マロッキ商会
王都で5本の指に入る商会の会長、マロッキ・ドーチンはでっぷりと肥えた腹を撫でると、ステッキを支えに大儀そうに立ち上がった。ベストにスラックス。薄くなった髪は丁寧に撫でつけられている。
商いが変わると体も変わる。昔は冒険者が持ってきた宝を売りさばき、貴重な武具を買い集めるのに東西奔走していて、太る暇など無かった。魔物がいなくなった後、政商に転じた。貴族を接待漬けにして情報を得るのが日常になり、接待の頻度に比例して腹も肥えていった。
「ぐふふ、戦争が一番儲かるわい」
マロッキは三階の窓を開けると下を見下ろした。王都を東西に貫く水路にマロッキ商会の船が何艘も停泊している。その船に使用人たちが軍需物資を入れた木箱を積み上げていた。接待で手に入れた情報は南の辺境に住む蛮族の討伐だった。
「しかし、予言が気がかりではある。連戦連勝の王国軍が負けるとは思えんが」
マロッキが貴族から得た情報の中に、王宮占い師が王都に災厄が訪れると予言した、という話があった。
「いや、この世に絶対というものが無いことは、わしは知っているではないか。最近は地震も多い。小さな揺れだが大地震の予兆かもしれん。他国へ出している支店に移ることも考えておくべきだわい。さてと――」
マロッキは机から帳簿を取り出して笑みを浮かべる。残高を見るのが毎日の楽しみなのだ。至福の時間を遮る様にノックの音が鳴る。彼は不機嫌にうながすと、メイド服を着た長身の女が入ってきた。黒髪を後ろに縛っており、切れ長の目は主人に対する媚など微塵も感じさせない。
「旦那様、冒険者くずれらしき者が2組。面接を希望しております」
「そうか、ぐふふ」
マロッキは面接者を地下に案内するよう命じると、自身も遅れて降りていった。嗜虐的な笑みを浮かべる。面接もまた彼の隠れた楽しみなのだ。
「これは、これは、よくいらしてくれました」
マロッキは腰の低い挨拶をしながら、面接者を見定める。一人は槍を持った戦士で、もう一人はボロボロの少女を脇に抱えた黒鎧の男だった。
――槍男は大したことはなさそうだわい。そして、もう一人。あの黒鎧から発せられる異様な空気。掘り出し物かもしれぬ。しかし、小娘はなんだ? 気を失っているようだが、面接のついでに奴隷を売りに来たのか?
槍の戦士はコットと名乗った後、辺りを見回した。
「張り紙には戦闘試験があると書いてありましたが、面接者同士で戦うということですか?」
「いえいえ。このメイドがお相手しますわい」
「この、か細い娘を倒すだけで、毎月銀貨5枚の警備の職につける…」
「ええ、ええ。どなたからにしますか?」
「私からお願いします! 私のほうが早くから並んでいた! ね、いいですよね!」
コットが哀願すると、黒鎧の男は無言でうなずいた。
「決まりですな。アキ、行けるか?」
マロッキが目で促すとアキと呼ばれたメイドは武器も持たずに構えた。両手にはフリルの付いた手甲をつけている。その姿を見てコットは喜んだ。
「武器無しのサービスとはありがたい。マロッキ商会は余程人手不足と見えますね。娘さん、痛みはあるがすぐに終わらせる」
コットは構えるなり、突きを繰り出していく。が、当たらない。たまにメイド服にかすることはあっても生地すら破れないのだ。
「ハァ、ハァ。こんなバカな…。ならば武技〈二段突き〉!」
コットの渾身の突きを、アキは簡単にかわしたばかりか、踏み込んで右拳を腹部に打ち込んだ。
コットの体がくの字に曲がる。
「グッ…。槍の間合いで拳のカウンターだと。尋常な踏み込みじゃない。そして、鎧を通じてなおこの衝撃…」
コットが驚きの表情でアキを見ると、左拳が眼前にあった。
そこからはもう打たれるままだった。アキの一方的な攻撃が続く、槍の戦士は亀のように地に丸まって叫んだ。
「参りました! 参りました! マロッキさん、彼女が強いなら言ってくださいよ! 油断させるなんて卑怯じゃないですか!」
「卑怯だと? ぐふふ。馬鹿な面接者はいつも笑わせてくれる。アキ、減点ごとにこいつを蹴り飛ばせ」
「ヒッ!」
