第8話 戦士達の帰還
獣人村の村長、ゴードンさん視点です。
「はあ、はあ……ゴードンさん、すまねえ……俺ぁ、もう……」
「バカ野郎、諦めるんじゃねえ! お前だって村には妻と子供が待ってんだろうが、歯ぁ喰い縛って生きろ!!」
仲間の獣人に肩を貸しながら、俺は必死に村へ向けて歩を進める。
パヤック村の村長である俺は、村のみんなのためにどうにか食料を得ようと十人ほどの戦士達を率いて狩りに出たんだが、結果は見事に惨敗。途中で魔物に見付かり、命からがら逃げ出す羽目になっていた。
これでも以前は、狼族一の戦士として名を馳せていたんだがな……ハッ、もう歳か。
だが歳だろうと何だろうと、俺の無謀に付き合ってくれた仲間だけは死なせるわけにはいかない。
村にさえ戻れれば、あの辺りはこの森の守護神であらせられる神狼様の加護のお陰であまり強力な魔物は寄り付かないし、落ち着いてゆっくりと休むことが出来る。それまでは、何がなんでも仲間を守り通すんだ。
「だけどよ……今回も大した食料は獲ってこれなかったし……このままじゃあどのみち……」
「言うな。みんな分かってんだ」
ボロボロになりながら泣き言を漏らす仲間を、俺は叱咤する。
人間による獣人達への奴隷狩りから逃げ延び、この魔狼の森へとやって来た俺達だったが、その生活は決して楽とは言えないものだった。
いくら食料が豊富に獲れる肥沃な土地と言えど、魔物が山ほど生息していてはまともに狩りや採集にも出歩けない。
畑を耕そうにも、元より着の身着のまま逃げ出してきた俺達だ。種も苗も何もなく、森に生えている適当な香草を栽培するので手一杯。それも半ば放置しながら勝手に生えてくるものを摘んでいるような状態だ。
近場で採れる木の実でどうにか食い繋いでいるが、冬になればそれらもほとんど採れなくなるだろう。そうなる前に、保存食となる食料を確保出来なければ俺達は……。
いや、食料だけじゃない。建物や衣類、生活に使う道具も、そのほとんどが急繕いでボロボロ。
新しく作り直そうにも、男達は狩りに出るかその結果として怪我をして動けなくなっているし、残された女達では生命線である柵の整備で手一杯。仮に食料があったとしても、冬の寒さを凌げずに凍え死んでしまうかもしれない。
「くそっ……どうして俺達がこんな目に……」
誰からともなく、そんな呟きが漏れる。
もはや怒る気にもなれない。皆一様に、同じ想いを抱いているからだ。
ただ森の奥で平和に過ごしていただけなのに、私利私欲のために俺達から土地を、仲間を奪っていった人間への怒り、憎しみ……ずっと蓋をしてきたそれらが、未来への不安から表出しようとしている。
「これも、我らが獣神様の与えた試練だ。乗り越えれば、必ず報われる時が来る」
だが、その思考は危険だ。
俺だって、人間に対して思うところは山ほどあるが、獣人と人間とでは戦力差がありすぎる。憎しみのまま戦ったとして、勝ち目などあるはずがない。
だからこそ、神の名を借りて皆を宥めるのだが……それもいい加減、限界に近付きつつある。
「けどよ、報われるったってそりゃあいつになるんだよ……!?」
「…………」
仲間の問いに、俺は答えられない。気休めを言ったところで、それは後により大きな絶望になって返ってくるだけなんだからな。
「ちくしょう……獣神様……神狼様でも誰でもいい、助けてくれよ……」
もう、皆限界だ。
この際誰でもいい。この先の見えない苦しみから逃れられるなら、人間にだって喜んで尻尾を振ろう。
だから誰か、我ら獣人に救いの手を――
「お、おい……俺達の村、何か様子がおかしくないか?」
そんな時、前を歩いていた仲間の一人がそう呟くのが耳に届いた。
村の様子がおかしいだと? まさか……!
「魔物の襲撃か!? くそっ、早く戻らなければ……!」
「い、いや、そうじゃない。あんな建物、俺達の村にあったか……?」
「は?」
何を言っているんだ? と怪訝に思いながら、俺も村の方へ目を向ける。
するとそこには、確かに見覚えのない建物があった。
柵よりずっと高い位置に張り出した三角屋根……物見矢倉だ。
魔物に対する周囲警戒のために建てたのか? 確かに、ある程度意味はあるだろうが……あれほどの物をこの短期間で作る余裕などあっただろうか?
「なあ、柵が出る前よりも随分と立派になってないか?」
更に、よく見れば魔物避けの柵すらも以前よりずっと立派に、背の高い物になっている。
出掛ける前は、崩れかけの家が外からでもよく見える状態だったというのに。
「本当に、何があったんだ……?」
疑問を覚えながらも、村に近付く。
矢倉に登っていた者が俺達の接近に気付いたのか、声を張り上げて門を開けてくれた。
そして、その先に広がる光景に絶句する。
「な、なんだこれは……!?」
そこにあったのは、今にも崩れ落ちそうな建物がポツポツと点在する廃村間際の村ではなかった。
しっかりと雨風を凌げる立派な家屋が軒を連ね、中央には人間の町でしか見ないような大きな豪邸が建っている。
もしや、気付かぬうちに道に迷って、全く別の村に来てしまったのでは?
