姉の失踪
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仮面舞踏会の翌朝。
ローズは世界の終わりを見たかのように沈んでいた。
「ローズ様、どうなさったんですか? 昨日の仮面舞踏会で嫌なことでもあったんですか?」
朝食も食べようとしないローズに、ミラがクッキーを勧めながら心配そうに訊ねる。
ローズはクッションを抱えてソファにごろんと横になった。
言えるわけない。これで冷遇妃になる未来が決定したなんて。
そう、花火に心を奪われていたローズは、まんまとレア(姉候補その一)が会場からいなくなるのを見過ごしてしまったのだ。
(ぜったいあれがお姉様だったのよ。だってあのあと残りの二人の口元を確かめたけど、ほくろなんてなかったもの!)
そもそもレアが仮面舞踏会に参加していなかったという可能性も否めないが、もしそうならば、端から作戦失敗だ。結局未来は変わらない。
「ああー……」
「ローズ様ー、本当にどうしちゃったんですかー?」
ミラがローズの肩を揺さぶりながら「気分が悪いならお医者様をお呼びしますよ」と言うが、気分は悪いがこればかりは医者で直せるはずもないのだ。
(終わった、わたしの人生……)
今頃は姉の部屋でラファエルが書置きを見つけているころだろう。そのうち怒り心頭でこの部屋に押しかけてくるに違いない。
今回のレアの裏切りでひどく傷ついたラファエルは一気に女性不信に陥って、半ば強引にローズを姉の身代わりにして、結婚後に塔に軟禁するのだ。
ぼすっとクッションに顔をうずめて泣きそうになっていると、コンコンと部屋の扉が叩かれた。
びくりと肩を揺らしたローズに変わり、ミラが部屋の扉を開ける。
「え……、ラファエル王太子殿下⁉」
ミラノ驚愕の声が聞こえてきて、ローズは自分の人生が詰んだと思った。――が。
「やあ、ローズマリー、じゃなかった。ローズはいるかな?」
やけに明るいラファエルの声に、ローズは「ん?」と眉を寄せる。
ラファエルの声は一度も聞いたことがないのに、なんだか聞き覚えのある声がする。それに聞き間違えでなければ彼は今「ローズマリー」と言わなかっただろうか。ローズマリーはローズがモルト伯爵に語った偽名である。
どういうことだと飛び起きたローズは、部屋の扉のところで、ひらひらと機嫌よく手を振っているシトリン色の髪をした男を発見し、あんぐりと口を開けた。
「やあ、さっきの君の驚いた顔は面白かったね!」
ラファエルが面白そうにけらけらと笑う。
だが、混乱の極みにいるローズは、先ほどから飲んでいる紅茶の味もわからない。
ラファエルにローズと二人きりで話したいと言われて、ミラは使用人部屋に下がっている。
訳が分からなくてローズが魂が抜けたように放心していた間にも、ラファエルに頼まれたサービス係が、部屋にたくさんのお菓子と美味しそうな紅茶を運んでくれたが、そのせいで余計にわけがわからなくなってしまった。
(……どういうこと? どうして殿下はこんなに上機嫌? いや待って、その前に、どうして殿下がモルト伯爵⁉ 赤い髪はどこにいったの⁉)
パニックである。
髪の色こそ違えど、目の前にいるのはローズに向かって「モルト伯爵」と名乗った青年に他ならない。だが、ミラが彼のことを「ラファエル王太子殿下」と呼び、彼もそれを否定しなかったのだから、キラキラと輝くシトリン色の髪をした彼は、まさしくラファエル王太子殿下なのだろう。
(夢? そうよ、夢を見ているのよ! だっておかしいじゃない! お姉様がいなくなったのに、殿下がこんなに機嫌がいいはずないものね!)