「減点1、アキの身体はか細いのではなく引き締まっている。減点2、メイド服には細い鋼線が編み込まれていた。馬鹿は初めての敵に対して、警戒せずに予断で動く」
アキの蹴りでコットは宙に浮かされ、ニ撃目で地に叩き落されると、血を吐きながらマロッキのズボンの裾にすがりつく。
「グボォ…。そんなのわかるわけがない。お願いです。もう試験はやめてください!」
「ぐふふ。さらに減点が増えたわい。減点3、己の無能さを自覚できない。無能を自覚していれば、まず他人を戦わせて観察すべきだ。減点4、自分の都合で試験をやめられると思っている。これじゃあ仕事を任せられない」
「た、助けて…、私には嫁と子供が…」
マロッキがステッキを上げると、アキが攻撃をやめた。
コットが安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう。助けてくれ――アガァっ!」
マロッキがステッキの先をコットの口に突っ込んだ。
コットは喉をふさがれたまま手足をバタバタとさせた後、気を失った。
「減点5。泣きごとを聞く強盗がいるか、馬鹿」
アキが手を差し出すと、マロッキが懐から小さな革袋を取り出した。
「いくらだ?」
「銀貨10枚です」
「高いな。あっという間に終わったぞ」
「だからです。弱すぎます」
「変わった女だ。強い相手はタダで、相手が弱いほど報酬が上がる」
「そうでしょうか? 私は強さを求めてここに来たのです。旦那様はずいぶん恨みを買っていると聞いていたのに、腕のある刺客はたまに送られてこない」
「そうしょっちゅう刺客に狙われてたまるか」
アキの手に銀貨10枚を置くマロッキに、黒鎧の男がつまらなそうに声をかける。
「次はまだか?」
「あなたは合格ですわい。身のこなしやまとっている空気を見れば、強者なのはわかる」
「旦那様。私にはそうとは見えませんが」
「若いな。いくら腕っぷしがあろうが、経験が違う。わしにはわかる」
「観察力が自慢のようだな。だが、早速間違っている。試験を受けるのは俺様じゃねえ。小娘だ」
黒鎧の男が奴隷少女の襟をつかんでマロッキに見せる。
奴隷少女の身体は持ち上げられたまま揺れていた。
「この奴隷が? 冗談はいけませんな。第一、気を失っている」
「睡眠拳の使い手だ。偉そうに洞察力の講釈を垂れていたんだ。今度はお前が見抜いてみせろ」
マロッキは奴隷少女をじっと見る。だが、どこから見ても強さを感じなかった。
――拳にタコも無いし、服の素材もボロ布。睡眠拳と言っていたから魔法使いでは無い。そもそも睡眠拳なんてあるのか? この男。何を考えている。奴隷がいたぶられて殺されるのを楽しみたい狂人なのか?
「やらねえのなら、こいつを雇ってくれるんだな」
「奴隷を銀貨5枚で雇うなど酔狂ではありませんよ。アキ、構えなさい。あなたが補助魔法や支援魔法で手出ししたら小娘の負け。いいですね」
「当然だ。はじめの合図で俺様は小娘から手を離す」
「では…、はじめいっ!!」
マロッキが開始の声を上げると、ゴウッという風切り音と、ゴンッという鈍い音が地下室に響き渡った。マロッキが音の方向に目をやると、アキが頭から血を流して倒れている。そしてマロッキの視界を横切るように少女の身体が舞い、戦いの開始位置にいた黒鎧の男が襟首を掴んだ。
「小娘の勝ちだな、マロッキ」
「待て、どうやって倒したのです?」
「奥義・睡眠頭突きだ。目にも止まらぬ早業だろう?」
「そんなふざけた技が…。ん?」
奴隷少女の頭からぴゅーぴゅーと血が噴き出していた。
「あなた、奴隷を投げましたね」
「投げたのを見たのか?」
「それは…」
マロッキには投げた姿どころか、小娘が飛んでいったことすら見えなかった。
「言いがかりか? お前も槍男と同じで洞察力がねえんだよ、無能」
「いや、速さを見るのは洞察力じゃなく動体視力…」
「無能には減点だったな。俺様の拳は痛てえぞ。げ~ん、て~ん――」
「待て! 減点を与えるのは面接するほうで…、ハッ!」
マロッキの古い記憶がよみがえった。
「自分自身を俺様と呼び、理不尽な強さ、ドSな性格。そして頭の悪さ…。もしや! ガルバ様では!」
黒鎧の男は空いている手で仮面をとった。
