28 【分裂】
*
———どちらか一人しか生き残れない。
同じ人間が二人いる状況は許されない。
一人を選ばなくてはいけない。
ドッペルゲンガーは、殺さなければならない・・・・
春家の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
一華を連れて、学校を出た。
もう夏本番だというのに、外は少しだけ肌寒い気がした。
「凛太郎、どうしたの。さっきから黙りこんで。」
一華が顔を覗き込んでくる。
髪を青いリボンで結んでいる。
「いや、考え事。」
校門を出て、大通りを歩く。
一華には部活を休んでもらうようにお願いした。
春家から言われた通り、青一華を赤一華に接触させないため、どこか別の宿を探す必要があった。
もちろん、赤一華も別の宿を探すつもりだ。
問題が解決するまで、お互いの場所は隠す予定である。
「それって・・・私ともう一人の私、どちらが生き残るべきか?」
ドクンと、心臓が跳ねる。
青一華と目があった。まっすぐこちらを見ている。
「聞こえてたのか。」
扉一枚の外側に待機させたのは間違いだった。
場所を変えておくべきだった。
二人のうち一人を殺すなんて、当人たちにとってどれだけ残酷な話だろうか。
コウノトリが、成長の遅い子供を巣から突き落とす話を思い出した。
少し意味合いは違うが、家族を殺すとき、鳥ならともかく人間はどうだろうか。
偽物だからと言って、簡単に殺せるのだろうか。
「でも私、二人のままじゃダメなんだろうなって、なんとなく分かってた。」
一華は小さくつぶやく。
「もし一人に戻る方法がなかったら、どちらか一人を選ばないといけないだろうって。」
その表情を見て、僕は胃の下から湧き上がる物を感じた。
幼少期からずっと同じ家で暮らしてきた妹。
親を亡くしてからもたった一人の家族として一緒にいた妹。
たとえ一人は生き残るとしても、間違っても、僕の手で妹を殺すなんてできない。
そんなことを一瞬でも考えた自分に吐き気がする。
「一華———」
僕は——
「そうなったら、私ね、」
一華が何かを言おうとした時だった。
「おーい!二人とも!おかえり〜!」
交差点の向こう岸から、大げさに手を振る女の子が見えた。
頭には赤いリボンをつけていて、無地の白いTシャツ来ていた。
青信号になるや走り出してきて、笑顔で両手を広げる。
「いやあ、一人で自宅待機は退屈すぎてねえ。迎えに来ちゃった。」
暇すぎて死ぬかと思った。と彼女は言う。
走ってきたのは、一華だった。
赤い方の一華だ。
「今日はさあ、三人で遊ぼうよ。久しぶりにゲームとかしてさ。」
外にでたら一華が二人いるところを知り合いに見られるかもしれないから、家にいろと言っておいたのに、我慢できずに出てきたようだ。
「何年くらいやってないかな。昔はお兄ちゃん私に全然勝てなくて泣いてたもんね。」
小学生の頃は家でよく妹とテレビゲームをしていた。
頭の良さは小学生のときから差が出始めていて、ゲームに関しても要領のいい一華は僕を圧倒した。
「今やったらもしかしたら私に勝てるかもよ。」
「確かに、お前ちょっとアホになってるもんな。」
「はあ!?言ったな!?負けたらアイス奢りだからね!」
赤一華が喚き散らしているうちに、交差点の信号が赤になってしまった。
ここの信号は長いから、しばらく待たなければならない。
「ゲーム、ゲーム、お兄ちゃんとゲーム!」
赤一華は上機嫌でステップを踏んでいる。
僕と青一華は顔を見合わせた。
ぷっと思わずお互い吹き出す。
なんだか赤一華を見ていると、気持ちが軽くなったような気がした。
赤一華はまるで、昔の一華みたいだった。
小学生の一華が、そのまま高校生になったような。
天真爛漫で表情が豊か、いつも僕を振り回す妹。
今の無愛想な妹も、明るい妹も、どちらも間違いなく僕の妹だ。
二人とも、たった一人の、僕の妹だ。
納得するみたいにうなづいたとき、それは起こった。
なんの前触れもなく、予兆もなく起きた。
異変に先に気づいたのは、僕ではなく青一華だった。
「凛太郎!!!!」
青一華が僕の背後で突然叫ぶ。
冷んやりとした空気が背中を伝って、鳥肌が立つ。
ドン!!!
