毒舌従者は、今日も主にそっけない
ルーデウス伯爵家には、とある名物がある。それは――。
「エディ、いい加減観念なさい。今日で360回目よ」
「正確には361回目ですね。本当にお嬢の頭は残念でいらっしゃる」
「うるさいわね!でもなんだかんだ回数まで正確に覚えていてくれるところも好きよ、大好き!今日も最高にカッコイイわ!」
「はいはいどーも。毎日飽きもせず告白して、毎日フラれても折れないところだけは好ましく思いますよ。雑草の生命力みたいで」
「好ましく……つまりわたくしのことが好きってことかしら!?」
「都合のいい部分だけ聞くな」
「たまに出る素の罵倒も素敵よ」
ルーデウス伯爵家のひとり娘、エレノアによる従者――エディへの求愛ショーである。
エレノアが17歳になってからだ。突然始まったそれは、最初こそふたりだけで密やかに行われていた。
しかし、5回を超えたあたりからエレノアを応援するメイドがちらほらと見物に来るようになり、10回を超えたあたりで庭師やら使用人やらが集まり、30回目あたりでは「お嬢様の求愛ショーはこちら」という案内看板が立てられ……。
ついに今では、使用人の間で賭けの対象になっていた。
ちなみに今日のオッズは1.1倍と106倍だった。どちらがどちらかは想像にお任せするが。
「全く。もうすぐ18歳になるというのにこんな調子じゃ、行き遅れて嫁の貰い手がなくなりますよ」
「むしろそれが目的よ。そうしたら貴方に貰ってもらえるじゃない」
「ぬかせ」
従者としてあるまじき言動の数々も、惚れた弱みというものか、エレノアはすっかり許してしまっている……どころか嬉々として受け入れている。
エディは元々貴族だったらしいが、家が没落し親に捨てられ、すっかり孤児院の主となっていた9歳の彼を見初めたのは当時6歳のエレノア。理由は「最高にカッコいいから」。
可愛いひとり娘の言うことだ。エレノアの父は、彼を従者に据えたいというエレノアの願いを叶えるため、彼を半ば無理やり孤児院から引き取った。
エディは孤児院で年下のお世話をすることはあっても、従者の経験はなかった。それでも愛しいひとり娘のためだ。エレノアの母は、彼にこれでもかと教育を施した。
貴族社会における所作、立ち居振る舞いなどの知識を与え、ルーデウス伯爵家に代々仕えているバトラーについて回らせた。習うより慣れろ、というものだ。
使用人とは何たるか、従者に求められるものは何か、そういったことを短い期間に全て叩き込ませた。
その結果、エディは瞬く間に敏腕従者となっていた。拾ってもらった恩もあったのだろう。
その成長速度に、バトラーさえ驚きを隠せずにいた。――今となっては、その教えも全く意味をなしてないわけだが。
「まぁ今日のところは見逃してあげる。だからエディ、私にお茶を淹れてくれないかしら?とびっきりの愛情を込めたお茶よ」
「これっぽっちも愛情が込もってないお茶でよければ。ちょうど蒸らし終わるので飲み頃になりますよ」
「スマートで本当に素敵ね、貴方がいない生活なんて考えられないわ。ねぇ、今から禁断の2回目の求愛をしていいかしら?」
「嫌です」
「残念」
なりふり構わず告白しているように見えるが、実はエレノアにも求愛の流儀がある。
ただひとつ、エレノアが課している掟――告白は1日1回まで、だ。
17歳から始まった求愛ショーは、エレノアの誕生日を4日前に控えた今日で361回目。
エレノアは意外にもしっかりと掟を守り、そしてエディもそれを理解し、頑なに2回目の求愛を固辞するのだ。
そんな日々が当たり前になり、こんなのでエレノアは本当に大丈夫なのだろうかと将来を憂いながらも、どこか心地良さを感じていた。
誕生日前日に364回目の求愛を断りながら、こんな日が毎日続けばいいのに……いや、エレノアのことだ、どうせ毎日続く。明日はどう断ってやろうか。
エディは、そんなことさえ考えていた。
◇◆◇
エディがそんなことを考えているとは露知らず、遂にエレノアは18歳の誕生日を迎えた。
「誕生日おめでとう、エレノア。もう貴女も立派なレディね」
「ありがとう、お母さま。やっと私も大人の仲間入りよ」
「結婚なんてしなくていいからな。ずっと家にいればいい」
「もう、お父さまったら。家を潰すつもり?」
そんなふうに会話が弾み、普段より幾分豪華な食卓を囲み、料理長からと貰ったケーキまで平らげ、あっという間に1日が終わろうとしていた。
――ひっそりと、使用人たちがひとつところに集まりざわめいていた。
「エレノア様、今日の求愛が……」
「それどころか、エディと片時も目を合わせなかったぞ」
「でもでも、もしかしたら私たちが見てないところで、日付が変わった瞬間にこっそりしてたのかもですよ!」
「いえ、お嬢様は10時頃にはご就寝だったかと」