「よくわかったな。マロッキ。動体視力はあるじゃねえか」
「いや、これは洞察力…」
「さっきの続きな。げ~ん、て~ん――」
ガルバは仮面を宙に投げるとデコピンの構えを取った。
「見抜いたのに何でぇーーー!」
「やりたいからだ。イチぃ―――!」
仮面がデコピンの構えの位置に落ちてきた瞬間、仮面が消え、マロッキの身体は悲鳴とともに吹っ飛んだ。そしてマロッキは気絶した。
「――起きろ、いつまでも効いたふりしてんじゃねえ」
「ぶはっ! ゲホッ、ゲホッ!」
1時間後、マロッキは口に流し込まれた液体で目を覚ました。辺りを見回すと、倒れていたはずのアキに奴隷少女、コットまでも元気に立っているのを見て驚く。床にはポーションの空き瓶が数十本転がっていた。
「この大量のポーションはどこから?」
「近くに積んであったのを借りてきた」
「もしや…」
アキが申し訳なさそうな顔をする。
「旦那様の船から…」
「マロッキ、槍男は雑魚らしく、ポーションの素材集めが得意らしい。代わりに雇っておいてやったぞ」
「へへ、これからはコツコツ頑張ります」
コットがペコリと頭を下げる。マロッキは眩暈がした。
――王宮占い師が言っていた災厄とはガルバ様のことに違いない。何とかしなくては。
マロッキは気力を振り絞ると、ガルバと奴隷少女を二階の応接室に連れていった。
アキの出した紅茶をガルバが一気に飲み干す。
「俺様が封印されてから何年経った?」
「えーっと、20年になるでしょうか。しかし、こんなに早く封印が解けるとは、さすがガルバ様です。王都にいらっしゃったということは、やはり王家への報復ですか」
「裏切ったのはアカツキたちだ。王家なんざ、どうでもいい」
「そ、そうですか。なら、すぐに他の国へ向かったほうがよろしいでしょう。<唯我独戦>のメンバーは皆、王国から出ていきましたから」
「どこにいった?」
「それはわしにも…」
「なら、探しに行くしかねえな。金貨は10枚もあればいい。ほら」
ガルバはマロッキの前で手を開いた。金貨10枚は1年遊んで暮らせる額である。
「誰のおかげで成功したのか忘れたのか? <唯我独戦>だろうが」
――そうだ。だが、入手困難な素材やお宝を売ってくれたのはアカツキ様たちだった。屋敷を買えるぐらいの高価な鎧を買ってくれたのもアカツキ様たちだった。決してガルバ様じゃない。売れもしない呪いの道具を高値で売りつけ、女遊びをしていただけだ。二十年経っても、まだわしから金を無心するのか! しかし、災厄を王都から追い払うための経費と思えば安いか。
マロッキが心の中で毒づくと、アキの金貨を持ってくるよう命じた。
「ところで、その奴隷も連れていかれるので?」
マロッキはソファの後ろでうろうろしている少女を見て言った。
「忘れてたな。女、感謝しろ。もうお前は奴隷じゃねえ。俺様の従者にしてやる」
「あの子は…、あの子はどうなったの!」
「知らねえ」
「余計なことしないで!」
「こ、これ! ガルバ様が解放してくれたのになんてことを。泣いて喜んでもおかしくないぐらいだぞ」
「こんな命いらなかった! だからあの子のために使いたかった…」
「めんどくせえ女だ。お前の口からは不満しか出ねえのか」
マロッキは憐れむようにため息をついた。
「さらわれたか親に売られたか…。悲惨なものです。死にたくても、奴隷は支配契約の呪文で自殺もできませんからなあ。目も見えないようですし、絶望しかないのでしょう」
「そういえば、目を治すのを忘れていた」
「傷では無く、生まれつきの病のようですが、治せるのですか?」
「俺様に不可能は無い。班目、起きろ」
班目の七つの目が見開く。班目の一つの瞳と目が合ってマロッキは身震いした。
「ちょっと我慢しな。臓器強盗の手袋」
ガルバは左手にはめている黒手袋に呼びかけると、手袋の指がぐにゃぐにゃとメスやペンチの形に変化した。そのまま胸当に手をかけると、ブチリという音とともに班目の目を二つ引きちぎった。ピギィー!!と悲鳴をあげる班目を気にもせず、ガルバは黒い体液がしたたる目玉を奴隷少女の顔に近づける。グロテスクな光景だが、奴隷少女は見えないので怯えることはなかった。
