伯爵とライブラリー
「モルト伯爵はラファエル王太子殿下のご友人だったんですね」
次の日。
モルト伯爵から誘われてライブラリーにやってきたローズは、モルト伯爵と個室の読書ルームに入ると言った。
ミラにモルト伯爵のことを話すと、怪しんだ彼女が船のサービス係をモルト伯爵について訊ねたのである。
すると、有名だというのは本当だったようで、サービス係はあっさりと「マルタン大国の王太子殿下のご友人ですよ」と教えてくれた。サービス係は客の個人情報をあっさり離さないものだが、モルト伯爵からローズのことを聞かされていたのか、にっこり笑って「ご用事があれば取り次ぐように言われておりますから、いつでもお呼びください」と言った。
ラファエル王太子の友人に近づきたいと思っていたローズは、びっくりするほどあっさりお近づきになれたことに驚いたが、ミラは別の部分で興味を持ったらしい。
「まあ、そういうことなら応援申し上げますわ! ぜひぜひ頑張ってくださいませ」
何をがんばるのかさっぱりわからなかったローズは曖昧に頷いたが、ミラが何か興奮しているらしいということは理解できた。
そんなこんなで、モルト伯爵からライブラリーの誘いが来たのだが、ローズが返事をする前にミラがさっさと返事をしてしまって、ここに至る。
「そんな恨めしそうな顔をしなくても。別に隠していたわけじゃないんだから」
「別に、恨めしそうな顔なんてしていませんよ」
「そうだろうか。まるでラファエル殿下に恨みでもあるような顔だ」
「まさか」
恨みがあるかと聞かれたら、まったくないとは言えないが、それはこれから先の未来での彼に対してであって、現在の彼に対して思うことは何もない。
「ふふふ、それにしても君は本当に世間知らずなレディだな」
「?」
モルト伯爵が突然そんなことを言って楽しそうに笑うから、ローズ意味がわからず首を傾げる。
「君がそんなに美人だなんて知らなかったし、何よりそんなに純真で可愛らしいとはね。聞いていた話と大分違うな」
「?」
モルト伯爵は何を言っているのだろう。
ローズが不思議に思っていると、個室にティーセットが届けられた。さすが一等客室専用のライブラリー。望めばティーセットのサービスもあるのだ。ちなみにこのサービスは有料だが、モルト伯爵の言うところの「男の気遣いはうんたらかんたら」で、ありがたくごちそうになることにした。
「それで、君はいったい何の本を取って来たんだ?」
ライブラリーに誘ったくせに自分は本を読む気はないのか、モルト伯爵の手元には一冊の本もない。
対して、ローズの手には二冊の本があった。ローズはタイトルをモルト伯爵に見せながら笑う。
「『ツェツィーリアの恋』と『ベルベットの鐘』です」
「どちらも恋愛小説か。……ふむ。ちなみに『ベルベットの鐘』はいいとして、『ツェツィーリアの恋』は官能小説だが、君はそう言うのがお好みかい?」
「かんのうしょうせつ?」
「男女の営みが懇切丁寧に描かれた、エロス探究者のための小――」
「きゃああっ」
ローズは思わず『ツェツィーリアの恋』を取り落とした。
真っ赤に染まったローズの顔を見て、モルト伯爵がけらけらと笑う。
「いや、実にいい反応だ。最高!」
「揶揄ったんですか⁉」
「いや、官能小説というのは本当だよ。意外と君はそっちに興味があるのかと思ったが、そういうわけでもなかったのか」
「うう……」
恥ずかしい。未来では既婚者だったとはいえ、結婚当初から塔に閉じ込められていたので、そっち方面の経験はゼロだ。顔から火が出そうである。
「さて、かわいそうだからそれは俺が返してきてあげよう。ついでに、代わりに何か見繕って来てやろうかな。今まで読んだ小説でどんな本が好きだった?」
「……『片翼の女神の純愛』」
「なるほど。本当に君は想像を裏切らないな。いいよ。好きそうなものを持って来よう」
モルト伯爵は席を立つと、『ツェツィーリアの恋』を持って個室を出ていく。
ローズはモルト伯爵を待つ間、顔の熱を冷まそうと、アイスティーに口をつけた。さわやかなミントの浮かんだアイスティーで、香りも相まって、すーっと頭の芯が冷えていく。
顔のほてりが落ち着いたころ、モルト伯爵が一冊の本を持って戻ってきた。
「『忘れられた花』だ。君の好みに合うと思うよ」
それはローズの知らない本だった。モルト伯爵によると、マルタン大国の古い昔話がもとになっているらしい。
わくわくしながら本を開くと、くすりと笑ってモルト伯爵が、すっと一通の封筒をテーブルの上に置いた。
「四日後に、船首のホールで仮面舞踏会が開かれるのを知っているかい?」
ローズは顔をあげた。
「これはその招待状だ。もし興味があれば来るといい」
「え……?」
手に入れたかったものがあっさりと手に入って、ローズは目を丸くした。
「興味ない、かな」
「いえ……そんなことは」
むしろ、興味大ありだ。姉レアが失踪するのを断固として阻止しなければならないからだ。
だが、勢いよく「ありがとうございます!」と飛びつくのも怪しまれそうで、ローズはそーっと封筒を手にしながら訊ねた。
「モルト伯爵も参加されるんですか?」
「おっと。仮面舞踏会だからね。それは秘密だ。参加者の名前や身分は一切聞かないのがマナーだよ」
そう言えばそうだった。仮面舞踏会でかぶる仮面は、何も顔を隠すためだけではない。身分も出自も、名前さえもすべてを偽って、架空の誰かになって楽しむ、それが仮面舞踏会のルールである。
「だから俺も、君に参加するかどうかはきかない。ただ、気が向けば来てみるといいよ。それなりに楽しめるはずだ」
「そういうことなら……」
もちろん絶対に行くけれど、身バレにつながるようなことは一切口にしないのがルールなのだから、ローズも曖昧に頷いて受け取っておくことにした。
「読書の邪魔をしたね。もう話しかけないから、存分に楽しんでくれ」
モルト伯爵がそう言って、優雅にティーカップを傾ける。
ローズは一つ頷くと、モルト伯爵が持ってきてくれた『忘れられた花』の一ページを開いた。