25 尾行するときはサングラスを忘れるな
*
家の中に、何年も入ったことがない部屋はあるだろうか。
僕にはある。
その部屋は決して物置部屋だとか、屋根裏というような、ひとけのない場所ではない。
僕の部屋と同じ広さで、かつ僕の部屋の隣に配置された、普通の部屋の一つだ。
しかし、僕は3年間部屋に入ることはなかった。
なぜならその部屋は、妹の部屋だからだ。
赤いリボンをつけた方の一華——
通称「赤一華」に呼ばれ、僕は妹の部屋の前に訪れていた。
ドアノブに手をかけたとき、昨日の赤一華の言葉を思い出す。
———私、いちかじゃないのかも
念のため今朝は、走力テストの他にも学力テストを行なっていた。赤一華は見事に問題を解けなかった。
勉強と運動ができなくなって、自分が本当に自分なのかわからなくなる恐怖。
もう一人の自分の能力は変わらず、自分だけが勉強も運動も劣化している。
それはどれほど怖いことなのだろうか。
<いちか>
と扉に名札がかけられたドアに、そっと手をかける。
恐る恐るドアを開けると、そこには僕の知らない部屋があった。
ベッドの配置、絨毯の色、机に置いてあるぬいぐるみも、僕が知っている部屋ではなくなっていた。
3年もたてば当然なのだろうか。
僕の知る妹の部屋は、昔と比べてシンプルな部屋になっていた。
視線がぐるりと一周した後、部屋の真ん中にいた妹と目があった。
妹達と目があった。
ぱさり、と乾いた音がする。妹が手に持っていた服を床に落とした音だ。
妹は下着姿で、向かい合って立っていた。
服を着ていないので、どっちがどっちの妹か分からない。
お尻の形も、胸の大きさも、全く同じだ。
引き締まった肉体が、日差しを浴びて輝いているように見えた。
実の妹の完璧な身体をじっくりと眺める僕に、妹達は叫んだり、頬を赤らめて身体を隠したりすることはなかった。
妹二人は顔を見合わせて頷くと、二人揃って真顔で近づいてきて——
一人は僕のみぞおちをグーで殴り上げ、一人は顎に肘を入れてきた。
素晴らしいコンビネーション攻撃・・・
実の兄に、的確に急所に攻撃するなんて——
「しね」
と小さく、耳元で聞こえた。
身体中の力が抜けて、崩れ落ちるように膝をつく。
みぞおちに鋭く痛みが走る。
意識が飛ぶ寸前で、この部屋にきた目的を思い出し、声を出した。
「ま、まて!」
追撃の拳を振り上げた妹が怯んだ。
「僕はお前に呼ばれてここにきたんだ!」
「凛太郎、悪いけど変態ゴミムシに言い訳の時間はないわ。」
「だ、誰が変態ゴミムシだ。そんな鬼畜な造語はない。」
「ああ、ウジムシの方がよかったかな。あいつら、公園に落ちてるタイヤにたまる水たまりみたいなところでどこからともなく湧いてくるんだ。川とか海じゃなくて、そういう湿ったゴミの掃き溜めみたいなところが好みなんだよ。凛太郎にぴったりじゃない?」
「ウジムシの生態について詳しく説明して、効率よく兄を傷つけるな。」
とりあえず服を着ろ、というと、妹は舌打ちして服を着た。
僕はまだ痛むお腹をさする。それを見て、妹の一人が俯いた。
「あ・・・お兄ちゃん呼んだの私だ・・・ごめん、忘れてた。」
僕をお兄ちゃんと呼ぶのは、赤一華の方である。
聞くと、二人はデートの服選びをしていたらしい。
彼氏とのデートに行くのは、陸上勝負で勝った「青一華」の方だ。
「あれ、なんでお前も着替えてたんだ?」
赤一華に尋ねる。
デートに行くのは青一華だけなので、赤一華は着替えなくてもいいはずだ。
「実は、今日のことなんだけど・・・」
お兄ちゃん今日暇?と赤一華は言う。
僕がうなずくと、
