32 二つの今と一つの未来
*
七月二十三日月曜日
春家は、学校を休んでいた。
偶然か、水鳥の姿もなかった。
僕の知らないところで、能力の調査の仕事でも入ったのだろうか。
「そんなわけないよな・・・」
一華の分裂について春家に詳しく聞こうと思っていたのだが、休みでは仕方がない。
明日聞こう。
放課後、妹の一華が僕の教室の前に立っていた。
一緒に春家に、二人になった現象について尋ねようと思っていたからだ。
制服姿の一華は、頭に青いリボンをつけている。青一華だ。
一華の姿を見て、僕はふと思う。
僕は春家に、何を聞こうと思っていたんだろう。
一華が二人になってしまったことを報告?
一人に戻す方法?
それとも、一華が二人になった原因?
いや、それは違う。
————だって、"一華が分裂した原因は、【分裂】なのだから"。
それに、春家は一人に戻す方法を知らないと言っていたし。
ならなぜ、僕は春家に会おうと思っていたのだろうか?
重大な何かを、見落としているような気がする。
「凛太郎、春家さんは?」
廊下に出ると、一華が尋ねる。
「今日は休みだった。明日聞こう。」
そう、とがっかりしたように、一華はうなだれた。
「帰ろう、一華。家にいる一華も心配だし。」
*
僕と一華は、二人で学校を出た。
二人で帰宅するのは久しぶりだ。
校門を出ると、もう夏本番だというのに少しだけ肌寒い気がした。
「凛太郎、どうしたの。さっきから黙りこんで。」
一華が顔を覗き込んでくる。
「いや、考え事。」
ふうん、と一華が口を尖らせる。
「ねえ、もし私ともう一人の一華、どちらかが明日消えるってなったらどうする?」
一華は突然、そんなことを聞いた。
カラオケ寄ろうよ!と後ろで女の子が数人で楽しそうに会話している。
遠くでピッとクラクションの音がした。
「はあ?なんでだよ」
青一華は黒いスクールバックを手に持っている。
開け口の金属が、夕焼けに反射して光っている。
「いや、普通に考えてさ、同じ人間が二人もいるなんておかしいじゃん。だから、ある日朝起きたら、どっちか一人に戻ってるかもしれないなと思って。」
同じ人間が二人いるのはおかしい、か。
———ルール違反
そんな言葉が頭を過ぎる。
「片方だけ突然消えるってことか?」
「あり得るかもね。」
そういえば、一華が二人になったときはどうだったのだろうか。
一度状況を聞いたような気がするが、思い出せない。
確か寝て起きたら二人になっていたと言っていたような。
もしそうなら、寝て起きたら突然一人に戻っている可能性もある。
「・・・正直、お前らが二人になってから数日しか経ってないけど、どっちも本物の妹みたいに感じている。昔からずっと一緒だったみたいな、まるで最初から妹が二人いたような。」
週末の三日間だけ、妹二人と、夜ご飯を食べた。
三人でテレビを見て、たわいもない話をした。
赤一華のデートの話を聞いたり、青一華が赤一華に勉強を教えていたり、リボンを外してどっちがどっちの妹か当てっこをしたり。
「このままずっと二人のままでいいと思う?」
青一華は尋ねる。それがどういう意図なのかは分からなかったが、僕の回答は決まっていた。
「二人でいいよ。もうどっちがどっちか見分けもつくしな。」
勉強と運動ができなくなって、絵がずば抜けて上手い一華。
感情表現が下手で、勉強と運動は完璧で、辛いもの好きな一華。
僕のことをお兄ちゃんと呼ぶ一華。
僕のことを凛太郎と呼ぶ一華。
「私ともう一人の私、進みたい道が違っていても?」
「両方いけるようにするさ。お前は普通科、あっちは芸術科だろ?いけばいいよ。いや、行ってほしい。お前ならできる。」
