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32 二つの今と一つの未来




七月二十三日月曜日



春家は、学校を休んでいた。

偶然か、水鳥の姿もなかった。

僕の知らないところで、能力(ルール)の調査の仕事でも入ったのだろうか。


「そんなわけないよな・・・」


一華の分裂について春家に詳しく聞こうと思っていたのだが、休みでは仕方がない。

明日聞こう。


放課後、妹の一華が僕の教室の前に立っていた。

一緒に春家に、二人になった現象について尋ねようと思っていたからだ。

制服姿の一華は、頭に青いリボンをつけている。青一華だ。


一華の姿を見て、僕はふと思う。



僕は春家に、何を聞こうと思っていたんだろう。



一華が二人になってしまったことを報告?

一人に戻す方法?


それとも、一華が二人になった原因?



いや、それは違う。



————だって、"一華が分裂した原因は、【分裂】なのだから"。



それに、春家は一人に戻す方法を知らないと言っていたし。


ならなぜ、僕は春家に会おうと思っていたのだろうか?


重大な何かを、見落としているような気がする。



「凛太郎、春家さんは?」


廊下に出ると、一華が尋ねる。


「今日は休みだった。明日聞こう。」


そう、とがっかりしたように、一華はうなだれた。


「帰ろう、一華。家にいる一華も心配だし。」





僕と一華は、二人で学校を出た。

二人で帰宅するのは久しぶりだ。

校門を出ると、もう夏本番だというのに少しだけ肌寒い気がした。


「凛太郎、どうしたの。さっきから黙りこんで。」


一華が顔を覗き込んでくる。


「いや、考え事。」


ふうん、と一華が口を尖らせる。



「ねえ、もし私ともう一人の一華、どちらかが明日消えるってなったらどうする?」


一華は突然、そんなことを聞いた。

カラオケ寄ろうよ!と後ろで女の子が数人で楽しそうに会話している。

遠くでピッとクラクションの音がした。


「はあ?なんでだよ」


青一華は黒いスクールバックを手に持っている。

開け口の金属が、夕焼けに反射して光っている。


「いや、普通に考えてさ、同じ人間が二人もいるなんておかしいじゃん。だから、ある日朝起きたら、どっちか一人に戻ってるかもしれないなと思って。」


同じ人間が二人いるのはおかしい、か。


———ルール違反

そんな言葉が頭を過ぎる。


「片方だけ突然消えるってことか?」


「あり得るかもね。」


そういえば、一華が二人になったときはどうだったのだろうか。

一度状況を聞いたような気がするが、思い出せない。

確か寝て起きたら二人になっていたと言っていたような。

もしそうなら、寝て起きたら突然一人に戻っている可能性もある。



「・・・正直、お前らが二人になってから数日しか経ってないけど、どっちも本物の妹みたいに感じている。昔からずっと一緒だったみたいな、まるで最初から妹が二人いたような。」


