01 【増殖】
世の中は、ルールでできている。
法律、文化、風習、しきたり・・・
名前は違えど、必ずその場所その場所で定められている決まり事がある。
法律のような大きな括りの中にも、さらに部活やサークルのような小さなコミュニティの中にもルールがある。
毎月月謝を納めたり、金曜日の夕方はミーティングに出席しなければならなかったり。
そうやって僕たちは、いつもルールの中で暮らしている。
でもそういったルールって、いつ、誰か決めたのだろう?
何のために、何を目的として作られたルールなのか、考えたことはあるだろうか?
何となくみんながそうしているから、
先輩がそう言っているから、
そういう決まりだと聞いたから、
大半の人がそうだ。
だからこそ僕たちは、ルールの意図がわからず、たまにルールを破ってしまうことがある。
ワザとではなく、自然に。
人間は生まれてきて、一人一人環境が違うのだから、当然だ。
意図せずルールを破ってしまうこともあるだろう。
学校や職場だけの小さなルールを破って、怒られた経験がある方も多いはずだ。
でもそれは、誰もが、一人一人自分のルールを持っているからだ。
法律でも、文化でも、風習でも、しきたりでもない、自分だけのルール。
自分が自分であるための、大切なルール。
これは、特別なルールを持った、平凡な高校生たちの物語だ。
*
その能力は、突然発現した。
*
************************************
————————————春家キノコのルールブック————————————
春家キノコ(春家桜)
*
-土曜、昼
風来高校・昇降口
退屈な補修が終わって、下駄箱に着く。
誰もいないことを確認してから、深くため息をつく。
「はああ、疲れた。」
今日は田中のやつ、機嫌悪かったな・・・
田中とは、僕の担任で、数学の教師である。
『おい、柳?聞いてんのか?お前、このままだと進級できないぞ?』
『はい、聞いてます。』
僕は、先日行われた中間テストで、見事学年最下位を記録した。
平均点の半分の点数が、赤点として設定される。
そして、赤点を下回った生徒は、日曜日に補修が行われる。
『聞いてるんだったら、この問題、解いてみろ。ほら、まずなんの公式を使えばいい?』
『すみません、わかりません』
僕の数学の点数は、赤点のさらに半分だった。
『聞いてねえじゃねえか!はっ倒すぞ!』
・・・教員がはっ倒すとか言っていいんですか。
この男は、表向きには物静かな教員を演じているが、僕の補修の時にはいつもこうである。
何も知らないクラスの女子たちからは、「人見知りで可愛い」等と見当外れの評価を受けている。
田中先生、聞いてますよ。
でもわからないんです。
いきなり数字の羅列を見せられて、どの公式を使ったら解けるかなんて、
どうやったらわかるんですかね。
みんな平気な顔して解いてるけど、
僕にとっては、なんで解けるのかさっぱりわからない。
数字だけならまだしも、英数字まで入ってる。
まるで呪文だ。
『はあ、もういいよ。正直、今更お前の数学の成績をどうこうしようと思ってない。』
突然のカミングアウトに、僕はひっくり返りそうになる。
いや、なんてこと言ってるんですか。どうこうしてくださいよ。
『俺がイラついてんのは、この学校にだよ。休日出勤なんてクソだ。お前、先生にだけはならない方がいいぞ。』
全く理解が進まない僕に嫌気がさしたのか、田中がつぶやく。
目の下のクマが深い。
こいつ、本当に教員か・・・?
生徒にとんでもない愚痴こぼしてるぞ。
田中がため息をつく。
窓を開けて、タバコを吸い始めた。
おい。生徒の前で、しかも教室でタバコを吸うな。
伝えたい。
クラスのみんなに本当のこいつの姿を教えてあげたい。
『教室でタバコ吸ってること、ばらしますよ。』
『お前には無理だ、柳。それにな、日本ってのは、上司が部下に愚痴をこぼすような構造になってる。今のうちに慣れとけ。』
数学ができないなら、社会の授業だ。と田中は言う。
『教員と上司を一緒にしないでください。根本的な構造が違いますよ。愚痴ってのは、一緒に仕事をしている人に話すものですよね。教員と生徒は、どちらかというと店員と客じゃないですか。』
ははは、と田中は笑う。
『生徒は客ときたか。面白いな。柳、お前のその発想と、屁理屈はずば抜けて学年一位なんだけどな。』
そんな嫌味を言われた。
『俺は柳のそういうところ、評価してるんだがな。』
と、意味不明なフォローも受けた。
結局、補修は午前中で終わりになった。
「はああああ・・・」
深くため息をつく。
雲ひとつない。快晴だ。そんな天気にも腹が立つ。
「何で日曜日に学校に来なくちゃいけないんだ。」
下駄箱を開けて、靴を取り出す。
下駄箱には誰もいない。今日が日曜日だからだ。
雑に靴を投げると、パン!と乾いた音が反響した。
砂埃が舞う。
お腹がぐう、と鳴った。
そういえば、朝から何も食べていない。
そういえばバナナを持ってきていたんだった、と気づく。
朝、サブカバンに突っ込んで来たが、食べるのを忘れていた。
今日の昼ごはんは、下校しながらバナナかな。
昼食の貧相さを嘆きながら、校舎を後にしようとした時、
背後から声をかけられた。
「こんにちマツタケ、やなぎくん。」
びくん!と体が反応する。
驚いた。
誰もいないと思っていたから。
それと、柳くん。僕の名前だ。
知り合いだろうか。
声の主は、昇降口の入り口に立っていた。
誰かが、腰に手を当てて仁王だちしている。
髪は腰まで伸びていて、銀髪だった。
「誰?マツタケ?」
聞いてみる。
こんにちマツタケ、と彼女は言った。
ユーチューバーの挨拶かなにかか?
