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「気をつけて行ってくるのよ」
「はい」
ガーネットと抱擁を交わすルシア。
ドラゴンに会いに行く朝だ。
「ユリウス様。娘の無茶な願いを聞いてくださってありがとうございます」
「いえ。これくらいどうってことはありません」
デイモンドもこの話を聞いた時は驚いていたが本気ではなかった。しかし、ユリウスが本当に望みを受け入れてくれると知り、仰天していた。
何だかんだで娘に甘い両親は、ユリウスに絶大な信頼を寄せているので、快く送り出してくれる。
ルシアとユリウス、それからアズベルの3人で、ドラゴンの住むビッグファイアマウンテンに向かう。
どうやらユリウスは下調べを終えているらしく、山のことに詳しかった。
一度行った場所には魔法で移動することができるが、この時は行くまでの道も楽しめるようにと、魔法列車に乗る。
「すごい! 私、魔法列車は初めてです!」
興奮した様子のルシアを見て、ユリウスは頬を緩める。
「よかったですね、ユリウス様」
隣に座っていたアズベルに耳打ちされて、思わず睨みつけるが、全く効果を感じられない。
車窓から覗く景色を眺めるルシアは、可愛らしい。
でも、彼女に見える世界と、自分に見える世界は違った。
ユリウスは未だにルシアの目を治す方法を探していた。しかし、魔法の限界に直面し、手も足も出ないでいる。
余計な新術ばかり開発して、肝心の欲している魔法にたどり着くことができないのだ。
彼だって自分の姿をルシアに見て欲しかった。
「ユリウス様?」
見えていなくても、見えている人より敏感なルシア。ユリウスの変化にもすぐに気がつく。
「風で髪が乱れてるよ」
彼は何でもないフリをして、ルシアの髪に触れた。ウェーブのかかった茶色い髪は、ふわふわしている。小さい時は、ポニーテールにして、山を駆け回っていたな、とユリウスは思い出した。
あまり外に出なくなったルシアは、日焼けが落ちて肌も白くなった。
今は完璧な淑女になっている。
彼女が泥だらけになりながら、かすり傷も気にせず遊びまわっていたとは信じられない話だろう。
「そろそろ着きますよ」
「じゃあ、今左側に見えてるのが、ビッグファイアマウンテンですか?」
「そうだよ」
列車を降りると次は岩石地帯を抜けて山を目指すが、その前に、駅に広がる商店街を回ることになった。
ユリウスはルシアの手を取る。
「案内するから、掴まってて」
彼女を気遣ってのことだ。
ルシアは自分より大きな手に包まれる。
大きな障害物なら避けれるのだが、彼女は彼に甘えさせてもらうのだった。
買い物をしたり、昼食を食べたりと、楽しい時間を過ごす。
ユリウスの美貌につられて、老若問わず女性たちが熱い視線を送っていたが、彼は全て空気のように扱った。
(やっぱり、すごくかっこいいんだろうな)
ルシアは自分だけわからないことに、ムッとする。アズベルが飲み物を買いに行ってくれる間、ふたりはベンチに座っていた。
「ユリウス様。失礼します」
彼女は彼の顔に手を伸ばす。
「ル、ルシア?」
突然のことだったので、ユリウスは戸惑った。
「私より白い肌はすべすべ。整った鼻に、ふっくらした唇。目はおっきくて、まつ毛はとっても長い。——うん。かっこよくない訳がないですね」
「ルシア様。そこまでにしてあげてください」
両手にカップを持ったアズベルが、固まっているユリウスに助け舟を出した。
「あ、アズベルさん。ありがとうございます」
あっけにとられているユリウスに気がつかず、ルシアは何事もなかったかのように飲み物を受け取る。
「……無自覚なのか? 危なすぎる」
ユリウスが額に手を置いてそう呟いた言葉は、彼女には届いていなかった。
その後一行は、グリフォンに乗ってドラゴンが住む山へ。