「ふふっ。このシスコン。」
青一華が笑う。
なんだ、ちゃんと笑うじゃないか。
「でも私、もし二人のうちどちらかしか生き残れないなら、消えるべきなのは私だと思ってた。」
砂利を含んだコンクリートが、靴で踏むたびザクザクと音を立てる。
いつもの冷静な口調に比べて、早口になっている。
「あの子、私の理想なの。勉強が多少できなくなったとしても、明るいし、可愛いし。何より、子供の頃からの夢だった、絵を描く仕事を目指す権利がある。」
「それならお前にだって・・・」
「私にはできない!」
A4の画用紙に描かれた七つの大罪の模写。
鉛筆で描かれたはずなのに、まるで絵具で描かれたみたいだった。
赤一華は、一晩で完璧な鉛筆画を描きあげた。
「もし才能がないことがわかったら・・・途中でやめたくなったら・・・絵が嫌いになるかもって・・・先のこと考えたら、どうしても絵の道に進むことができない。こんな中途半端なこと考えている時点で、私は紛れもなく凡才。絵で食っていくなんて到底無理。」
「一華・・・」
青一華は勉強ができる。運動ができる。
彼女には選択肢がたくさんある。
「だけど、あの子は紛れもなく天才だよ。同じ私のはずなのに、おかしいよね。私、嫉妬してる。今朝見たでしょ?七つの大罪の模写。その時確信した。私、あの子に嫉妬してるって。」
選択肢が多いことは必ずしも幸福とは限らない。
選択肢の多さに、彼女は悩んでいる。
それゆえに、まっすぐな自分に憧れているのかもしれない。
「だから、消えるべきなのは私。」
一華がそう言った時、僕の中で何かを思い出す感覚があった。
それは、学校帰りの大きな交差点だった。
大きなトラックがよく通る、大通り沿い。
信号は一度赤になると長く、かなり待たなければならない。
前方で、青信号が点滅している。
いつの間にか、記憶の交差点に僕と一華は着いていた。
まさか。
「お前はあの時————」
「おーい!二人とも!おかえり〜!」
交差点の向こう岸から、大げさに手を振る女の子が見えた。
頭には赤いリボンをつけていて、無地の白いTシャツ着ている。
青信号になるや走り出してきて、笑顔で両手を広げる。
ドクンと、心臓が高鳴る。
警鐘を鳴らすみたいに、鼓動している。
「いやあ、一人で自宅待機は退屈すぎてねえ。迎えに来ちゃった。」
暇すぎて死ぬかと思った。と彼女は言う。
走ってきたのは、赤一華だった。
「今日はさあ、三人で遊ぼうよ。久しぶりにゲームとかしてさ。何年くらいやってないかな。昔はお兄ちゃん私に全然勝てなくて泣いてたもんね。」
呆然として立ち尽くす僕に、赤一華が無邪気な笑顔を浮かべて走ってくる。
「負けたらアイス奢りだからね!」
赤一華が喚き散らしているうちに、交差点の信号が赤になってしまった。
「ゲーム、ゲーム、お兄ちゃんとゲーム!」
赤一華は上機嫌でステップを踏んでいる。
赤一華はまるで、昔の一華みたいだ。小学生の一華が、そのまま高校生になったような。
天真爛漫で表情が豊か、いつも僕を振り回す妹。
その時、背筋の下から首にかけて悪寒が走った。
何か、おかしい。
それは曖昧だが、確実な焦燥だった。
一華が二人、僕のそばにいる。
嫌な予感とも違う。
僕は何か、何か思い出さないといけない。
絶対に忘れてはいけない何かがあったはずだ。
「ヤナギン!!」
背後から、悲鳴にも似た女の子の声が聞こえた。
その呼び方をする人は、今は一人しかいない。
「はあ、はあ、間に合った・・・」
水鳥琴雛。
頭二つ分小さい身長の水鳥が、肩を大きく上下させている。
「水鳥、学校休んでたんじゃ・・・」
「その交差点から離れて!」
僕の疑問を遮って、水鳥は叫ぶ。
ドン!!!