「あれ、同級生なんだけどな。春家キノコっていうんだけど。」
「知らない、誰だよ。」
絶対に知らない。キノコっていう奇妙な名前も、100%校則違反の明るい髪も、
聞いたことも見たこともない。
「あ、そっか。君、今見えてるのか。えっと、じゃあ・・・」
変なことをぶつぶつ呟いている。
呪文みたいだ。
まさか、僕がバカだから理解できていない、わけじゃないよな?
午前中にぼんやりと眺めていた、数式の羅列を思い出す。
僕だけがわかっていない気がして、急に自信がなくなるあの感覚。
「同じクラスの春家桜、っていえばわかる?」
あ。
春家桜。
聞いたことがある。
というか僕のクラスメイトだ。
「え、わかるけど、あの地味なメガネの・・・」
言ってる途中で、失礼なことを言っていると気づいて言葉に詰まる。
でも、そういう印象しかなかった。
教室の隅で、いつも本を読んでいるイメージ。
友達と話したりしているところを見たことがない。
「地味なメガネで悪かったわね。柳くん、そういう人の覚え方、よくないと思うわよ。」
この人はまるで別人だ。
髪の色も違うし。
見た目も雰囲気も全然違う。
あ、もしかして。
この人はクラスメイトの春家桜の姉なのではないか?
さっき自分のこと、春家キノコ?って名乗ってたし。
キノコっていう名前は気になるけど・・・
「あ、ごめんなさい。春家さんのお姉さんか何かですか?」
敬語に切り替えた。
そして謝る。
この人は春家のお姉さんで、たまたま僕のことを知っていたのかもしれない。
もしそうだった場合、妹のことを地味なメガネ呼ばわりは確かによくない。
「いいえ、春家桜は私よ。春家キノコは・・・ペンネームみたいなもの。」
「え?」
僕の予想は外れた。彼女はどうやら春家桜本人らしい。
僕が知っている、地味なクラスメイトの春家桜。
いや、本人だとしても失礼なことに変わりはないのだが。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
昇降口が静まる。
色々な考えが巡る。
確かに春家桜は、今週の金曜日まで黒髪だったはず。
髪は三つ編みで眼鏡をかけていた。
教室の端っこで本を読んでいた。
「・・・イメチェン?」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・まあ。」
沈黙の後、春家が小さく相槌をうつ。
春家桜とは、一度も話したことがない。
けれど、言わずにはいられなかった。
地味なクラスメイトの、派手なイメチェンに対して、指摘できずにはいられなかった。
「や、やめときなよ!」
素直な感想がこぼれた、と言っていいだろう。
「髪の色、銀髪って・・・明らかに校則違反だし、それに・・・さっきの、「こんにちマツタケ」なんて・・・相当イタイし・・・」
「イタ・・!?イタくないし!」
学校のクラスには、いつの時代もカーストが存在する。
僕や春家のような、何の部活にも入っておらず、どこのグループにも所属していない人間は、
クラスの最下層に位置する。
そんな人間が突然イメチェンしたら、どうなるだろうか。
考えるだけで恐ろしい。
「今更そんなことしたって、一軍にはなれないよ。」
教えてあげる、という気持ちで言った。
午前中の補修で、僕の機嫌も多少悪かった。
少しキツイ言い方になってしまったかもしれない。
「こ、この・・・」
銀髪のクラスメイトが、拳を震わせている。
確かに、メガネを外して髪をおろすと、美人だ。銀髪も似合っている。
だけど、学校では浮く。クラスでは浮く。
僕は多分、適切な指摘をしている。
「まあ、今はいいわ。」
「僕、帰るよ、疲れたし。」
靴のかかとを整えて、セカンドバックを担ぐ。
疲れのせいか、なんだかカバンが重く感じる。
「春家さん、明日までに、髪戻した方がいいよ。似合ってるけど。」
厳しいことを言ったことになんとなく罪悪感を感じて、語尾に褒め言葉を付け足す。
もしかして、さっきの田中もこんな気持ちだったのだろうか。
「アドバイスありがと。柳くん、優しいんだ。」
見当違いだ。僕は優しくない。
成績は悪い癖に屁理屈が上手い、スクールカースト最下層の人間だ。
一軍になれないなんて言ったのも、結局、自分のことを言っているに過ぎない。
クラスメイトに八つ当たりする、矮小な人間だ。
「お礼じゃないけど、一つ教えてあげる。」
そんな僕の意地汚い真意も知らず、彼女は言った。
教えてあげる、と僕に言った。
僕は呆れて昇降口を出ようとする。
春家の横を通る時、
ふわりと、何かの香ばしい香りがした。
春家の横を通り過ぎようとした時、
春家が僕のカバンに向かって指をさす。
「そのカバン、破けるわよ。」
え?