同時に何かが爆発したみたいな音がした。
反射的に音の方向を睨みつける。
交差点の向こう。
車線ギリギリまで幅がある巨大なトラックがいる。
トラックはおよそ45度に傾いていた。
瞬きする間にトラックは側面を地面に擦り付けた。
トラックが倒れたのだと認識する。
火花が散った。
「は?」
トラックは倒れてもスピードを落とすことはなかった。
悲鳴みたいな金切り声をあげて、こちらに突っ込んでくる。
とっさに一華をみる。赤いリボンの一華は、ガードレールの外にいた。
まっすぐ赤一華に向かっていく。
いつもの大きな交差点は、ほんの数秒で景色を変えた。
巨大な鉄の塊が、操作性を失って物凄い速度で突撃してくる。
一華にぶつかる———
一華は目の前にいる。
ガードレールの向こう側に一華はいる。
助けられる。
ガードレールを飛び越えて一華を抱えて走れば———
コンクリートから散った火花みたいに、思考だけが動いていた。
しかし視界はスロモーションになっていて、体は動かない。
間に合わない。
———この世のルール。
ルールを破ったお前に、考える時間も、別れの決断も、選ぶ権利もない。
見えない何者かに言われた気がした。
指をさされて、指摘された気がした。
「凛太郎!!!!」
後ろから強く服を引っ張られた。
僕はなすすべもなく尻餅をつく。
僕を後ろに引っ張ったのは、青一華だった。
素早い、迷いのない動きだった。
ガードレールを、陸上のハードルみたいに一息に飛び越えた。
赤一華は、蛇に睨まれたカエルみたいに、その場に固まっていた。
赤一華に、青一華が突進する。
赤一華が倒れ込む。
悲鳴は聞こえなかった。
トラックが地面を擦る音が、全ての音をかき消していた。
尻餅をつく僕の目の前を、横たわる巨大なトラックが通過した。
ガードレールを境にして、鉄の壁が現れたみたいだった。
それと同時に、ハンマーで岩を叩くみたいな、鈍い音がした。
顔に液体が飛んできて、頬に付着した。
頬をなぞる。
指先でなぞると、赤黒い液体だと分かった。
呼吸が早くなる。
「一華・・・?」
トラックは僕の目の前を通過して、さらに近くの建物に衝突して停止した。
我に返って辺りを見回す。
僕の数メートル先で、赤いリボンをつけた一華が横たわっていた。
見たところ流血はない。よかった。
青い方———もう一人の一華は———
ガードレールを飛び越える。
二車線の道路を見回す。
交差点の真ん中に、捨てられた人形みたいに力なく倒れている女の子がいた。
足と腕が人体の構造からはおよそありえない方向に曲がっている。
遠くで悲鳴が聞こえた。
倒れている女の子の側には、青いリボンが落ちている。
「一華・・・」
視界の風景は遠ざかり、焦点は倒れた一華のみを捉える。
「一華・・・!!!」
どうして。
違う。
こんなのおかしいじゃないか。
こんなの———
「ああああああああ!!!!!!」
発狂と共に思考は消えた。
長い年月、ここに立ち尽くしていたような気がした。
まるで呪いみたいに固まっていた足が、ようやく動く。
一華に駆け寄る。
交差点の真ん中にまっすぐ走っていく。
まるで水の中にいるみたいだった。
自分の乱れた呼吸音と、心臓の音だけが聞こえる。
何もない空気を、掻き分けるように進む。
倒れている一華は、ピクリとも動かない。
血溜まりができている。
どこから血が出ているのかもわからない。
心臓マッサージ?
人工呼吸?
その前にまず止血?
学校の授業で習った覚えがある浅い知識が頭をよぎる。
ダメだ。何をしていいのかわからない。
こんなことなら、しっかり授業を聞いておけばよかった。
家でも毎日医学の勉強をして、応急処置の方法を頭に叩き込んでおくべきだった。
事故に遭ったときのシミュレーションを欠かさず行うべきだった。
どうしてできなかったんだろう。
僕は無能だ。
妹一人救えない無能だ。
この無能無能無能無能無能無能が・・・・・!!!
「りん・・・たろ・・・」
「一華!!!」
一華が息をしている。
まだ生きている。
「いたい・・・・」
「救急車を呼んでる!必ず助かる!絶対助ける!」
僕より頭が良くて、運動ができて、ルックスも良くて、彼氏もいる。
「りんたろう・・」
僕はなんて無力なんだ。
妹のどっちを生かすなんて愚かな思考を1ミリも持つ余裕なんてなかったはずなのに。
どうやって妹を助けるか、兄が考えるべきことはまずそこじゃないのか!?
「頑張れ!!一華!一華!!」
手を握る。
真っ赤な血で濡れた一華の手と、僕の手が震えてうまく握れない。
一華は小さく息をしていた。
その時、遠くで救急車の音が聞こえた。
それまで遮断していた外界の音が聞こえてきた。
「—————!!!」
「—————!!!」
叫び声が聞こえる。
一華から目を話すことを惜しみながら顔をあげた。
救急車のサイレンの方向へ顔を向ける。
———その瞬間、僕はこの世の物とは思えない光景を目にする。
交差点の向こうから、何台もの車が猛スピードで突っ込んできた。
*
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