表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/40

29 【時間退行】






それは、どこかに置き忘れていた何かだった。


幾重にも重なったカーテンの奥、薄暗い引き出しの下、大雨の高架下。


怯えながらもどこか惹かれるその場所に、吸い込まれていく感覚。


深く、深く、潜っていく。


水中を潜っていった先に待っていたのは、海底ではなく、水面だった。


水面から顔を出し、大きく息を吸い込む。


快晴だった。


雲は一つもなく、風もない。


足を伸ばすと、底に足がつくのがわかった。

立ち上がると、水位は腰の辺りだった。


角を削られて丸くなった石たちが思い思いに寝そべっている。


丸石の間から尖った草が突き刺さり、太陽に手を伸ばしている。


河からあがると、誰かの足音が聞こえた。


「お兄ちゃん!」


僕を呼んだのは妹だと気づく。


「何してるの?こけて落っこちちゃった?」


イタズラな笑みを浮かべている。

一華はランドセルを背負っている。小学一年生だ。


「一華ちゃん、ヤナギン〜」


遠くで手を振っているのは水鳥だった。


「ヒナちゃん!お兄ちゃんいた!」


水鳥が走ってくる。


「ハナビもいるよ〜」


水鳥と競争するように走ってきたのは、大きな白い犬だった。

ハナビだ。

随分と久しぶりにあった気がする。


ハナビは、僕と水鳥と一華が三人で見つけた、迷子の犬だ。

高架下で震えているところを見つけ、それから餌をあげによく通うようになった。

ハナビはもともとどこかで飼われていたのか、野良犬かわからない。

しかし、ハナビは高架下から動こうとせず、誰かを待っているように見えた。


捨てられたのかもしれない。と僕たちは話した。

それを知らず、飼い主を待ち続けている。


小学生の僕たちはそう決めつけ、ハナビが動かない高架下のこの場所で飼うことにした。


「ハナビ、ほら」


水鳥が給食のパンをハナビにあげている。

ハナビは嬉しそうにパンを頬張った。


「美味しいね〜ハナビ」


ハナビという名前は、一華がつけた。


「ヤナギン、川で何してたの?」


水鳥が尋ねる。


僕は何をしていたのだろう?


記憶が曖昧で、思い出せない。


「お兄ちゃん?」


ぼうっと立ったままの僕を見て、不思議そうに一華が首を傾げる。


一華?


何か大切なことを忘れている気がする。



そのとき視界が傾いて、空が反転する。


水の中に頭から落ちて、呼吸ができなくなる。


何も聞こえない。


何も聞こえなくなった。








目覚めると、夜空があった。

遠近感覚のない黒い画用紙に、赤、黄色、青の点が瞬いている。


とても長い夢を見ていた気がする。


頭が痛い。

どうやら僕は外にいるようだった。

加えて地面は硬い。アスファルトの上に寝ていたようだった。

撫でるような柔らかい風が吹いて、体を震わせる。肌寒い。

首を持ち上げる。


寝転んでいた足元に、小さな影があった。

足元に誰かがいて、座っていた。

暗闇の中で目が合う。


暗くて顔は見えなかったが、誰だかすぐにわかった。


「水鳥。」


水鳥が息を飲むのが分かった。

その名前を呼んだ瞬間、全てを思い出した。


一華がトラックに轢かれた。

両足が砕けてへの字になっていた。

血溜まりができて制服を赤く染めていた。

呼吸は小さく、何かを伝えんと乾いた唇だけが動いていた。


素人の僕でもわかった。


一華は助からないだろう。


「水鳥・・・」


自分が今どこにいるのか、なぜここにいるのか、水鳥がなぜいるのか。

一つもわからないし、興味もなかった。

絶望と喪失感に襲われて、身体中から力が抜けていく。


「水鳥、一華が。」


呼吸が早くなっているのがわかる。

何から話していいのかわからず、言葉が続かない。


気づくと、言葉の代わりに涙をこぼしていた。

壊れた給水機のように、水が吹き出してくる。

嗚咽が止まらなくなって息ができない。


そんな僕の状態をわかっているかのように、水鳥は僕を抱きしめた。

水鳥は震えていた。

水鳥は僕の耳元で力強くささやく。


「一華ちゃんを助けよう。」


水鳥に触れようとしたとき、掌に血がべったりついていることに気づいた。

気づくと、水鳥の制服も血塗れである。


「私の能力をヤナギンに教える。」


水鳥は僕の肩を掴んで、正面で向き合った。

鼻がくっつきそうな距離だ。


辺りの暗さに目が慣れてきて、自分が今どこにいるかわかってきた。

事故があった交差点の近くの歩道だ。

あのとき、トラックの後からも車が何台も突っ込んできて———


気がついたら、水鳥がいた。


辺りは静かで、車も人も、家で寝ている。

夜空の星に負けないくらい、水鳥の目は輝いていた。


一華を助けると言った。

それは希望の光だったのかもしれないし———

あるいは、涙で光っていたのかもしれない。


「私の能力は【時間退行】」


二ヶ月前なら絶対に信じなかったであろう、その告白は、僕の脳に徐々に血を巡らせていく。


「諦めたくない。」


肩を掴む小さな手に力が入る。


震える声で、水鳥は言った。


「タイムリープして、一華ちゃんを助ける。」








【お願い】

読んでいただきありがとうございます。

ページ下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると、

書き続ける励みになります。

☆評価と、ブックマークをよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