「エディの奴も、明け方近くまで料理の仕込みを手伝ってくれてたからな。アリバイはある」
うーん、と頭を抱えていた彼らのもとに、噂をすれば何とやら、エディが通りかかったではないか。
「エ、エディ!今日はお嬢から」
「お嬢も人間です。忘れることくらいあります」
「でもよ……」
「皆さん、明日も早いのでしょう?料理長に至ってはクタクタでしょうし、今日は早く休みましょう」
では、と普段通りの態度で去っていったエディ。
この日を境に、エレノアの求愛ショーは行われなくなった。
◇◆◇
誕生日から3日後。求愛ショーはまだない。
「ま、まぁ、まだ3日だ。明日になったら……」
1週間、2週間。何日経とうと、求愛ショーは行われなかった。どころか、エレノアはエディを避けているようだった。
「絶っっっ対になにかがおかしい!」
「体調でも優れないのでしょうか。見たところ普段通りですが……」
「なぁ、エディ。お前もそう思うよな?」
と、渦中の人に視線が集まる。すっかり憔悴しきって顔色はすこぶる悪く、あれだけ美しくサラサラだった深紺の髪も、今では濡れた鴉のようにじっとりと輝きを失っている。
「……」
「あ、明日になったらきっと、な!」
「……」
「そ、そうですよ!ドッキリ大成功ー!なん、て……」
使用人たちがこぞって励まそうとするも、むしろ逆効果のようであった。スラッと長い手足を小さく折りたたんで体操座りをし、膝に顎を乗せたエディはどんどんと俯いていった。
――そして、ふと顔を上げた。
「俺、明日にはここを離れるかもしれません」
「なっ、エディ!」
「早まるな、そうと決まったわけじゃ!」
「カチコミだ」
「……え?」
「殴り込みに行くっつってんだ。生憎、俺は待てができない人間なんだ」
そうと決まれば、エディはそそくさと準備を始めた。
「せめて理由くらい吐かせねぇとな」
そんなふうに言いながらも、エディは料理長自慢の特製クッキーとエレノアのお気に入りのお茶を携えていた。
◇◆◇
「……はぁ」
その頃のエレノアはというと、窓の外を見てため息をついていた。こんな沈んだ心境なのに、月は憎たらしいほど美しく光を放っている。
ばふんと倒れ込んだ机上には、山積みになっている釣書が。
「エディ離れ、しなきゃな」
「聞き間違いですかね。今、誰から離れるって?」
後ろを振り向くと、音もなく部屋に入ってきたエディが、エレノアをじっと見つめていた。
外はこれほど明るいのに、エディの表情は全く見えない。ただ、声色が冷えきっていて、室内の温度もどれだけか下がった心地だ。
「あぁ、いけませんね。怖がらせたいわけではないんです。ほら、クッキーとお嬢の好きなお茶も持ってきました。ですから」
――どういうことなのか、さっさと吐きやがれ。
◇◆◇
「はぁー……」
「な、なによ!こっちだって真剣に悩んでたんだから!社交界デビューしてから結婚って2文字がついて回って、いざ結婚ってなった時に私はエディから離れなきゃいけないわけじゃない?だから」
「だから俺離れをしようと?」
「そうよ、今年で片思いは終わりにしようって決めたの。つらかったけど、貴族なんて政略結婚が当たり前って割り切ろうと思ってたの。……なのに、なんで」
すん、と鼻をすすった。少し涙も出てきて、エレノアは目を擦った。
「あぁもう、そんなことしたら目が腫れますよ。ほら、使ってください」
エディから差し出されたハンカチを受け取ると、勢いよく鼻をかんでそれを突き返した。エディは絶句していたが、エレノアは構わず続けた。……少しお茶を口に含む。相変わらず美味しい。好きだ。
「12年の片思いはこれでおしまい。最後の1年に364回も好きって伝えたんだもの、もう満足よ」
「……俺は」
「え?」
「俺の気持ちは、どうなるんですか。俺は、1回も……」
向かいに座っていたエディは立ち上がり、エレノアの前に跪いた。
「お嬢が364回も好きって言ってくれた。なら俺は、365回伝えます。あ、そういえば孤児院から俺を引き取ってくれた日にも、俺のことが好きだって言ってくれていましたね。なら俺は366日は伝えなきゃな」
エディはエレノアの左手を取り、薬指に口付けた。
「俺と結婚してくれ、エレノア」
◇◆◇
ルーデウス伯爵家には新たな名物がある。それは――。
「19歳の誕生日おめでとうございます、お嬢。ところで俺と結婚しませんか?」
ルーデウス伯爵家のひとり娘、エレノアの従者――エディの求愛ショーである。
「ありがとう、でも結婚はまだお断りよ」
「残念です。まぁ、そういう強かなところに惹かれたので、断られても悲しくともなんともないですけどね」
「あら、従者は主に似るのかしら。私も以前、同じようなことを思っていたわ」
「きっと好きな人に似てしまうんでしょうね」
「全く、エディったら口が減らないわね」
「お嬢こそ」
――ふたりが結ばれるまで、あと。