岩石地帯は空を飛んでいった方が早いそうだが、マテマの記憶を持つルシアでもびっくりした。
グリフォンの大きな背中に、ユリウスとふたりで乗る。
彼が手綱を握ってるが、まさかグリフォンを操ることができるとは。さすが、天才ユリウス様だ。
グリフォンが降り立ったのは、緑が鬱蒼と茂る山。休火山だそうで、今のところ噴火の様子はないそうだ。
「少し登った先にある、洞窟の中に生息しているみたいだ。わたしの側からは絶対に離れないで」
「はい」
緊張感のある物言いに、ユリウスもドラゴンと対面するのは初めてなのだと知る。
ユリウスの手を借りながら、道無き道を進んでいく。
「ここか」
ルシアに見えるのは、真っ暗な闇。
自分で言い出したことだが、思わず立ちすくむ。
「やめとく?」
ユリウスが気がついたようだが、ここまで来て引き返すことはできない。
「いいえ。ユリウス様が一緒なので、大丈夫です」
いざとなれば助けてくれる。
実際に約束したわけではないが、ルシアは彼を信用していた。
魔法で明かりを灯し、巨大な洞窟の中を進む。
ユリウスが先導し、背後はアズベルが守ってくれている。
中腹まで進んだだろうか、出口から差し込む光が届かないところまで来た時。
グルルル、と腹の底に響くような唸り声が聞こえた。
「危なそうだったら、すぐに魔法で飛ぶからね」
ユリウスにはそう言われるが、彼女の本当の目的はドラゴンに血をもらうことだ。
接触は不可避である。
ドスン、ドスン、と地面が揺れる。
住処への侵入者に気がついたドラゴンが、こちらに向かっているのだろう。
ユリウスがルシアの手を握る力を強める。
なんて危険なことをお願いしてしまったのだろうと、ルシアを罪悪感が襲うが、後悔はしたくない。
「大丈夫ですよ」
なんの確証もないが、彼女はそう声をかけた。
『人間が何のようだ』
頭の中に、低い声が響く。
「念話だ」
ユリウスは呟く。
目の前に現れたのは、赤い鱗を持ったドラゴンだった。
ルシアはその姿に涙が出そうになった。
『お久しぶりです。テレサ様。マテマ・ジェンド。今の名をルシア・オーランドと申します』
彼女はユリウスより一歩前に立ち、その場で深く頭を下げた。
ドラゴンはじっとルシアを見つめる。
『生まれ変わったか』
『はい。今は何も力を持たぬ娘ではありますが』
『ふん。我に会いに来たということは、血が欲しいのだろう? 力を持たぬとは笑わせる』
ドラゴンはその場で足を崩すと、頭を下ろす。
念話はルシアとテレサの間しか繋がっておらず、ユリウスは今起こっていることが信じられなかった。
『そなた、目が見えておらぬな』
『……色々ありまして。元に戻したい気持ちはあるのですが、マテマの二の舞いになる訳にもいかず。テレサ様への挨拶が遅れてしまいました』
ルシアは目の前の美しいドラゴンが、赤い塊にしか見えないことが悔やまれる。
『よい。古き友に会えたのだ。長生きもしてみるものだ。血を渡すから、今度はふたりでゆっくり話そう。そこの小僧には話していないのだろう?』
『さすがテレサ様。お見通しですか。感謝します』
ドラゴンは自分の両手を前に出すと、鋭い鉤爪で指を傷つける。
ルシアはバッグに入れてきた容器を取り出した。
「ありがとうございます」
彼女はテレサの元に行こうとした。
「ルシア?」
ユリウスからすれば、魔法も使えないルシアがドラゴンに近づこうなど、自殺行為にしか見えない。
掴んだ手には、力がこもる。
『血をやるだけだ。そう殺気立つでない小僧』
頭に響く声に、ユリウスの視線はドラゴンとルシアを往復する。
「大丈夫ですよ。ドラゴンさんとはお友達になりましたから」
そんな馬鹿な、と言いたいが、ルシアは御構い無しにユリウスごとドラゴンの手に向かって歩いていく。