「新しい住処だ。さあ、行きな」
目玉が少女の目にとりつくと一体化し始めた。
禍々しさにマロッキは唾を飲み込む。
「ガルバ様、これは治療ではなく呪いでは…」
「呪いの本体は鎧だ。大したことねえ」
「失敗したことは?」
「相性次第だ。俺様の胃を取り換えたときは問題なかった」
「そんないい加減な」
「うるせえ! 目は得意なんだよ」
「でも、すごく痛そうですよ。ほら」
二人が話しているうちに二つの目玉と奴隷少女の目が同化し終わっていた。
奴隷少女の瞳からは涙がポロポロとこぼれ落ちている。
「違うの! 痛いんじゃない! 白い靄しか見えなかったのに、たくさんの色が! 形が! 世界が見えるの!」
「不満以外も口に出せたな。目から差し込む光は心も照らすらしい。女、世界の鮮やかさに感動したのなら、次は世界の広さに感動させてやる。名前は?」
「311番」
「奴隷になる前だ」
「アンナ・リーシャ」
「アンナ。今日から俺様の身の周りの世話をしろ。それが治療代だ」
「嫌よ! あなたみたいな薄情な人」
「なら、目を返せ。オーゲンラバリ」
黒手袋が再びぐにゃぐにゃと変化しはじめる。
マロッキが慌ててアンナを諭す。
「意地を張るんじゃない! また光を失ってもいいのか?」
「…構わないわ」
「震えているではないか。怖いのだろう?」
オーゲンラバリがアンナの顔に近づいていく。
アンナは唇を固く結び、拳を握りしめる。しかし、瞳は閉じなかった。
「チッ、いい根性してやがる。勝手にしろ」
ガルバはソファに背を預けると、そっぽを向いた。
思いがけない展開にアンナはあっけにとられた顔をしている。
マロッキはため息をつく。
「ガルバ様、子供は助けたのでしょう?」
「そうなの?」
「アンナ、気を失っていたとき、子供も同じ場所にいたんじゃないのか?」
アンナがうなずく。
「奴隷解除は同じ場所にいた奴隷すべてに適用される。そして、奴隷ではないものを殺せば重罪だ。子供が死ぬことはない」
「そうだったの!」
「偶然だ」
ガルバは横を向いたまま答えた。
「ありがとう! ひどいことを言ってごめんなさい。あたし従者になるわ」
「俺様の隣を歩いても、恥ずかくない身なりにしろ」
ガルバはアンナに井戸で身体を洗うように命じると、マロッキからメイド服をもらってアンナに着替えさせた。アキがアンナの髪を切りそろえるのを見ると、マロッキは満足そうにうなずいた。
「少し磨いただけで良くなったわい。誰も奴隷とは思うまい」
アンナがマロッキに耳打ちする。
「マロッキさん、どうしてさっきガルバ様が子供を助けたとわかったの?」
「わしの観察力」
「凄い」
「というのは嘘で、ガルバ様は『知らねえ』というときは、知っているという意味だ。長年の付き合いだからわかる。わしに感謝しろよ」
「必ず恩返しにくるわ」
「そう思うなら、返しにはくるな。絶対にだ」
マロッキはそう言うと旅に必要な手荷物をアンナに押し付けるように持たせた。
「ガルバ様、日が暮れると門も締まります。陽も高いうちに出立してはいかがですかな。さあ、さあ」
これ以上、物を取られてはかなわぬとばかりに、ガルバをうながした。
二人が扉から出ると、マロッキは大きな息を吐き、ソファに腰を沈めた。疲労でぐったりとしながらも、自分は人知れず王都を救ったのだという、隠れた英雄としての達成感を味わっていた。
「旦那様!」
「ゆっくりさせろ。大仕事を終えたところだ」
「それが、ガルバ様を見ていたら…」
「なぜ見ていた? 戦いたいのか?」
「とんでもない! 私を瞬殺するほど強い御方。つい、どこへ行かれるのかと思って…」
アキが普段と違う、しおらしい姿を見せたのでマロッキは鼻白んだ。
「で、そのお強い御方とやらどうしたのだ?」
「門とは逆の方向に歩いていきました」
「なんだと! すぐに馬車を用意しろ!」
マロッキはステッキを手に立ち上がる。彼の短すぎる休息は終わった。
不慣れな作品を読んでいただきありがとうございます。
ブックマークと評価をいただけると、とても嬉しいです。
よろしくお願いします。