冷遇妃の未来は「ウェルカム」ボードを持って待っている 1
「おやおや」
テーブルのお菓子の上に盛大に紅茶を噴き出したというのに、ラファエルは泰然としたものだった。
ラファエルはすっと席を立つと外にいた船のサービス係を呼びつけて、お菓子や紅茶を新しいものに取り換えるよう頼む。
いつもならローズは、紅茶で濡れただけでまだ食べられるのにと感じるところだろうが、先ほどのラファエルの発言にパニックになっていた彼女にそんな冷静な感想は抱けなかった。
(ど、どういうこと⁉ お姉様、やっぱり失踪しちゃったの⁉ でも、だったらなんで殿下はこんなに冷静なの⁉ というかだったらやっぱり未来は冷遇妃確定ってこと⁉)
頭を抱えて、どうしようどうしようと唸っている間にも、テーブルの上には新しいティーセットとお菓子が用意される。
そして、婚約者がいなくなったというのに、驚くほど冷静にラファエルは新しい紅茶に口をつけた。
「ローズ、少し落ち着きなさい」
これが落ち着いていられるものか!
「どうして殿下はそんなに落ち着いているんですか⁉」
「ラファエルと呼んでくれてかまわないよ。まあ、そうだな、ほら、このシフォンケーキなんてどうかな。美味しそうだよ」
「どうしてお菓子の話⁉」
「食べたらきっと落ち着くよ」
「落ち着きませんよ!」
わーっと叫んだローズの口に、ラファエルが一口大にカットしたシフォンケーキを入れる。
「もごっ」
「さあ、しっかり噛んで飲みこんで。のどに詰まるからね」
「むぐっ」
口に入れられたものを出すわけにもいかず、むぐむぐと咀嚼して飲みこむ。確かに美味しい。だが、美味しくてもやはり落ち着けない。
「うーん、シフォンケーキじゃダメか」
「当り前ですよ! 失踪! 責任って! そんなっ」
「置手紙見る?」
「見ます!」
ラファエルからひったくるようにして手紙を受け取ると、そこには「あなたの妻にはなれません。かわりに妹を差し上げます」と、一字一句記憶とたがわない文字があった。
「ひうっ」
ローズは息を呑んで、そのまま呼吸を止めた。
「ローズ、息をしないと死ぬよ」
ラファエルの言葉でハッと我に返って、すーっと大きく息を吸い込む。
すーはーすーはーと大きく深呼吸をくり返していると、ラファエルが苦笑して、「うーん、完全にパニックだね」と言った。
「まあともかく、冷静になって考えてみよう。そこにある通り、レアは姿を消して、代わりに君を俺にくれると言った。素敵な提案だね。そうは思わないかい?」
「思いませんよ!」
ローズはものではない。簡単に「はいどうぞ」とプレゼントされてはたまらない。
だが、ローズの答えが不服だったのか、ラファエルが憮然とした顔になる。
「だがね、ローズ。俺とレアは確かに自分たちで婚約を決めたけれど、この婚約はすでに国同士の盟約でもあるわけだ。レアがいなくなってしまったのだから、グリドール国はその責任を果たす義務がある。もちろん、君ではなくほかの何かで相応の対価を求めてもいいわけだが、うん、この慰謝料はなかなかに大きなものになると思うんだ。その点、君がレアの代わりに嫁ぐというのならば、存外丸く収まりそうなものだけれど、それでも嫌なのかな」
「うぐぅ」
にこやかに退路を塞がないでほしい。
ローズは「あうあう」と口を動かしながら、この口達者な王太子を何とか踏み留ませる方法はないかと考えた。
記憶の中の怒り狂っていた彼とは違い、今のラファエルは話が通じそうなのだ。うまくすれば未来が回避できるかもしれない。
「で、でも! お姉様と殿下」
「ラファエル」
「ラファエル様は、愛し合っていらっしゃったんですよね⁉ 学園で知り合ってお互いが心惹かれて婚約を決めたって聞きましたよ⁉ それなのに、どうしてそんなに冷静に、わたしを代わりにしようと思うんですか‼」
「なるほど、そうきたか」
