39 真夏の影と白のキャンバス
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七月二十日金曜日
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目を開けると、私は学校の教室にいた。
窓際の一番後ろの席に座っている。
窓の外は空いていて、生温かい風が頬を撫でる。
雨上がりのような匂いがする。
窓の外の景色は、いつも自分のクラスで見ているものと違った。
私はいつも二階で授業を受けているが、今は一階にいる。
中庭の風景から察するに、ここは一号棟の一階のようだった。
黒板の日付を見る。七月二十日だ。
三橋先輩の狙い通り、三日前にタイムリープできたのだ。
【命中】は発動した。
「琴雛、起きた?」
横から呼ばれて肩が飛び上がった。
隣の席に目を移すと、三橋先輩が座っていた。
「どうやら上手くいったみたいだな。」
三橋先輩が教室の時計を指差す。
時計は18時を示していた。
「丁度三日前だ。」
「【命中】を使ったんですね。」
私が言うと、三橋先輩はうなづいた。
「時間だけじゃないぜ。」
三橋先輩は姿勢を低くする。
顎を突き出して、廊下に目線を誘導する。
廊下に目をやると、女子生徒が廊下を歩いている。
「———一華ちゃん。」
廊下を歩いていたのは一華だった。
私は思わず体を潜める。
「どうしてここに。」
一華はこの時間、ヤナギンの家にいるはずだった。
実際、これまでのタイムリープでも帰宅する一華を目撃している。
本人も勉強していたと言っていたし、もう一度学校に行ったという情報はなかった。
「琴雛、追いかけるぞ。」
私と三橋先輩は尾行を開始した。
一号棟一階、一年二組の教室を出る。
声をかけるか迷ったが、とりあえず行き先を確認することにした。
一華に見つからないように、声を殺してつける。
一華は一号棟を出て、渡り廊下へ向かった。
遅れて、私と三橋先輩も続く。
辺りは静かだった。
いつも聞こえる吹奏楽部の練習音も聞こえない。
気づかれないよう、足音を消す。
一華は二号棟の階段を上っていった。
二階、三階と足を止めることなくのぼっていく。
一華が向かっていたのは、屋上だった。
誰も通らないからか、階段にはうっすらとほこりが積もって白くなっていた。
ガタン、と屋上への扉を開ける音が聞こえた。
屋上の鍵、開いていたのか?
そんな疑問が頭に浮かんだが、とりあえず屋上に向かうことを優先する。
扉に手をかける。
無機質な金属のドアノブは少し冷えていた。
ドアノブに体重をかけると、ゆっくりと扉が開いた。
風が吹き込んできて、前髪が視界からなくなる。
屋上の景色が一気に広がる。
屋上に一華はいなかった。
扉を開けて目に入ってきたものは、木のスタンドだった。
美術部が絵を描くときに絵を立てるための、傾いた台。
それが屋上の真ん中に、ぽつりとひとりで立っていた。
目をこらすと、スタンドに立てかけてあるキャンバスに何かが描いてある。
「あれ・・・」
私はその絵に見覚えがあった。
七つに区分分けされた風刺画。
憤怒、傲慢、色欲、怠惰、暴食、強欲、嫉妬。
七つの罪が描かれた、円状の絵。
「七つの大罪。」
そして、その絵には上から大きくバツ印がつけられていた。
失敗作だと、一目でわかる。
「おい、なんだよこれ!」
背後で、三橋先輩の声があがった。
振り返ると、三橋先輩は私の足元を指差していた。
足元を見ると、私は言葉を失った。
足元が、画用紙で埋め尽くされていた。
同時に、屋上に大量の画用紙が落ちていることにも気づいた。
画用紙には全て、七つの大罪の絵が描かれていた。
そして、全ての絵に大きくバツ印がつけられていた。
「これは・・・」
異常。とも思える数の絵に、息を飲む。
「おい、琴雛。」
肩を叩かれて、三橋先輩が屋上の隅に向いている目線を追う。
屋上の隅で、一華が体操座りをしてうずくまっていた。
顔を膝にうずめてピクリとも動かない。
「一華ちゃ————」
声をかけようとした、そのときだった。
視界が暗くなって、何も見えなくなった。
「え?」
自分の感嘆の声は聞こえた。
辺りを確認しようと、首を振る。
空を見上げても、漆黒が広がるのみ。
その黒は、光を無限に吸収しているように感じた。
距離感がわからない。
「あ!」
と三橋先輩の声が聞こえて、同時に視界が戻った。
元の屋上に戻っていた。
およそ二秒ほどだろうか。
一瞬とも言えるわずかな間だった。
地面に散乱した画用紙。
一つポツンとたたずむキャンバス。
そして、明らかに風景が一箇所変わっていた。
キャンバスの前に、女の子が立っている。
女の子は、まるでずっとそこにいたみたいに、キャンバスと向き合っている。
「一華ちゃん・・・」
キャンバスの前に現れたのは、一華ちゃんだった。
正確には、「もう一人の一華ちゃん」。
