36 -幕間- 田中実
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視点:田中実 30歳
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7年前
春。
咲良と俺は、二人で休日に散歩していた。
春になると毎年この場所にやってきて、花見散歩をするのが恒例となっていた。
近くの桜並木はネットの観光スポットランキングに載るほど有名で、一本道に整列する満開の桜は圧巻だ。
「後一週間で私も田中かあ。」
咲良はしみじみと言う。
手には近くの出店で買ったアイスクリームを持っている。
「別に君の名字にしてもいいんだよ?」
俺と咲良は、入籍を一週間後に控えていた。
5年の交際を経て、ついにプロポーズしたのだ。
プロポーズは無事成功し、俺たちは夫婦となる。
「いや、いい。田中がいいの。」
話し合って、二人の姓は田中に決まった。
咲良は珍しい名字だったので、本当にいいのかと念を押したが、彼女は田中がいいと言った。
「田中なんて普通の名字、どこがいいの。」
正直俺自身、田中の姓をいいと思ったことは一度もない。
同じクラスには同姓が何人もいたし、就職した会社でも何人もいた。
普通。無個性。
田中に俺の存在を感じたことは一度もない。
「普通だからいいのよ。」
そんな普通を、咲良は肯定した。
「私が田中になったら、二人ともずっと一緒に、普通に暮らせるってことでしょ?」
満開の桜が水平線まで続いている。
咲良の持つアイスクリームに、桜の花びらが一つ乗った。
「この桜を毎年、実と見れる。それってすごく素敵なことだよね。」
咲良は毎年、ここに来るたびに自分の名前の話をする。
私は自分の名前を気に入っていると。
咲良の名前が好きだと言った。
桜も、名前も、両方好きだから、この場所が好きだと言った。
「これで、名字も名前も私の好きなものになった。」
咲良は満開の笑みを浮かべる。
咲良と出会ってから、僕の名字は特別になった。
無個性な名字が、意味を持つようになった。
*
「被害者は田中咲良さん、30歳と判明しました。犯人は容疑を認めており・・・」
課長から呼ばれて、電話をとると、男は警察を名乗った。
「田中実さんですね。落ち着いて聞いてください。」
電話越しに伝えられた内容は、聞いてすぐに頭から抜け落ちた。
ただ一つ、咲良の死という事実を除いて。
犯人は前科がある男だった。
精神的にも異常があると医師に判断されており、短くなった刑期を全うした直後だったという。
男は多重人格の疑いがあり、殺したのも自分ではないもう一人の自分だという。
男は再び刑務所に入ったが、咲良の死に釣りあう罪の重さでは到底なかった。
俺は納得できず、男について血眼になって調べた。
すると、過去、男はドッペルゲンガーと遭遇し、加えて多数の目撃証言があることがわかった。
そこまでわかったとき、突然見知らぬ女から電話がきた。
「ドッペルゲンガーの正体を知りたいか。」
女は言った。
見透かしたような口調に最初は怯んだ。
「お前の嫁を殺したのがなんなのか、知りたくないか。」
その言葉で迷いは一瞬で消えた。
俺はすぐに会社をやめ、女の元へ向かった。
家を飛び出す。
着ていたシャツは、もう何日も洗っていない。
体も少し臭う。
徒歩に十分の駅に向かう。
道中には桜通りがあった。
桜はすでに枯れ落ちていた。
もう二度と、桜を見ることはないだろう。
俺はそう確信した。
*
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