週末の三日間だけ、妹二人と、夜ご飯を食べた。

三人でテレビを見て、たわいもない話をした。


赤一華のデートの話を聞いたり、青一華が赤一華に勉強を教えていたり、リボンを外してどっちがどっちの妹か当てっこをしたり。



「このままずっと二人のままでいいと思う?」



青一華は尋ねる。それがどういう意図なのかは分からなかったが、僕の回答は決まっていた。



「二人でいいよ。もうどっちがどっちか見分けもつくしな。」



勉強と運動ができなくなって、絵がずば抜けて上手い一華。

感情表現が下手で、勉強と運動は完璧で、辛いもの好きな一華。


僕のことをお兄ちゃんと呼ぶ一華。

僕のことを凛太郎と呼ぶ一華。



「私ともう一人の私、進みたい道が違っていても?」


「両方いけるようにするさ。お前は普通科、あっちは芸術科だろ?いけばいいよ。いや、行ってほしい。お前ならできる。」


「ふふっ。このシスコン。」


青一華が笑う。

なんだ、ちゃんと笑うじゃないか。


「でも私、もし二人のうちどちらかしか生き残れないなら、消えるべきなのは私だと思ってた。」


砂利を含んだコンクリートが、靴で踏むたびザクザクと音を立てる。

いつもの冷静な口調に比べて、早口になっている。


「あの子、私の理想なの。勉強が多少できなくなったとしても、明るいし、可愛いし。何より、子供の頃からの夢だった、絵を描く仕事を目指す権利がある。」


「それならお前にだって・・・」


「私にはできない!」


A4の画用紙に描かれた七つの大罪の模写。

鉛筆で描かれたはずなのに、まるで絵具で描かれたみたいだった。

赤一華は、一晩で完璧な鉛筆画を描きあげた。


「もし才能がないことがわかったら・・・途中でやめたくなったら・・・絵が嫌いになるかもって・・・先のこと考えたら、どうしても絵の道に進むことができない。こんな中途半端なこと考えている時点で、私は紛れもなく凡才。絵で食っていくなんて到底無理。」


「一華・・・」


青一華は勉強ができる。運動ができる。

彼女には選択肢がたくさんある。


「だけど、あの子は紛れもなく天才だよ。同じ私のはずなのに、おかしいよね。私、嫉妬してる。今朝見たでしょ?七つの大罪の模写。その時確信した。私、あの子に嫉妬してるって。」


選択肢が多いことは必ずしも幸福とは限らない。

選択肢の多さに、彼女は悩んでいる。

それゆえに、まっすぐな自分に憧れているのかもしれない。


「だから、消えるべきなのは私。」


一華がそう言った時、僕の中で何かを思い出す感覚があった。

それは、学校帰りの大きな交差点だった。


大きなトラックがよく通る、大通り沿い。


信号は一度赤になると長く、かなり待たなければならない。

前方で、青信号が点滅している。


いつの間にか、記憶の交差点に僕と一華は着いていた。


まさか。


「お前はあの時————」



「おーい!二人とも!おかえり〜!」



交差点の向こう岸から、大げさに手を振る女の子が見えた。

頭には赤いリボンをつけていて、無地の白いTシャツ着ている。


青信号になるや走り出してきて、笑顔で両手を広げる。

ドクンと、心臓が高鳴る。

警鐘を鳴らすみたいに、鼓動している。


「いやあ、一人で自宅待機は退屈すぎてねえ。迎えに来ちゃった。」


暇すぎて死ぬかと思った。と彼女は言う。


走ってきたのは、赤一華だった。


「今日はさあ、三人で遊ぼうよ。久しぶりにゲームとかしてさ。何年くらいやってないかな。昔はお兄ちゃん私に全然勝てなくて泣いてたもんね。」


呆然として立ち尽くす僕に、赤一華が無邪気な笑顔を浮かべて走ってくる。


「負けたらアイス奢りだからね!」


赤一華が喚き散らしているうちに、交差点の信号が赤になってしまった。


「ゲーム、ゲーム、お兄ちゃんとゲーム!」


赤一華は上機嫌でステップを踏んでいる。

赤一華はまるで、昔の一華みたいだ。小学生の一華が、そのまま高校生になったような。

天真爛漫で表情が豊か、いつも僕を振り回す妹。


その時、背筋の下から首にかけて悪寒が走った。


何か、おかしい。


それは曖昧だが、確実な焦燥だった。


一華が二人、僕のそばにいる。



嫌な予感とも違う。

僕は何か、何か思い出さないといけない。


絶対に忘れてはいけない何かがあったはずだ。


「ヤナギン!!」


背後から、悲鳴にも似た女の子の声が聞こえた。

その呼び方をする人は、今は一人しかいない。


「はあ、はあ、間に合った・・・」


水鳥琴雛。

頭二つ分小さい身長の水鳥が、肩を大きく上下させている。


「水鳥、学校休んでたんじゃ・・・」


「その交差点から離れて!」


僕の疑問を遮って、水鳥は叫ぶ。



ドン!!!