つまり、ドッペルゲンガーだった。
屋上の隅では、暗転前と変わらず一華ちゃんがうずくまっていた。
まさに今、この場でドッペルゲンガーは現れた。
「一華ちゃん」
次は話しかける声量で名前を呼ぶ。
突然現れた一華は、消しゴムでキャンバスの絵を消している。
「ほんと、下手だな、もう一人の私の絵。」
一華がつぶやく。
「お前、ドッペルゲンガーか。」
三橋先輩が、低い声で尋ねた。
「そうだよ。ドッペルゲンガー。」
突然現れた一華は、あっさりと認める。
何度もタイムリープして話したからわかる。
この一華は、赤いリボンの方だ。
「私を殺しにきたんでしょ?」
赤一華は言う。
——-なんとなくわかるんだ。私が分裂した方だって。ドッペルゲンガーなんだって。
過去のタイムリープで一華が言っていた。
「——ああ。動くな。」
三橋先輩が手に持っていたモデルガンを構えた。
銃口はまっすぐ一華を向いている。
「ちょっと、三橋先輩!」
思わずひき止める。
「ヒナちゃん、ありがとう。」
しかし、一華が口にしたのは、意外な言葉だった。
「少しだけど、この先三日間の記憶が残ってる。ヒナちゃんの能力だよね?」
———デジャブ。
まるで最近体験したような錯覚を起こす現象。
私がタイムリープして関わった人間は、少しずつ経験を蓄積させている。
全て覚えているわけではないが、断片的な記憶が残る。
「私のせいで、お兄ちゃんともう一人の私は死ぬ。なんとなくわかる。」
何回も繰り返したタイムリープが、死を予知させた。
そして、自分だけでなくヤナギンも死ぬことも。
「だから、殺しにきてくれたんだよね。」
恐らく、ヤナギンも妹が死ぬことがわかっていたのかもしれない。
だから、助けることができた。
何度タイムリープしても、ヤナギンは妹を助けた。
自分が死ぬとわかっていても、妹を助けた。
「お兄ちゃんさ、二人に分裂した妹になんて言ったと思う?二人とも進学させるだって。ありえないよね。バカなんじゃないかな、って思った。」
ヤナギンはバカだ。
本当のバカだ。
「でも、嬉しかった。」
一華は笑う。
三橋先輩に銃口を突きつけられているにも関わらず、真夏の太陽みたいに笑う。
「あーあ。」
一華は天を仰いだ。
赤いスプレーで塗ったみたいな空を見上げる。
「いいなあ。もう一人の私。」
気絶しているのか、隅にいる一華はうずくまったままピクリとも動かない。
「これからもお兄ちゃんと暮らせて。夢を応援してくれるお兄ちゃんと過ごせて。」
ドッペルゲンガーの一華はヤナギンのことをお兄ちゃんと呼ぶ。
小学生の頃は、お兄ちゃんと呼んでいた。
「貧乏だけど毎日楽しかったなあ。もうおしまいかあ。」
一華の息遣いが聞こえる。
「なんで私なんだろうなあ。なんで私が、ドッペルゲンガーなんだろうなあ。」
私は無力だ。
結局今も、何もできずに棒立ちしている。
「嫌だなあ。悔しいなあ。」
「一華ちゃん・・・」
ドッペルゲンガーの一華と話していると、まるで小学生の頃に戻ったような気分になる。
毎日のように三人で遊んだ、あの頃に戻ったような気分になる。
「ごめん、わがまま言っちゃった。待たせちゃってごめんなさい。撃ってください。」
一華がモデルガンを構える三橋先輩に言った。
そのときだった。
突然何かが破裂する音がした。
校庭の方からだ。
屋上から見ると、二つの人影と、巨大な氷柱が立っていた。
「——————!!!」
男の子が叫んでいる。
遠くて、よく見えない。
しかし、私には彼が誰かわかった。
そして、一華にも。
「———お兄ちゃんだ。」
一華の目がきらりと光って、湿る。
一華はゆっくりと目を閉じた。
そして、何か決断したように、ゆっくりと話し始める。
「ヒナちゃん、私とお兄ちゃんを助けてくれて、ありがとうね。」
大きな瞳が潤んで、震えている。
わかっているんだ。そう、私も、一華ももうとっくにわかっている。
ヤナギンが一華を助けたら、必ず死ぬことを。
「最後にお兄ちゃんに文句言ってやる。」
一華は息を大きく吸い込んだ。
「お兄ちゃんのばかああああ!!!ちゃんと本物の私のこと、幸せにしろよお!!!絵のこと、本当は諦めてないからあ!!私は否定するけど、私が絵の勉強したいってこと———-!!!!!」
ヤナギンに向かって、一華は叫ぶ。
この距離だ。聞こえていないだろう。
「忘れないで。」
私には、「私のことを忘れないで。」と聞こえた。
胸の中からこみ上げてくる。
思い出が、こみ上げてくる。
偽物だけど、間違いなく本物だった、一華がそこにいる。
「撃つぞ!琴雛!」
ああ。
結局助けられなかった。
「さよなら、ヒナちゃん。」
笑ったとき、大きな涙が一粒、落ちていくのが見えた。
「ありがとう。」
確かに一華はそう言った。
乾いた銃声が一発。
屋上に響いた。
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