ローズはむぎゅっと自分の頬をつねった。そしてあまりの痛さにじんわりと目尻に涙が浮かぶ。
「……何をしているのかな?」
「夢かと思って」
「それで頬をつねるの?」
「いたくなかったら夢だって、本に書いてありました」
「……そう。それで、痛くないのかな」
「痛いです」
「そうだろうね。はい、ハンカチ」
普通は頬をつねるのでもそんなに容赦なくつねったりしないよとあきれ顔で、ラファエルが真っ白のハンカチを差し出してくれる。
受け取って涙をぬぐいながら、ローズはこれが夢でないならば、やはりどういう状況なのだろうかと途方に暮れた。
「とりあえず、状況は理解してくれたかな」
「はい。……モルト伯爵がラファエル殿下だってことは理解できました」
「そう、それで?」
「でも、どうしてわたしがローズマリーではなくローズだと思ったんですか?」
「え、それ本気で聞いてる?」
ラファエルはポカンとして、それから再びけらけらと笑い出した。マルタン大国の王太子殿下はどうやら笑い上戸らしい。知らなかった。
「いやあ、やっぱり君はレッドリストに載ってるに違いないね! 名乗るときにあれほど挙動不審になっておいて、俺を本気で騙せると思っていたならすごいよ!」
どうやらはじめからばれていたらしい。
だが、名前が偽名だとわかったとして、どうしてローズマリーが「ローズ」だとわかったのだろう。首をひねっていると、ラファエルは笑いながら種明かしをした。
「簡単なことだ。まず、この船に乗っている一等客室の人間は使用人を外せば、二人で一部屋を使っている人間を入れても六十人に満たない。不審な名乗り方をされたのだから、当然、ローズマリーという名前が本当かどうかは調べるだろう? そして、その名前の客がこの船に乗っているか名簿を調べたところ、そんな客は一人もいなかった。さらに、君は名乗るときに『ローズ』の『ロ』で慌てたように口を閉ざした。つまりは最初の一文字『ロ』は正しいことになる。では『ロ』からはじまる名前の十七前後の女性が君の正体ということになる。そしてそれは、グリドール国の第二王女ローズ王女しか該当者がいなかった。さて、ここからは助言だが、もし偽名を名乗るなら堂々と、そして本当にこの船に乗っている人物を名乗るべきだ。俺のようにね」
もう、ぐうの音も出なかった。
ラファエルは友人であるモルト伯爵の名前を借りて、船の中での束の間の自由を満喫していたらしい。王太子の身分だとどこに行っても目立つので、たまに友人の名前を借りてふらふらしているそうだ。そして、その遊びのさなかにローズに出会い、興味本位に助けて見たという。
「まさか最初はローズ王女だとは思わなかったけどね」
ラファエルは実に楽しそうだ。
だが、ローズの正体がばれたカラクリはわかったけれど、本当ならば不機嫌極まりない顔でローズのもとに押しかけてくるはずのラファエルは、どうして笑っているのだろう。
(まさか、お姉様は失踪しなかった⁉)
未来は変わったのかもしれない。だからラファエルはご機嫌なのかもしれない。
(やった! ってことは、冷遇妃の未来は回避できたってこと?)
ぱあっとローズは顔を輝かせた。
「ん? なんだか急に顔色がよくなったね」
「はい! それはもう!」
ローズはにこにこしながら、紅茶に口をつけた。うん、今度はきちんと味がする。
安心するとお腹がすいてくるもので、目の前にあったマドレーヌを一つつまんだ。バターたっぷりで美味しくて頬が落ちそう。あと三週間余り、こんな清々しい気持ちで美味しいものが食べられる贅沢がおくれるなんて、幸せすぎて涙が出そうだ。
もぐもぐとマドレーヌを咀嚼して、ごくごくと紅茶を飲んだローズは、「それはよかった」と微笑むラファエルに微笑み返した。が。
「では、ここからが本題だ。実に遺憾なことに、君の姉上が置手紙残して失踪した。さて、これはグリドール国の責任問題だと思わないかい?」
ぶーっとローズは口に含んだ紅茶を盛大に吹き出した。