「私のデートを、私と尾行してほしいの」
と、そんな奇妙なことを言った。
*
集合場所の駅前で、青一華は一人で彼氏を待っていた。
一方僕と赤一華は、青一華を目視できる、喫茶店に身を潜めていた。
赤一華に頼まれて、ノコノコとついてきた僕だが、実に奇妙な状況だ。
簡潔に説明しよう。
僕は今、妹と一緒に、妹のデートを尾行している。
赤一華がずるずると音を立ててアイスコーヒーをストローですすっている。
黒のサングラスをかけて、駅前で待つ青一華を睨みつけている。服装はかなりラフで、ワンポイントのTシャツに藍色の短パン、黄色のサンダルを履いている。
「それにしても」
と赤一華は言う。
「自分がデートするのを、遠くから見るのはすごく変な感じがする。」
「そりゃあ、そうだろうな」
「私があそこにいるから、なんだか盗撮された映像をみているような感じ。」
黒いサングラスを親指と人差し指でつまんで少し下げる。上目遣いで、眉にしわを寄せて僕に同意を求めてくる。
「お前、なんでサングラスなんかかけてるんだ。」
「そりゃあ、張り込みといったらサングラスは絶対でしょ。」
「いや、サングラスは絶対なのか。どこからきたんだその常識は。」
「うるへ。てか、彼氏に私が見つかったらやばいじゃん。」
あ、たしかに。
と納得してしまった僕だったが、明らかに変装は後付けだ。勉強が多少できなくなった赤一華といえども、僕に口で勝つことは簡単らしい。
「自分のデートを客観的に見るのも変だけど、妹のデートを妹と見るのはもっと変じゃない?」
と、赤一華は客観的な意見を述べる。
眉間に皺を寄せて曇った表情から一転、少しイタズラな笑みを浮かべ、僕の顔を覗きんでいる。
ふと———僕の妹はこんなに表情豊かだったのか。と思う。この数年、妹の笑顔を見ていなかった気がする。
「お前が言い出したんだろ、一緒についてきてって。お前が泣いて駄々をこねるから。」
「ちょっと、泣いて駄々こねたりなんかしてないんだけど、誇張しないでくれる?むしろお兄ちゃんが土下座して頼み込んだじゃない。妹のデートを見学させて下さいって。」
「土下座もしてないしそんなことは僕は一生口にすることはない。誇張どころか、お前の場合捏造してるじゃないか。」
大きなサングラスが鼻の上まで落ちて、赤一華の大きな目が笑顔で細くなる。
「あ。」
と赤一華がつぶやく。
視線を追うと、ちょうど彼氏が到着したところだった。
デート担当の妹、青一華は、桜色のロングスカートと、黒いボタンがついたカーディガンを着ていた。
「それにしてもお前、彼氏の前は普段からあんな格好してたのか。」
「ちっ。」
と赤一華は舌打ちする。触れられたくない話題だったようだ。
「可愛いでしょ。彼氏が喜ぶのよ。」
「ふうん。そうだな。」
適当に返事をすると、思いっきり二の腕をつままれた。力が強い。痛い。
昨日の陸上競技場でもそうだったが、赤一華の方がより攻撃的な性格のようだ。
赤一華は躊躇なく僕を蹴ったり殴ったりする。
(そもそも同一人物で性格の違いがあるかは不明だが。)
青一華と彼氏は、なにやら一言二言言葉を交わして、二人は改札へ歩いていった。
その時青一華が、さりげなく彼氏の腕に手を添えた。
恐る恐る赤一華を見る。
紙ナプキンを噛んで、両手で引っ張っていた。
「キイイ!あの女ァ!」
あの女って。
あいつもお前だろ。
しかし、まさに自分自身に嫉妬する妹を見て、僕はなんだかおかしくなってしまい、つい吹き出してしまうのだった。
*
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