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アート・ギャラリーの誘惑 1

本日二回目の投稿です

 レアが失踪する仮面舞踏会の夜は五日後に開かれる。


 仮面舞踏会の発祥はマルタン大国だ。

 年に一度、エペーレ海の海底深くに住むとされる豊穣の女神の生誕祭の前日から一月の間、マルタン大国では酒を飲むことをはじめ、あらゆる娯楽を禁ずる禁欲の期間に入る。

 それは、豊穣の女神が、自身の誕生日に夫である命の神の浮気現場を目撃し、激怒して彼を一月海の底の牢屋に閉じ込めたという神話からきていて、人々はその禁欲生活を耐えるために、その前日に仮面をかぶり、一夜の享楽に耽った、というのがはじまりだそうだ。


 もっとも、身分を忘れた享楽の一夜は現在では認められておらず、ただ単に、仮面をかぶり、自身の身分を隠して楽しむダンスパーティーというのが、最近流行している仮面舞踏会で、その開催時期も、禁欲期間に関係なく、社交シーズンであればいつでも行われている。


(つまり、五日後までは今のところ安泰なのよね)


 滑るように動き出したプリンセス・レア号は、エペーレ内海をゆっくりと一周しながらいくつかの場所に寄港し、一か月間のクルーズを終える予定だ。

 ローズの記憶によるとレアが失踪するのは五日後の夜のことだから、今のところ、それまではひとまず安全ということになる。

 問題は、仮面舞踏会に参加するには招待状が必要で――なぜなら、五日後の仮面舞踏会は、マルタン大国王太子のラファエルが主催している――、ローズはその招待状を持っていないということだった。


(何とかして招待状を手に入れないといけないけど、どうすればいいのかしら……?)


 ローズはレアが失踪したときの記憶を持っていない。

 なぜなら、記憶の中の未来のローズがレアの失踪に気がついたのは、翌朝、彼女の部屋から「あなたの妻にはなれません。かわりに妹を差し上げます」という書置きが見つかったあとで、それも船室にやってきたラファエルから聞かされて知るのだ。


 記憶の中のローズは、父の命令に従って、船の船室から一歩も出ない生活を送っていた。当然仮面舞踏会の夜も部屋の中にいて、レアの失踪当時の状況はまったく知らないのだ。

 だが、記憶と同じルートをたどれば、もれなく冷遇妃の未来が待っている。ここは何としても仮面舞踏会の招待状を手に入れなくてはならない。

 幸いにして、仮面舞踏会は身分を隠しての参加なので、パートナーを連れていく必要はないから、招待状さえ手に入ればこっちのものだった。仮面をつけて参加するので、ミラの化粧テクニックと仮面で顔を隠せば、ローズの正体もわからないだろう。


(確か、ラファエル様は友人を何人か船に招待していたわよね)


 いずれも名門貴族の子息たちで、彼らは確か、ラファエルが王立学園に通っていたときの同窓らしい。ラファエルは姉レアと同じ十九歳で、レアとはそのマルタン大国の王立学園で出会ったのだ。レアが留学していた時のことである。ちなみに、ローズには留学が許されていなかったから、ローズに教育を施したのはもっぱらミラの母である乳母である。

 子爵夫人でもあるミラの母は、独身時代、それもミドル階級の人間が行くところで貴族は誰も通わないと言われる大学を出た才女だ。当時は労働階級に身をやつすのかと揶揄されたこともあったというが、そのおかげで、大学に資金援助していた子爵と知り合ったという。


 おかげで、家庭教師の一人も与えられなかったローズだが、一通りの学問は習得しているが、レアが一年間の留学に出たと聞いた時は、ちょっぴり羨ましかったのを覚えている。


(そのラファエル様のお友達の誰かにお近づきになれないかしら?)


 そして、あわよくば仮面舞踏会の招待状を入手するのだ。


(……でも、どうやったら知り合いになれるのかしら?)


 ローズはバルコニーのデッキチェアの上で首をひねる。

 バルコニーは日差しが燦々と降り注いで気持ちがいい。ミラは「日に焼ける」と気に入らないようだが、ローズがせっかく束の間の自由を手に入れたのだから、日差しを浴びてのんびりしたいと言えば文句は言わなかった。


「ローズ様、せっかく髪を切って眉を整えてたのですから、少しは船内で遊んでいらしたらどうですか? さすがにこんなところまで見張りはおりませんし、レア様もこちらには来ないでしょう?」


 堂々と国王の命令に逆らえと言ってしまうミラはなかなか肝が据わっている。

 だが、それもそうだとローズは頷いた。遊ぶ云々はともかく、外に出なければ、目的のラファエルの友人にも出会えない。もちろん出かけたからといって出会える保証もないのだが、部屋に閉じこもっているよりは可能性も上がるというものだ。


