帰還
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グリドール国王とその王妃は、マルタン大国ラファエル王太子からの連絡を受け、血相を変えてローアン港へ向かった。
本日、一か月の航海を終えて、プリンセス・レア号がローアン港に戻ってくる。
だが、グリドール国王夫妻は娘であるレアとその婚約者の帰還を喜ぶためにローアン港へ訪れたわけではなかった。
(何かの間違いであってくれ……!)
グリドール国王は、整った顔に強い憂いを乗せて、祈るような気持ちで雲一つない青空を見上げた。
船の到着に先だって、ラファエルから遣いが届いたのだ。
その使者の報告を聞いたグリドール国王は、今にも卒倒せんばかりに仰天した。
愛娘レアが、航海中に置手紙を残して失踪したという。レアは無事に発見できたが、娘は恋人と駆け落ちしたそうで、さらにその恋人に金品を奪われて捨てられたらしい。
レアの侍女であるスーリンがローズに危害を加えようとしたとの報告もあったが、それはどうでもよかった。問題は、レアの駆け落ちの件でラファエルがひどく怒っているということだ。
――今後のことについては、帰ったときに詳しく。
使者から渡された手紙にそう書いてあったのを思い出して、グリドール国王はひどく憂鬱になる。レアとラファエルの婚約が破談になるのは間違いない。問題は、その慰謝料がどれほどになるかということだった。下手をすれば国土の一部を持って行かれかねない。完全なるこちらの落ち度であるから、大きな騒ぎにされれば諸外国との国交にも関わる。これは大きな信用問題だ。
そわそわと落ち着かなげに海のむこうに見え始めた船の到着を待つ。
まずは港でラファエルが何かを言う前に急いで城へ連れ帰らなくては。このことは、話がつくまで国民にも伏せておきたい。
優美な曲線を描くプリンセス・レア号が港に到着すると、港に集まっていた国民がわっと歓声を上げた。彼らは船からレアとその麗しい婚約者が下りてくるのを今か今かと待っている。
グリドール国王はきりきりと胃の当たりが痛くなるのを感じた。ここでラファエルとレアがそれぞれ別々に降りてきたらどうなるだろう。国民は不審に思うに違いない。せめてこの場だけでも、にこやかに婚約者らしく降りて来てはくれないだろうか。……さすがに無理があるだろうか。
混乱を避けるために、一般乗船客の下船より先にラファエルたちが下りてくるはずだ。
無意識のうちに胸のあたりで手をきつく組んでタラップを見つめていたグリドール国王の視界に、まばゆいシトリン色が映った。ラファエルだ。
ラファエルの姿にわっと一際高い歓声を上げた国民たちは、次の瞬間、シーンと静まり返った。
ラファエルの隣に立つ女性が、レアではなく、別の女性だったからだ。
小柄な女性だった。そして、驚くほどに美しい女性だった。藍色の髪が風にふわりと揺れて、神秘的なタンザナイト色の瞳がきらきらと輝いている。
ラファエルが恭しくその女性の手を取り、ゆっくりとタラップを降りてくる。
(はは……!)
グリドール国王は、思わず口端に笑みを浮かべた。
あればレアではない。ラファエルはレアとは違う女を伴って降りてきた。これはついている。いくらレアが駆け落ち未遂を起こしたからと言っても、ラファエルはまだレアの婚約者だ。一人で降りてくるならいざ知らず、違う女性を、しかもあれほど親密な雰囲気を持ってエスコートしているのだから、これはこちら側の言い分もできた。真実はどうあれ、ラファエルが浮気心を起こしたからレアが逃亡したことにすればいいのだ。これで交渉は楽になった。
笑みを浮かべていたグリドール国王は、しかし、次の瞬間凍りついた。
ラファエルがタラップを降り切るかどうかというところで、彼の護衛の一人が大きな声でこう宣言したからだ。
「ラファエル殿下、ならびにグリドール国第二王女ローズ殿下、ご帰還です!」
グリドール国王はひゅっと息を呑んで瞠目した。
「ローズだと⁉」
思わず、人目があることも忘れて大声で叫んでしまう。
「馬鹿な! ローズは、だってローズは……!」
そのあとが続かない。
確かに、ローズはあの女性のような藍色の髪をしていたような気がする。瞳も、夕暮れから夜に変わる空の色のような不思議な色をしていた。体格も、似ているかもしれない。ローズをきちんと見たことがないからわからないが、そんな気がする。
そして——
いつの間にかグリドール国王の近くまでやって来ていたラファエルが、にこやかな笑みを浮かべて、そっとローズの顔をグリドール国王に向けた。ローズの顔をはっきりと確かめたグリドール国王は、全身が震えるのを止められなかった。
(……似ている)
似ていないと思っていた。不義の子だと思っていた。どこの男の子かもわからない不細工な赤子を産みやがってと腹を立てていた。だが——目の前のローズは、驚くほどに自分によく似た美貌を持っていた。
もう、言葉もなかった。
ローズの神秘的な瞳がグリドール国王の瞳と絡んだのは一瞬だけ。すっと伏せられた視線は、父親には娘の拒絶に見えた。
隣の王妃も、瞠目したまま凍りついている。
震えながら、言葉を発することもできない国王の耳に、「レア王女のご帰還です!」という声が聞こえてきた。
ハッと顔をあげたグリドール国王は、まるで罪人が移送されてくるように、両脇を護衛官に挟まれて降りてくるレアの姿を見て驚愕した。
ざわり、と先ほどまで息を呑むようにして黙り込んでいた国民たちが騒ぎ出す。
黒髪も、黒い瞳も同じだった。だが、明らかに違うのはその顔だ。
(……誰だ、あれは)
これが、グリドール国王の率直な感想だった。
知らないと思った。知らない顔だ。あれはレアではない。なぜならレアは女神のように美しい娘だ。あんな不細工な娘ではない。
わけがわからなくなって、意味もなく何度も首を横に振るグリドール国王の横で、王妃が音もなく卒倒した。
だが、グリドール国王には王妃を助け起こす間もなかった。
ラファエルが微笑んで、そっとグリドール国王の耳にこうささやいたからだ。
「レア王女は、本当に妃殿下によく似ていらっしゃいますね。化粧を落とした素顔まで、瓜二つだそうですよ」
ふふふと耳元で笑うラファエルの声がだんだんと遠のいていく。
美しい王妃と今のレアが似ている? 王妃の素顔とはどういうことだろうか? ……思えば自分は。妃が化粧を落とした素顔を見たことがあったろうか。
どういうことだ、と何度も自問をくり返すが、混乱しすぎて答えにたどり着かない。
グリドール国王は、人の視線を恐れるかのように俯いているレアを見つめ、茫然とした。
お読みいただきありがとうございます。
明日で完結予定です(*^^*)
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