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30 青の虚像





七月二十日金曜日十九時





「お兄ちゃん」


風が木の葉を揺らしている。

日が落ちた後の風は少しだけ冷たくて心地いい。


「お兄ちゃんってば、聞いてる?」


質問されたのが自分だとわかって、我に返る。

オレンジ色の空から、焦点が引き戻される。

目の前には、二人の妹がいた。

木の屋根の下、暗い夜道に二人の女の子が立っている。

一人は制服、一人はジャージ姿だ。


妹が二人いることに違和感は覚えなかった。

まるで僕には最初から妹が二人いるみたいに。

毎日三人で同じ屋根の下で暮らしてきたような馴染み深さを感じる。


しかし、そんなはずはない———

ほんの数分前、妹が二人になったと告白されたはずである。

僕の【増殖】が暴発して、一華が二人になってしまったのだ。


「ああ、聞いてるよ、で、なんだっけ?」


「聞いてないじゃん!!」


制服の妹が足を蹴ってきた。ローキックだ。

腰がちゃんと入っているのか、結構痛い。

兄を蹴るときに腰を入れるな。


「緊急事態なんだってば。」


ジャージ姿の"青一華"が口を開く。


———青一華。


僕はなぜジャージの方の妹を青一華だと思ったのだろう。

ジャージの方の妹が青一華で、制服の方は赤一華だ。

どこにも青や赤の要素はない。

なのになぜ、色を頭につけた名前を思い浮かべたのだろう。



「二人いるから、どちらかに決めないといけない。」


「そう。明日のデートにどちらが行くか。」


記憶も同じ同一人物である。

考えは同じようだ。声が揃う。


「そんなの、お前らで決めろよ。」


「決まらないから頼んでるのよ。お互い引かないからね。元は凛太郎のせいなんだし、責任とって決めてよ。」


二人がどうして青一華と赤一華なのか。

その疑問はデートの選出方法を考えることで頭から抜け落ちた。


「ジャンケンすればいいだろ。」


議論で決まらないなら、運任せにすれば良いだろう。


しかし妹二人は、

「それじゃ納得いかない。」

と一蹴する。



「あみだくじ。」


「ジャンケンと同じだし。バカ兄。」


話し合いもダメ、ジャンケンもダメなら、どうやって決めればいいんだ。

サジを投げたくなったが、ふと妙案が浮かぶ。

妹は二人に増殖した。

赤一華は勉強が分からなくなっていて、他にも得意分野が分かれている可能性がある。

そして、他の分野はまだ試していない。


「じゃあこういうのはどうだ?」


人差し指を立てると、二人の視線が集まる。


「絵を描いて上手かったほうが勝ち。お題は自由。僕が判定して、勝った方がデートに行くというのは?」


絵の巧さで勝負。これなら二人の妹の得意不得意を調査できて、一石二鳥だ。


「え」

とこぼしたのは青一華の方だった。


同意をもらえると確信していた僕に対し、妹二人の反応は意外にも薄かった。

確か、一華は昔から絵が好きで、進路についても芸術関係の道に進みたいはずなのだが。


「・・・いいよ。」


やや間があって、赤一華が賛成した。


「よし、早速家に帰って描こう。」


「やる気なのはいいけど凛太郎、」

青一華が釘を刺す。


「バイトは放っておいていいの?」


「あ」


言われて自分の服装に目を落とす。

酒配達のバイトの指定服だ。

同時に置きっぱなしの自転車とお酒のことも思い出した。


「明日の朝見せてもらうから!」


口を一の字に結んだ二人の妹に向かって、背を向けながら叫ぶ。

妹の返事を聞く前に、僕は自転車を置いた歩道に向かって走り出した。





翌朝、起きるといい香りがした。

リビングに行くと、青一華がテーブルでコーヒーを飲んでいた。


「相変わらず起きるの早いな。土曜日なのに。」


ふう、と一華がコーヒーに息を吹きかける。


「早起きしたら得した気分になるから。」


マグカップを置いて、一華は言う。


「コーヒーうまそうだな。」


一華はいつもブラックを飲む。

黒々としたコーヒーが鏡面になって、一華の顔を映している。


「うん、美味しい。」


「早起きは三文の得っていうやつか?」


思いついたことわざを、なんとなく口にしてみる。

一華の向かいの席に座る。


「確かに、休日の朝に飲むコーヒーは格別な気がするわ。」


飲むタイミングで、コーヒーの味は変わるのだろうか。


「今朝は他にいいことあった?ほら、三文って言うし。」


早起きは三文の得。三つはいいことがあるということだ。


「凛太郎、三文は三回じゃなくてお金のことよ。」


「え?そうなの?」


"文"という単位が馴染みがなかったので、回数かと思った。

お金の単位だったのか。


「じゃあ、三文っていくらくらいなんだろ?」


考えることもせず、一華に質問する。

妹から物事を教えてもらうことに、今更抵抗など感じない。

妹は僕より優秀なことはわかり切っている。


「さあ。百円くらいじゃない?」


「一華、自分で早起きは得だとか言う割には激安じゃないか。季節の変わり目のセールか?」


「売れ残った冬服じゃないし。凛太郎はいくらだと思うの。」


「三文っていうくらいだから、三千円くらいじゃないか?」


「凛太郎、文は昔の単位だから、キリのいい数字とは限らないのよ。」


「・・・・」


「・・・・」


階段を降りてくる足音が聞こえた。

通常この家の二階から降りてくる人物は、僕と妹の二人しかいない。

しかし、現在はもう一人いる。

この家には妹がもう一人いるからだ。


「ふああ。おはよう。二人とも。」


大きなあくびをしながら、赤一華が起きてきた。


「おい一華、早起きは三文の得の三文って、いくらくらいだと思う?」


青一華と話していた内容を、赤一華にも聞いてみる。

青一華と赤一華は、同一人物である。

同じ質問をしたら、同じ答えが返ってくるのだろうか。


「へ?うーん・・・千円くらい?」


そんな予想は、一言で覆った。


「なんで?」


「この前朝早くに服屋に行ったとき、欲しかった服が千円だったから!」


「・・・」


「・・・」


「お前それ、朝は関係ないと思うぞ。」






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