特訓と特性
王都内の結界を嫌ったガルバは王都の外にある洞窟に住むことにした。かつて<始まりの洞窟>と呼ばれたところで、駆け出しの冒険者はこの小さな洞窟で弱い魔物と戦いながら戦闘のイロハを学ぶのが常だった。
「ガルバ様、ベッドが無いけど、どこで寝るの?」
「地面が見えねえのか。冒険者愛用のベッドだ」
「え~! 奴隷小屋でも藁が積んであったわ。台所は? おトイレは? これじゃあ奴隷以下よ!」
「ここは貴族のお屋敷じゃねえ! パンを焼きたきゃ火の魔法。クソを流したけりゃ水魔法を覚えろ。今から俺様が鍛えてやる」
「えー、ガルバ様が?」
アンナが疑いのこもった眼差しをガルバに向ける。
「俺様じゃ不満か?」
「だって、弱いし…」
「なんだと?」
「国王様に手も足も出なかったし…」
「あれは結界が――」
「お坊ちゃまにもボコボコにされていたし…」
「俺様があのガキに?」
「お坊ちゃまが<ファイア>を連発しているのに、何もせずやられっぱなしだったでしょ」
――目が見えず耳だけであの状況を判断するとそうなるのか?
「馬車の荷台でマロッキとアキを一撃で倒したのを見ただろ?」
「ゾンビだと思って腰を抜かしたオジサン相手でしょ。それにアキさんみたいなか弱い女性を倒して威張るのは良くないと思うわ」
――おいおい、アキと槍男との戦いを。ああ、そういや寝てたな。コイツ。
「ね、弱い者同士。稽古なんてやらずに快適な家探しをしましょうよ。金貨もあるし」
「ダメだ。この棒を持って打ち込んでこい。俺様の強さを少しだけみせてやる」
アンナは頬を膨らませて不満を示した後、えいっ、と棒を振り下ろした。
ガルバは軽くかわすと、デコピンを軽くアンナの胸に打ち込む。
「いたあい! ケホッ、ケホッ」
「グハッ!」
アンナは倒れ、ガルバは膝まずいた。
――あそこは俺様の心臓の位置だった…。
「ほら、強さも同じでしょ」
「い、今のは事故だ。もう一度やるぞ」
それから、ガルバは胸だけは攻撃しないよう稽古をつけた。
――3日後――
マロッキの使いとしてアキが<始まりの洞窟>へやってきた。
奴隷だったアンナのために国民証明書を持ってきたのだ。無論、偽造である。
「ガルバ様、何をなさっているのですか?」
「不詳の弟子のために、ベッドを作っている。睡眠が浅いと稽古ができないってサボりやがる。あいつのせいで木工職人のD級ぐらいにはなれるかもな」
アキが辺りを見ると、テーブルと椅子があった。
その横でアンナがへっぴり腰で素振りをしている。
「お優しいのですね」
「アキ、ベッドに寝ろ」
ガルバはアキをベッドに押し倒した。
「えっ、そんな…。強い御方は好きですけど…、物事には順序がというものが…」
「よし、二人で寝ても強度は問題ねえ。完成だ」
「そ、そうですね…」
顔を赤らめるアキに気を留めず、ガルバが聞く。
「一カ月後に試験なんだが、どうだ? アンナは特待生で入れそうか?」
「試験では狼や猪を一人で倒さなければなりません。今のままでは…」
「だよなあ。アイツは体力がねえから、まともな稽古もできねえ」
「失礼ですが、お二人の間に信頼感が無いように見えます。師を信じていない生徒は稽古も真面目に取り組みません」
ガルバは腕を組むと唸った。
「確かにそうだ。アンナは頑固で、まだ俺様の強さを疑っている。だから俺様の稽古じゃ強くなれねえと思っている」
「アンナの特性は無いのでしょうか? 彼女にあった鍛え方がわかれば、成長を感じて、やる気が湧くと思います」
「成功体験ってやつか」
――アンナの特性、か。思い込みが激しいことと、移植した班目の目。そして俺様の心臓。この中で生かせるものがあるとすると、あれか…。正しいかはわからねえが…。
「まあ、やらねえよりはマシか」
★3週間後
アキが再び、<始まりの洞窟>にやってくると、ガルバとアンナが棒を持ち模擬戦の稽古をしていた。声をかけるのをためらって、洞窟の中に入ると以前より家具が増えていなかった。
「ガルバ様と二人きりなら、質素な暮らしでもいいかも…」
アキはベッドに座って妄想しているとそのまま眠ってしまい、真上にあった太陽が沈むころ、ようやく起きた。
「ガルバ様、申し訳ございません!」
アキは慌てて謝ったが、ガルバたちはアキを気にせず、昼間と同じ場所で打ち合っていた。
――まさか…、ずっと休まないで稽古を続けていたというの!? ガルバ様は当然として、あのアンナが?
改めてアンナの動きを見ると、へっぴり腰が直っていた。そして、相手に的を絞らせないよう、常に足を動かし続けている。ホッ、ホッ、ホッという細かく刻む呼吸の音がアキの耳まで聞こえてきた。
――動きはまだ素人だけど、たった3週間でここまで鍛えあげるなんて、ガルバ様は師としても天才!
