アート・ギャラリーの誘惑 3
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「つまり、アート・ギャラリーにはまだまだわたしに不埒なことをしようとする男性がいて、あのままあそこにいたら危険だったんですね。お助けくださって、本当にありがとうございます」
青年に半ば強引にラウンジに誘い出されたローズは、モルト伯爵と名乗る彼から、アート・ギャラリーにはまだまだあの猫背の紳士のような連中がいたのだと聞かされて、深々と彼に向かって頭を下げた。
「いや、だからね、そんな純粋に……」
「それに、こんな素敵なものを買っていただいて、なんてお礼を言ったらいいのか」
ローズの手には、アート・ギャラリーで販売されているパンフレットがある。ラウンジに誘われたローズが、まだ絵画を全部見ていないと言うと、モルト伯爵がパンフレットを買ってくれたのだ。アート・ギャラリーは逃げないから、今日のところはそれで我慢してほしいと彼は言ったが、何を我慢することがあるだろう。むしろほしかったパンフレットを買ってもらえて、天にも昇るような気持ちだ。
ローズがにこにこと笑うと、モルト伯爵は額に手を当ててはーっと息を吐きだした。
「……君ほどに純粋な女性ははじめてだよ。女性の演技を見破るのは得意なんだが……、君は本物のようだから……、ちょっとからかってやろうと思っただけなのに、困ったな」
「はい?」
「いや、こっちの話。そんなことよりも、ここのチーズケーキは絶品だと聞いたから、食べてみるといいよ」
「でも、いいんでしょうか……。パンフレットも買っていただいたのに」
「レディ、忠告するならば、こういう時の男性の気遣いは素直に受け取るべきだ。男の自尊心を傷つけたくないならね」
そう言われては、断れない。
ローズがモルト伯爵に薦められるままにチーズケーキとレモンティーを頼むと、彼はコーヒーとビスケットを頼んで微笑んだ。
「それはそうと、レディ。一等客室にいるくらいだ。君は貴族か裕福な家庭の出だろう? いくら船の上とはいえ、そんな君が一人でうろうろするものではない。使用人はいないのかい?」
「いるには、いますけど……」
ミラと一緒に行動したら、万が一レアと遭遇した時に顔ばれしてしまう危険性がある。ローズ一人ならずっと前髪で顔を隠していたし、ローズがこんな綺麗なドレスを持っているとはレアは知らないはずだから、万が一の時にも気づかれない。
だが、そんなことを説明するわけにもいかず、ローズが弱り顔で黙り込んでいると、コーヒーに砂糖を一つ落としたモルト伯爵が微笑んだ。
「訳ありのようだから聞かないよ。そのかわり、君がどこかに行きたいときは俺を伴う。これでどうだろう? 船のサービス係を捕まえてモルト伯爵を呼んで来いと言えばすぐに伝わるはずだよ」
モルト伯爵は船の上でなかなか有名な人物らしい。だが、彼の提案の意味はわからない。
ローズが怪訝そうな顔をすれば、伯爵は固いビスケットをコーヒーに浸しながら続けた。
「悪い提案ではないと思うんだけど。君はあわよくば君に不埒なことをしようとする輩から守ってもらえて、俺は君のような面白い人物をもうしばらく観察できる」
「観察……」
「君のような女性はとうに絶滅していたと思っていたからね。いわば、君はレッドリストに載った珍しい動物の最後の生き残りだというわけだ」
それは、褒められているのだろうか。
むむっとローズが眉を寄せると、モルト伯爵が笑った。
「はは。さすがに今のは聞き流さなかったか。悪かった。わざと嫌な言い方をした。だが、君をもうしばらく見ていたいと思ったのは本当でね。なんだか君を見ていると、汚れたキャンパスが白く蘇りそうな気がしてくるんだ。船の上の生活もせいぜい一か月。もちろん俺は君に不埒な真似はしない。ね、悪い提案ではないだろう?」
そうかもしれない、と思ってしまったのは、やはりローズが彼の言うところの「世間知らず」だからだろうか。
だが、一人でうろうろしていて先ほどのような「ナンパ」をされては、ローズにはうまく断る術がない。
「本当に、サービス係にお願いしたら、あなたを呼んできてもらえるんですか」
「もちろん。俺は有名人だからね」
自分で言うくらいだ、本当に有名人なのだろうが、ローズがまったく知らないことを考えると、マルタン大国の出身だろうか。ローズはこれでも、乳母から国内の有名貴族の名前をおぼえさせられていたから、顔はわからないにしても、名前くらいならわかるのである。
「そう言うことだから、レディ。君の名前を聞いてもいいだろうか」
「あ、ロー……」
ローズはすんなり名乗りかけて、慌てて口をつぐんだ。この船の一等客室の船室は四十室。その中でも王族ともなれば誰もが名前を知っているだろう。
「ロ……、ローズマリーです」
ローズがどもりながら言いなおすと、モルト伯爵が赤い瞳をすうっと細めた。
「……なるほど、ローズマリーか。これから一か月、どうぞよろしく、ローズマリー」