ギギィ、と魔物の断末魔みたいな音がした。
「な、なんだ!?」
脇の下から、奇妙な音が聞こえてくる。
慌てて手元を見ると、担いでいたセカンドカバンが、風船みたいに膨らんでいる。
とっさにカバンの紐を肩から下ろすと、勢いよく地面に落ちた。
砂埃が舞う。
「なんだこれ!重っ!!」
昇降口で僕の言葉が反響する。
膨らんだカバンが、鉛のように重くなっていた。
苦しそうに、カバンがもがいているように見える。
「早く開けないと、破裂しちゃうわよ。」
なんだってんだ!もう!
わけがわからない。とにかく、カバンが膨らんで、今にも破裂しそうだ。
急いでカバンのチャックに手をかける。
開けないと、本当にカバンが破けそうだ。
「くそっ!開かない!」
カバンが膨らみすぎて、チャックがピクリとも動かない。
「うおああああ!」
柄にもなく雄叫びを上げて、チャックを引っ張る。
カバンを足で押さえ、無理やり開けようとする。
「あ!」
手応えを感じたその瞬間、
ビイイイ!
と、不快な破裂音が聞こえた。
僕が引っ張っていたチャックを起点にして、
セカンドバックはチャックと垂直方向に引き裂かれた。
勢い余って後ろに一回転した。
視界が反転する。
「あーあ」
視界の中に、春家がいた。
逆さまの銀髪美女が、嘆いた。
わけがわからず、ひっくり返っていた体を起こす。
「どうすんのよ、これ・・・」
春家の目線の先、昇降口の前、僕の目の前に広がっていたのは———
黄色い海だった。
いや、海ではない。
黄色い何か。
黄色い何かが地面を埋め尽くしている。
足元を見る。
転がってきていた、黄色い何かを拾い上げた。
「バナナ・・・」
それはバナナだった。
「カバンに入れていたのね。しかしこれは・・・惨劇ね。」
まるで人ごとみたいに春家は言う。
地面にいっぱいの黄色い物の正体は、バナナだった。
昇降口前のアスファルトを埋め尽くすほどの、バナナ。
バナナバナナバナナ・・・
一体何百個・・・いや、何千個あるんだ?
「カバンにバナナ入れてたんでしょ?」
「え?」
春家に言われて、思い出した。
朝食用に持ってきて、食べ忘れていたバナナの存在。
いや、確かにバナナ入れてたけれども。
家に帰りながら頬張ろうとしていたけれども。
だから何?
「柳くんの持っていたバナナが、増えたんだよ。」
は?
「柳くんのカバンに入ってたバナナが、【増殖】したってこと。」
ドウイウコト!?
空腹感はとっくに消えていた。
*
僕は成績の悪さと、学校での立ち位置の悪さに嘆く、どこにでもいる高校生である。
クラスのルール。スクールカーストというある種のルール。
全国のどこにでもある、絶妙な人間関係のバランス。
正しい規範と、美しいモラル。
頼もしい仲間と、かたい絆、友情。
今日をもってそれらのルールは全てくつがえされることとなる。
このバナナが、僕にとっての始まりだった。
【増殖】という力は突然、僕の目の前に現れた。
それは、これまでの僕たちの常識を、
ルールを、規範を、モラルを、
超越した力だった。
【お願い】
読んでいただきありがとうございます。
ページ下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると、
書き続ける励みになります。
☆評価と、ブックマークをよろしくお願いいたします。