そんな疑念すら抱くが、そこにいるのは間違いなく見知った仲間達。真新しい道具を手に、ここ最近はめっきり見る機会のなかった活き活きとした表情を浮かべている。
そして、そんな彼らの中心にいたのは、一人の女。
夜空のように黒い髪を持つ、人間だった。
「ココットさん、そこはもう少し力を抜いて……そうそう、そんな感じです。あ、戦士の皆さん、お帰りなさいです!!」
仲間に何やら作業を教えていたその女が、俺達の姿を見るや駆け寄って来た。
相手は人間、ということで思わず身構えるが、こいつはそれを気にした様子もなく笑顔を浮かべている。
「お勤めご苦労様です! ささ、簡単な賄いを用意してあるのでこちらへどうぞどうぞ。怪我人の方も治療しますよー」
「お、おう……?」
あれよあれよという間に大きな長屋(これも出掛ける前にはなかった)に連れてこられ、全員に食事が振る舞われる。
いつもと同じ、木の実と香草を使ったスープ……なのだが、香りが全然違う。一口食べれば、その差は歴然だった。
「う、美味い……!?」
一体どのような調理をしたのか、同じ素材でありながら味の質が格段に上がっている。
まさか、この女が作ったというのか? と顔を上げれば、再び信じられない光景が。
俺が料理の味に打ち震えていた僅かな間に、怪我人の手当てが終わっていたのだ。
「他に痛いところはありますか? 遠慮なく言ってくださいねー」
「い、いや、大丈夫だ……ありがとう」
「そうですか。じゃあ、ご飯食べさせてあげますから、お口開けてくださいねー、はいあーん♪」
「うっ、ぐう……あ、あー……」
何かの薬草だろうか? 擂り潰した草を傷口に塗りたくられた仲間が、女の膝に頭を乗せて横になり、甲斐甲斐しく食事を食べさせられている。
……敵とあっては誰よりも勇ましく立ち向かい、それ故に誰よりも傷を負った熊獣人の戦士なんだが、羞恥に震えながら世話を焼かれる姿はいっそ可愛らしくすら見えてしまう。
そんな仲間を見て、なぜかそれはもう溢れんばかりの輝きを瞳に宿す女に、俺はおずおずと問い掛けた。
「……仲間の治療、感謝する。それで、お前は何者だ?」
この女が、ただの人間ではないことは分かった。
村がほんの僅かな間にこれだけの変貌を遂げたのがこいつの力に寄るものだというのなら、本当に心から感謝したい。
だがそれでもやはり、人間をそう簡単に信用出来ない。
その想いから、俺は少々の棘を含みながらそう問いかけた。
「私はファミア、ちょっと町を追い出されて行く当てがなくなったところ、コルドやシリルに会って……サーナさんの計らいもあり、ここに住まわせて貰えることになりました!」
「シリルに……?」
「はい! なので皆さんが帰って来るまでに、住居の建て替えと柵の補強と炊き出しの準備等々済ませておいたわけです!」
でへへ、と笑いながら告げる彼女の言葉に、色んな意味で驚く。
コルドとシリル、サーナは俺の家族だ。
村長である俺の許しなくあいつらが勝手に滞在を認めていることはこの際置いておくとしても、シリルがそれを問題なしと判断したというのは驚きだ。
あの子には、精霊魔法の素質がある。
精霊の声を聞き、相手の悪意や害意、敵意などといったものを感じとることが出来るあの子の力は、俺達にとって重要な生命線だ。
以前の森で奴隷商が親切を装って近づいて来た時も、シリルのお陰でギリギリのところで逃げ出すことが出来た。
ここに来てからも、魔物だらけの土地で曲がりなりにも生活拠点を築けたのは、あの子が精霊を介して神狼の庇護する比較的安全な場所を探し出してくれたからだ。
そんなシリルが認めたということは、少なくともこの女は俺達獣人に対して害はないということになる。
であるならば、こうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた上、村が抱える問題をいともあっさりと解決してくれた者を無下にもしづらいんだが……。
「すまないが、この村に置くことは難しい。お前の能力が優れていることは分かったが、俺達は自分が喰っていく分を用意するので手一杯。とてもではないが、お前まで養ってやれる余裕がない……」
この女……ファミアが本当に獣人の助けとなってくれるのであれば、ぜひとも滞在して貰いたい。だが、無い袖は振れないのだ。
そう伝えると、ファミアは「ああ、なるほど」と手を叩く
「それなら任せてください、食料問題も私がどうにかしますから!!」
満面の笑みで自信満々に告げるファミアに、俺はただ困惑するばかりだった。