10 初夏の夜は口が軽くなる
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体育館の照明が全て消されると、あたりはほとんどなにも見えなくなった。
遠くに、駐輪場の外灯がぼんやりと光っている。
「お待たせ。帰ろうか。」
体育館の照明を消してきた三橋先輩が歩いてくる。
バスケの練習着から、制服に着替えている。
暗闇に目が慣れてきて、三橋先輩の制服姿が徐々に見えてきた。
初対面がスポーツウエアだったので、印象がかなり違って見えた。
制服の三橋先輩は、何だか色っぽい。
急いで着替えたのか、夏服の胸元の隙が多い。
豊かな胸が、胸元の赤いリボンから顔をのぞかせている。
三橋先輩の靴のつま先が、とんとんとリズムよくコンクリートをつつく。
「私自転車だから、駐輪場寄るね。いいよね?」
「はい、もちろんです。」
何だが、どぎまぎする。
駐輪場で自転車をとって、僕たちは校門を出た。
「結局、練習を邪魔しただけになってしまって、すみません。」
今日、僕はスリーポイントシュートを一度も決めることができなかった。
「そんなことないよ、楽しかったし。」
三橋先輩が自転車を押すと、タイヤからゼンマイを巻くような音がした。
「その上、帰りも送ってもらって・・・」
大丈夫、と三橋先輩は言う。
「これでも私、年下の面倒を見るのは得意なの。」
あごを突き出し、大袈裟に胸を張っている。
「確かに三橋先輩は、後輩から好かれそうです。」
素直に言ってみる。
「やっぱそう見える?やっぱり?」
そう言って、バシバシと背中を叩いてきた。
「私、後輩からはミカンさんって呼ばれてるの。名前が美佳だから、みかんね。そうだ、凛太郎もミカンさんって呼びなよ。」
ミカンさん。
ぴったりの名前だな、と思う。
「いいんですか。」
「いいよ!てかむしろそっちの方がイイ〜。」
歯医者に見せるみたいに、白い歯を出す。
初夏の夜はまだ肌寒い。
「ミカンさん、バスケはいつから始めたんですか?」
「中二の夏くらい。ちょうどこのくらいの季節だったなあ。」
「ええ、意外とバスケ歴短いんですね。あんなに上手いのに。」
三橋先輩のスリーポイントシュートを思い出す。
「アリガト。でもまだ全然だよお。経験が足りない分、練習しないと。」
道の先の青信号が点滅する。自転車なら間に合いそうだが、三橋先輩はスピードをあげずに合わせてくれる。
「それにしても、中学二年の夏からって、変な時期ですね。」
部活動を始めるのは、大抵入学して3ヶ月以内だ。
「弟がバスケを始めたいって言い出してね、練習に付き合ってたら私も始めたくなっちゃって。」
弟か。
年下の面倒を見るのが得意と言っていたのは、きっと弟がいたからだろう。
「なるほど、弟ですか。じゃあ弟さんも今は高校バスケ部ですか?」
何気なく聞いてみる。歳が近ければ、この学校にいるかもしれないと思ったから。
「いや、弟は三つ下だから・・・」
点滅していた青信号が赤に変わり、足を止める。
「ああ、来年高校生ですね。高校が三年だから、被らないのは残念ですね。」
三歳差であれば今は中学三年生ということになる。
「うん、それに・・」
中学三年生はと高校三年生。
受験の時期が被って大変だ。
「高校はどこを受けるんですか?風来高校ですか?」
聞く限り仲が良さそうなので、姉を追ってくるかもしれない。
仲の良い姉弟の姿が目に浮かぶ。
「弟はここには来ないよ。」
「あ、すみません、別の高校ですか。まあ、同じ高校になることもあんまり——」
再び信号が青になる。
信号機は、音がなるタイプではなかった。
静かに青に変わる。
横断歩道が、ぼんやりと青白く光る。
三橋先輩は、立ち止まったままだった。
「弟は死んだの。」
「え」
横断歩道の真ん中で、僕は立ち止まる。
信号は青なのに、三橋先輩は、まだ立ち止まったままだ。
「弟は三週間前、自殺した。」
静寂が、夜を包む。
また信号が点滅した。
僕は一旦横断歩道を渡りきった。
振り返ると、道路を挟んで、三橋先輩が立っている。
「ああごめん、別に気を遣わなくていいよ。私もいまだにピンときてなくて、実感がないんだ。」
信号が赤に変わる。
「・・・」
弟が自殺?
肉親の死・・・
想像ができない。
「もうすぐ大会も近いし、私の事情で、みんなに迷惑をかけるわけにもいかないから。」
三橋先輩が遠くて、顔がよく見えない。
「やばい、私、今日会ったばかりの後輩に何でこんなこと話してんだろ。バスケ部の誰にも話してないのに。」
いや、今日会ったばかりだからかな、と三橋先輩は付け足す。
「私、あっちだから。じゃあね、凛太郎。」
そう言って、三橋先輩は去っていった。
「三橋先輩」
信号が、また、青に変わった。
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