある童貞としか寝てないわ」
「そんなことは聞いていません! 控えてくださいと申し上げているのです」
「寝た生徒が英雄になったらね。私の夢はね、英雄の初めての女になることなの。人々の心には英雄の偉業が刻まれるけど、英雄の心には私が刻まれる。それって素敵じゃない?」
「さあ、わかりませんね!」
ハーベイがそこまで言ってハッとする。
「まさか、王子に手を出してないでしょうね! 絶対にダメですよ!」
「話を聞いてた? 私が興味のあるのは英雄の卵。権力者の卵じゃないの。そんな安い女じゃないわ」
「国王陛下は英雄でもあります。その血を引いていてもですか?」
「ゾクゾクしないもの」
二階の廊下を歩いて出口に向かっていると、試験会場が見える窓があった。
ハーベイが窓の外を指さす。
「あそこです。あそこで乱闘が!」
「もう終わったみたいね」
「えっ!?」
ハーベイが差し示した場所では、警備兵4人が倒れていて、試験官が膝から崩れ落ちるところだった。棒を持った少女だけが一人立っている。
「とんでもない凶暴な娘だ。他の警備兵を呼びましょう!」
「私の生徒に怪我をさせるつもり?」
「え?」
「D級の警備兵と試験官を倒したのよ。合格に決まっているじゃない。女の子なのが残念。男の子だったら食べちゃうのに」
「しかし、問題を起こすような生徒は…」
ルザンヌは厳しい目でハーベイをたしなめる。
「特待生の目的を忘れたの? 陛下の覇業を支えるために必要なのは、性格の良い子じゃない。才能ある子よ。それを肝に銘じなさい」
「申し訳ありません。直ちに合格を伝えてまいります」
ルザンヌは窓から受験生と保護者が並んでいる列を見つめた後、自身の肩を抱き、膝をガクガクいわせてへたりこんだ。
「アハァーン♡ 私を狂わせてるのは誰? ゾクゾクしちゃう~」
★
試験会場からの帰り道、ガルバはご機嫌だった。不合格必至の状況からの博打に勝ったから当然ともいえる。アンナの髪が乱れるのも構わず、ワシャワシャと頭を撫でる。
「結果オーライだ。よくやった。俺様の手柄だがな」
「避けていたら、あの人たちが勝手に倒れただけだし」
「豊富なスタミナと目の良さが、やつらを攻め疲れさせた。それも強さのうちだ。だいたい、弱えと思っているなら、つっかかっていくんじゃねえ」
「許せないって思ったら、身体が勝手に動いちゃった。無謀なのはガルバ様と同じ。ふふふ」
アンナがアカツキ戦をからかっているのがわかって、ガルバはぷいと前を向いた。
二人の間に沈黙が続く。
「怒ったの?」
「そうじゃねえ――アンナ、お前はウリ坊だったのか?」
「…地下室に悪い奴らが来たとき、お母さんはあたしを守ってくれた。でもね、すぐにお母さんの声がしなくなったの! あいつらがお母さんを!」
「…なら、母親を探さねえとな」
「えっ? だってお母さんは…」
「目が見えねえのに、死んだとなぜわかる?」
アンナは大きく見開いた目でガルバを見た。
「…ガルバ様。あたし、初めて目が見えなくて良かったと思った」
「死んでいるかもしれねえ」
「どっちなのよ、もう!」
「さあな。だが、母親がどうなっていようとこれだけは断言してやる。お前に責任はねえ」
「本当に…、あたしを守ったせいじゃないの…」
アンナの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。
ガルバは女の涙が苦手だ。そして慰め方はもっと苦手だった。
「ようし! 合格祝いに猪肉のステーキをご馳走してやる」
「…猪肉? 食べたくない」
「とっておきのハーブで仕込んだ肉があるんだ。これがめちゃくちゃ美味くてな」
「…無神経」
「なら食うな。お前の目の前でぜーんぶ食ってやる。したたる肉汁を見て欲しくなっても、一切れもやらねえからな」
「…悪趣味」
「さっきから誰に向かって言ってやがる!」
夕焼けの中、家に帰るまで二人の言い争いは続いた。