同時に何かが爆発したみたいな音がした。
反射的に音の方向を睨みつける。
交差点の向こう。
車線ギリギリまで幅がある巨大なトラックがいる。
トラックはおよそ45度に傾いていた。
瞬きする間にトラックは側面を地面に擦り付けた。
トラックが倒れたのだと認識する。
火花が散った。
次々と起こる現象は、頭を整理する時間をくれない。
「逃げて!!!!」
水鳥がまた叫んだ。
トラックは倒れてもスピードを落とすことはなかった。
悲鳴みたいな金切り声をあげて、こちらに突っ込んでくる。
とっさに一華をみる。赤いリボンの一華は、ガードレールの外にいた。
まっすぐ赤一華に向かっていく。
現実はまたない。
ならすぐに動け。
体だけじゃない。
頭も同時に動かせ。
考えろ考えろ考えろ。
僕は知っている。
この状況を明らかに一度、経験したことがある。
水鳥に会って確信した。
この後すぐ、トラックが赤一華に突っ込んでいって———
赤一華を助けた青一華にぶつかる。
「凛太郎!!!!」
後ろから強く服を引っ張られた。
僕を後ろに引っ張ったのは、青一華だ。
素早い、迷いのない動きだった。
——すごいな、一華は。
こんな状況でも、すぐに体を動かせる妹に感服する。
「待て!止まれ!」
歯を食いしばる。
僕を追い抜こうとする青一華の肩を強く掴む。
ガードレールを飛び越えようとする青一華を、間一髪で留めることに成功した。
なら、僕もやれるだろ。やるんだ!
助けろ。
助けろ。
「凛太郎!!!」
青一華が叫ぶ。
一華を二人とも、大学に進学させるんだろ!?
ガードレールを、ワシ掴みにする。
僕の身体能力じゃ、一華のところまで間に合ってもトラックを避けられない。
集中しろ。
守るんだ。
赤一華は、蛇に睨まれたカエルみたいに、その場に固まっていた。
「ふえろ・・・・・・」
ガードレールだ、これを増やす。
【増殖】
ガードレールがトラックの前に出現する。
しかし、ガードレールは割り箸みたいに簡単に折れた。
トラックの勢いは止まらない。
もっと、もっとだ、もっと増やせ!
「あああああああああ!!!」
頭から血が引いていくのがわかる。
脱水症状のような、意識が混濁していくような感覚。
トラックと赤一華の間、道路の交差点に次々とガードレールを発生させる。
現れては折れ、現れては折れる。
ふえろふえろふえろ!!!
呪文などはない。
ただイメージするだけ。まるで————祈っているみたいに。
どろりとした食感を唇に感じる。
手で抑えると、血がついていた。
両方の鼻から、血が吹き出している。
ガラスが割れる音が聞こえる。
トラックが地面を擦る音は、普段耳にするような摩擦音ではなく、人間の叫び声に近かった。
「ヤナギン!斜めに!」
と声が聞こえて、とっさにガードレールを車線に沿うように配置した。
その瞬間、僕と一華の目の前を横たわる巨大なトラックが通過した。
鉄のトラックが、断末魔のような金属音をあげて無数のガードレールを削っていく。
赤一華の前に何重にも重なったガードレールに沿って、トラックは軌道をかえ、建物に突っ込んでいった。
トラックの後ろ姿を見て、僕は膝から崩れ落ちる。
・・・助かった。
一華は、大量のガードレールに囲まれて座り込んでいた。
ガードレールの障壁が一華を守った。
一華が、助かった。
「ヤナギン!」
安堵したのも束の間、強い力で腕を引っ張られる。
「この後まだ、車が突っ込んでくる!」
言われて、混濁していた意識が戻ってくる。
そうだ。
トラックだけじゃない。
まだ終わっていない。
震える足を抑えて、赤一華の元に向かう。
吹き出した鼻血を拭うと、袖が真っ赤になった。
「お兄ちゃん・・・」
一華も震えていた。
立てなくなっている。
「走るぞ。」
震える妹を見て、足腰に力が入る。
僕は赤一華に肩を貸して、立ち上がった。
青一華と水鳥も肩を貸し合って、交差点から逃げる。
交差点から十分距離を取っても、水鳥は足を止めなかった。
「・・・水鳥」
「このまま学校まで避難する。」
僕の疑問に答えるように、水鳥は力強く言う。
ヤナギン、と僕の名前が呼ばれた気がした。
「未来が変わってる。」
*
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