同時に何かが爆発したみたいな音がした。

反射的に音の方向を睨みつける。

交差点の向こう。


車線ギリギリまで幅がある巨大なトラックがいる。

トラックはおよそ45度に傾いていた。

瞬きする間にトラックは側面を地面に擦り付けた。


トラックが倒れたのだと認識する。

火花が散った。

次々と起こる現象は、頭を整理する時間をくれない。



「逃げて!!!!」


水鳥がまた叫んだ。


トラックは倒れてもスピードを落とすことはなかった。

悲鳴みたいな金切り声をあげて、こちらに突っ込んでくる。

とっさに一華をみる。赤いリボンの一華は、ガードレールの外にいた。

まっすぐ赤一華に向かっていく。


現実はまたない。

ならすぐに動け。

体だけじゃない。

頭も同時に動かせ。

考えろ考えろ考えろ。


僕は知っている。

この状況を明らかに一度、経験したことがある。

水鳥に会って確信した。

この後すぐ、トラックが赤一華に突っ込んでいって———


赤一華を助けた青一華にぶつかる。


「凛太郎!!!!」


後ろから強く服を引っ張られた。

僕を後ろに引っ張ったのは、青一華だ。

素早い、迷いのない動きだった。


——すごいな、一華は。


こんな状況でも、すぐに体を動かせる妹に感服する。


「待て!止まれ!」


歯を食いしばる。

僕を追い抜こうとする青一華の肩を強く掴む。

ガードレールを飛び越えようとする青一華を、間一髪で留めることに成功した。

なら、僕もやれるだろ。やるんだ!


助けろ。

助けろ。


「凛太郎!!!」


青一華が叫ぶ。


一華を二人とも、大学に進学させるんだろ!?


ガードレールを、ワシ掴みにする。

僕の身体能力じゃ、一華のところまで間に合ってもトラックを避けられない。

集中しろ。

守るんだ。


赤一華は、蛇に睨まれたカエルみたいに、その場に固まっていた。


「ふえろ・・・・・・」


ガードレールだ、これを増やす。


【増殖】


ガードレールがトラックの前に出現する。

しかし、ガードレールは割り箸みたいに簡単に折れた。

トラックの勢いは止まらない。


もっと、もっとだ、もっと増やせ!


「あああああああああ!!!」


頭から血が引いていくのがわかる。

脱水症状のような、意識が混濁していくような感覚。


トラックと赤一華の間、道路の交差点に次々とガードレールを発生させる。

現れては折れ、現れては折れる。


ふえろふえろふえろ!!!


呪文などはない。

ただイメージするだけ。まるで————祈っているみたいに。

どろりとした食感を唇に感じる。

手で抑えると、血がついていた。

両方の鼻から、血が吹き出している。


ガラスが割れる音が聞こえる。

トラックが地面を擦る音は、普段耳にするような摩擦音ではなく、人間の叫び声に近かった。


「ヤナギン!斜めに!」


と声が聞こえて、とっさにガードレールを車線に沿うように配置した。


その瞬間、僕と一華の目の前を横たわる巨大なトラックが通過した。

鉄のトラックが、断末魔のような金属音をあげて無数のガードレールを削っていく。

赤一華の前に何重にも重なったガードレールに沿って、トラックは軌道をかえ、建物に突っ込んでいった。


トラックの後ろ姿を見て、僕は膝から崩れ落ちる。

・・・助かった。


一華は、大量のガードレールに囲まれて座り込んでいた。

ガードレールの障壁が一華を守った。

一華が、助かった。



「ヤナギン!」


安堵したのも束の間、強い力で腕を引っ張られる。


「この後まだ、車が突っ込んでくる!」


言われて、混濁していた意識が戻ってくる。


そうだ。

トラックだけじゃない。

まだ終わっていない。


震える足を抑えて、赤一華の元に向かう。

吹き出した鼻血を拭うと、袖が真っ赤になった。


「お兄ちゃん・・・」


一華も震えていた。

立てなくなっている。


「走るぞ。」


震える妹を見て、足腰に力が入る。

僕は赤一華に肩を貸して、立ち上がった。

青一華と水鳥も肩を貸し合って、交差点から逃げる。


交差点から十分距離を取っても、水鳥は足を止めなかった。


「・・・水鳥」


「このまま学校まで避難する。」


僕の疑問に答えるように、水鳥は力強く言う。


ヤナギン、と僕の名前が呼ばれた気がした。


「未来が変わってる。」












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