「よーし、ここまで。体を洗ってこい。メシにする」
アンナが走って川へ向かうと、アキはガルバに近づく。
汗びっしょりだったアンナとは違い、ガルバは涼しい顔をしていた。
「どういう稽古をしたのですか? あのスタミナ。尋常ではありません」
「特性を生かしたのさ」
「アンナと特性とは何なのですか?」
「それはだな…」
ガルバはアキに問われて言葉を濁す。
――俺様の心臓がアンナの中にある、とは言えねえし…。
★回想・3週間前
アキが帰った後、ガルバは地面に上半身の簡単な絵を描くと、アンナを呼んだ。
「今から人体の話をする。心臓と肺を知っているか?」
「聞いたことはあるけど…」
絵に心臓と肺を書き足す。
「この二種類の臓器はスタミナに影響する。肺で空気を血液に取り込み、心臓が血液を全身に送り出す。強ければ長時間動けるし、弱ければすぐに動けなくなる」
「あたしの臓器が弱いってこと?」
「そうだ。でもおかしいだろ? お前の中には俺様の心臓がある。二つの心臓があるんだ。弱いわけがない」
ガルバは心臓を一つ書き足した。
アンナは前に乗り出す。
「たしかにそうだわ」
「この心臓を忘れていたろ? スタミナが切れて当然だ」
「うんうん」
「これからは常に二つの心臓があると意識しろ。それだけでいい」
「それならできそう!」
「次が大事だ。俺様の肺はお前の中にはない」
アンナががっかりする。
「だったら、心臓が二つあっても上手くいかないじゃない」
「肺以外の力も使う」
「どうやって?」
「息のすべてを吐きだせ。肺にひと泡の空気を何も残すな」
アンナは思いっきり吐き出した。
苦しくなって吸い込んだとき、ガルバがアンナの腹を触った。
「腹が膨らむのを感じただろう。腹も肺になるということだ」
「そうなの!」
「これからの1週間、稽古は呼吸だけでいい」
「ほんとに! 棒振りは無し?」
「ああ。息を吐くのに慣れてきたら、呼吸を早くしろ。いいな」
――呼吸法の稽古は賭けだ。俺様の心臓はアンナの体の中にあるが、肉体にどう作用するのかはわからねえ。腹が肺の代わりになるのも嘘だ。だが、今は正しい理論より、アイツが信じやすい嘘でいい。一度、思い込めば頑固に信じ続けるのはアイツの短所だが長所でもある。
★回想・終わり
ガルバはアキの問いには答えず、抱きしめた。
「アキの助言のおかげだ」
「い、いえ…。私の知恵などガルバ様に比べれば…。そういえば呼吸の仕方が変でしたが、あれもガルバ様が教えられたのでしょうか」
「そうだ」
「タコのように口を突き出していました。ぜひ、私にも教えていただきたいです。こ、こうでしょうか?」
アキが口をとがらせながら顔を寄せてくる。
ガルバはキスをかわすように体の向きを変えた。
「お、おう。アンナの特訓が終わったらな。ところで塩とハーブは持ってきてくれたか」
「家具造りだけではなく、料理も始めるのですか?」
「獣を狩って食わしているんだが、臭み、臭みと、うるせえ。貴族お屋敷では残飯しか食べさせてもらえなかったけど、そっちのほうが美味しかったって、な」
「残飯と言っても、貴族の料理人が作った残りですからね。ですが、ガルバ様に対して甘えすぎでは? 文句があるのなら自分で作れば良いのです」
「入学後に作らせるさ。今はアイツの体力のすべてを稽古に使わせる。それに俺様も美味い飯が食いたい。あ~、シュンカの料理をまた食いてえなあ~」
「シュンカというと、ガルバ様を裏切った大魔導士の?」
「そうだ。シュンカは料理人としてもS級だったから、冒険中も食事が楽しみだった。『料理は火加減が命』が口癖で、火魔法での調理中に声をかけたら激怒された。そうだ。アキも飯を食っていくか」
アキは残念そうな顔をした後、未練を振り切るように背筋を正した。
「いえ、陽が沈む前に戻らねばなりません。旦那様からの用件をお伝えいたします。戦争は王国軍が勝利。間もなく陛下が王都に戻られるとのこと。ですので、王都の近くにいるのなら、見た目を変えてほしいと」
アキが手で指し示すと、ガルバが作った机の上に男女の服が畳んであり、伊達メガネやハットも置かれていた。
ガルバが服を手に取ると、平民が着るには上質な代物だが、貴族が着るには地味といったものだった。これを着ていれば学校側も小金持ちの平民だと思うだろう。服に小さく刺繍された<ヤン商会>の文字を見つけて苦笑する。<ヤン商会>はマロッキが若いときからの商売敵だった。
「いい根性してやがる」
「申し訳ございません! ガルバ様が王都から離れないのなら、こうするしかないと…」
「マロッキに伝えろ。料理人の服を用意しろ、とな」
「変装していただけるのですね!」
アキが帰ると、ガルバは吊るされた獣の前で、血喰い剣を抜いた。
「さあ、今日も仕事だ。血抜きをしろ」
「ギィー…」
血喰い剣はうんざりした声で鳴いた。