(船首側にはお姉様がいるからいけないけど、このあたりだったらうろうろしても見つからないわよね)


 ローズがデッキチェアから立ち上がると、ミラが「そうこなくっちゃ!」と満面の笑みを浮かべて、クローゼットからドレスを引っ張り出してきた。古臭いドレスしか持っていなかったローズは、ミラが手に持っている真新しいドレスに首を傾げる。


「ミラ、それはなに?」

「なにってドレスですよ?」

「でも、新しいわ」

「当然です。船に乗る前に手に入れた、最近流行しているデザイナーのドレスですよ」


 そういうことを訊いているのではない。ローズが知りたいのは、その最新だか何だか知らないが、新品のドレスが何故ここにあるのかということだ。


「ちっちっち、忘れたんですか? お母さんは今、王妃様の侍女をしているんですよ」

「そ、そうね。それは知っているけど……」


 ローズの乳母としての務めを終えたミラの母は、王妃の侍女に復帰している。それは知っているが、それとこれと何の関係があるというのか。


「ふっふっふ、まだわかりませんか? 侍女って言うのはいい職業で、主からいらなくなった宝石とかドレスとかもらえたりするわけですよ」

「……そうだったわね。何も上げられなくてごめんなさい」

「ああっ、そういうことを言っているわけではなくてですね!」


 ミラはブンブン首を横に振って、ドレスをカウチソファの上に広げた。


「お母さんは猫かぶりが得意なので、あれでもなかなか優秀な侍女でして、王妃様のお気にいりなわけですよ」

「そうね、それは知っているわ」

「で。いろいろ宝石類も下賜されるわけで」

「ええ、それで?」

「このドレスは、その宝石の一部を売り払って手に入れたものなのです!」

「ええ⁉」


 王妃から下賜された宝石を売り払ったのか。

 唖然とするローズに、ミラはにやにやと笑う。


「王妃様の宝石ってことは、もともとは王族のものなんですから、ローズ様のために使ったってなんの罰も当たりませんって! お母さんも『派手に使ってらっしゃい!』って気前よくくれましたからね! これだけじゃなくてまだまだ用意してありますよ、ドレス! 大丈夫、陛下にも王妃様にも気づかれていませんので!」


 そういう問題だろうか。不安に思うローズの手を引いて、ミラはバルコニーから室内に引きずり込むと、着替えましょうと手をわきわきさせる。


「宝石類はさすがにばれると面倒くさいので用意していませんけど、可愛いリボンならたっくさん買ってきましたから、お任せください! 何もキラキラ光るだけがアクセサリーじゃないんです!」


 ミラの目が爛々と輝いている。


「だいたい、ローズ様めちゃくちゃ美人なのに、着飾らないともったいないですって!」

「何を言っているのかわからないわ」

「わたくしには、ローズ様がどうして自分をそれほど卑下していらっしゃるのかがわからないですけどねー」


 ミラはことあるごとにローズを「美人だ」といって誉めそやすが、そんなはずはない。なぜなら十人並みで王にも王妃にも似ていない出来損ないだから、十七年間その存在を無視されてきたのだ。美人だったら、レアのように両親から可愛がられていた。


「顔立ちなんて、成長とともに変化するものなのに、生まれて数か月の顔立ちがどうこうって、まったく馬鹿馬鹿しいったらないですよ」

「ミラ?」

「こっちの話です。ささ、早く着替えてお化粧しましょ」


 ミラに容赦なく先ほどまで来ていたワンピースをはぎ取られて、空色のドレスを着せられる。藍色の髪はコテでふんわりとまかれて、白いレースのリボンで飾られた。

 そのまま化粧台に連行されると、顔にふんわりとおしろいがはたかれる。頬紅と淡いピンク色の口紅が塗られて、目尻に少しだけローズピンクの色を入れられた。


「うんうん、我ながらなかなか。素材がいいとお化粧するのが楽しいですねー」


 ミラは満足そうに笑って、最後にローズの首の後ろにジャスミンの香りの香水を少しだけふりかけた。


「完成! ささ、楽しんでいらっしゃいませ」


 ミラに送り出されて、着飾ったローズは船内の見取り図を思い浮かべる。未来のローズは、外に遊びに行けない代わりに、穴が開くほどに船内の見取り図を見ていたから、大体の位置関係は覚えていた。


(このあたりのあるのは、アート・ギャラリーとライブラリーよね)


 ローズは、一番近いアート・ギャラリーへ向かうことに決めて、真新しいドレスの裾を踏まないように注しながら、ゆっくりと真っ赤な絨毯が敷き詰められている廊下を進んでいった。


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