「わ、わたしじゃ、女神にも例えられるほど美人なお姉様の代わりにはなりえません」
ローズが拳を握りしめて力説すると、ラファエルはぱちぱちと目をしばたたいて、こてんと首を傾げた。
「君は鏡を見たことがある?」
「何をおっしゃってるんですか! 毎日見ています!」
「……そうか。君の鏡は相当曇っていると見える」
「はい?」
「まあともかく。君は俺とレアが愛し合っているからダメだというわけだ」
「もちろんです」
「だが聞くが、その愛し合っているはずの恋人は何故、俺を捨て、こんなふざけた置手紙を残して姿を消したのだろう」
(知らないわよそんなこと‼)
それがわかれば苦労はしない。それがわかればわざわざ仮面舞踏会の日を待たずして、何とか姉の失踪を止める手立てが考えられたはずだ。
ローズはすでに泣きそうだった。ここで何とかしなければ、一生塔の中での孤独な生活だ。そんな生活、絶対に嫌だった。
ローズが絶望の未来に耐え切れず、ぐずんと鼻をすすると、ラファエルがやれやれと肩をすくめた。
「わかった。俺も未来の花嫁をいじめるのは本意ではない」
「……は、花嫁じゃないです」
「このままだったら君の意思は関係なく、この手紙の内容が履行されるはずだがね」
確かに、グリドール国の損得を考えれば、ローズが嫁ぐのが一番丸く収まる方法で、そしてローズを疎んじている国王なら本人の意思は関係なくそれを決めるだろう。
「……そんなに俺はいや?」
「わ、わたしは、できればわたしを好きになってくれる人と結婚したいです」
「その点については俺が君を好きになればクリアできる条件ではないかな」
「あり得ません!」
「なるほど。まあ、俺たちは会ったばかりで、そう思われるのも仕方がない」
それ以前に、ラファエルはレアを愛していたのだ。そんなに簡単に愛していた女性を忘れて違う人を思えるはずはないし、どうして彼が現在穏やかでいるのかはわからないが、近い将来、彼は女性不信になって、ローズを疎んじて遠ざける。愛されるとは思えない。
「わかったわかった。君は純愛の恋愛小説が大好きでまともに嘘もつけないレッドリストに乗るような変わった女性だ。俺が悪かった」
(わかってくれた?)
意外にもラファエルがあっさり引き下がったので、ローズはホッとすると当時に怪訝に思った。先ほどまで慰謝料がどうとか責任がどうとか言っていたのに、やけにすんなり諦めたらしい。
(まさかとんでもない慰謝料をグリドール国に要求する気……?)
もし、その慰謝料がローズがラファエルの提案を断ったからだとわかったら、父王はどうするだろうか。最悪、処刑なんてこともあり得るかもしれない。ローズはゾッとした。どっちに転んでも、ローズの未来に光はない。
ローズが未来を想像してふるふると震えていると、いつの間にか隣に移動してきたラファエルが、にこりと笑って彼女の手を取った。
「ではこうしないか? 残りの三週間余り、俺と君は協力してレアを探し出す。そしてレアに自身に、彼女の行動に対するしかるべき責任を取ってもらう。どう?」
「もし見つからなかったら……?」
「その時は、レアの置手紙に記されている通り、君には俺の妃になってもらう」
つまり、ようこそ冷遇妃の未来へ、ということだ。
だが、どうあっても最悪な未来しかないローズにとって、レアを発見することが唯一絶望の未来を回避する手立てである。
ローズが逡巡したのは一瞬だった。
(どの道方法がないなら、最後まであがきたいわ)
もしかしたら、レアが見つかって冷遇妃の未来は回避できるかもしれない。
「わかりました」
ローズが覚悟を決めて頷けば、ラファエルが満面の笑みを浮かべた。
「よし。交渉成立だ。じゃあ君には、部屋を移ってもらおうね」
ローズは、こてっと首を傾げた。
「……え?」
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