大きな荷物だとは思っていたが、そこから取り出した容器をみるところ、ルシアは最初から血を持って帰るつもりだったのだろう。
なぜそんなことを彼女が知っているのか、ユリウスは眉にしわを寄せる。
『彼女は我が呼んだのだ。道案内、ご苦労だったな』
察しのいいドラゴンが、先手を打つ。
ルシアは血を容器に移すと、改めてテレサに礼を言った。
「お邪魔しました。どうもありがとうございます」
『よい。そなたであれば、いつでも歓迎しよう』
テレサは大きな顔をルシアに押し当てる。
帰りはユリウスの魔法で一瞬だった。
オーランド家に帰ってからは、ユリウスに質問攻めにされた。
「ドラゴンは、君を呼んだって言ってたけれど、どういうこと?」
「夢で呼ばれていたんです。会いに行けないと思っていたのですが、ユリウス様のおかげです」
嘘なのだが、ユリウスであっても真実を語ることはできない。
「もらった血は?」
「ドラゴンの血は固まらないんです。大切に保管します」
「保管してどうするの?」
これは一番困る質問だ。
ルシアは考える。
「……時が来た時に、使い方を教えてくれるそうです」
これが精一杯の答えだった。
「ユリウス様。今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」
「楽しんでもらえてよかったよ。でも、次からはちゃんと詳しい説明をして欲しいな。ドラゴンに近づこうとしたときは驚いた」
ごもっともだ。ルシアもまさかまだテレサが生きているとは思っていなかったので、彼女でないドラゴンだったら結果は違ったかもしれない。
「すみません。私も半信半疑だったもので。次からは気をつけます」
そうしてルシアの誕生日プレゼント事件は幕を閉じた。
ただ、ユリウスはそれだけでは物足りなかったようで、誕生日当日のパーティには指輪を贈ってくれた。
シンプルなデザインだが、青色の石が上品に輝く一品だ。
その頃にはルシアはユリウスと親密な関係を持っていると、誰もが噂するようになった。
ユリウスの婚約者のお披露目会の準備は着々と進んでいる。
少しすれ違うものの、そんなことは物ともせず、順風満帆に見えたふたりの関係。
歯車が狂い出したのは、唐突だった。
「魔王が、復活しただと?」
筆頭魔法使いのジュード・ローレンシウムが驚愕した。
部下の報告に、深刻な表情に変わる。
「間違い無いんだな」
「はい。何らかの原因で、封印が弱まっていたようです。すでに力を蓄えており、闇魔法で人間を操っていることも判明しました」
ジュードはすぐさま国王に報告した。
これは由々しき事態だ。伝説上の存在だと思われていた魔王は実在し、今またその姿を現した。
それも、最初の被害を確認したところ、少なくとも17年前には復活を遂げている。
今まで気がつくことができなかったことからして、相当手強い相手だ。
国民の不安を煽るわけにはいかないので、魔王復活は極秘事項として扱われた。
「ユリウス・ローレンシウム。そなたに魔王討伐の任務を言い渡す」
「かしこまりました」
悪名高い魔王の討伐に繰り出される魔法使い。20歳という若さではあるが、精霊の愛子であり、膨大な魔力を持ち、頭脳明晰で新術の開発までなし得たユリウス。
彼に、国の存亡がかかっていた。
コンコンコン、とベランダの窓が音を鳴らす。こんな事をしてくるのは、ユリウス以外にいない。
ルシアはベッドから起き上がり、上着を羽織るとカーテンを開けて窓を開いた。
「こんな時間にどうしたんですか?」
白く輝く月が浮かぶ夜。
ユリウスは綺麗な笑みを浮かべている。
「ねぇ、ルシア。しばらく仕事で君に会えそうにない。わたしが帰ってくるまで、待っていてくれるかい?」
「ユリウス様が優秀すぎるから、大変な仕事でもまかされてしまったんですか?」
「そんなところ」
図星すぎて、やはり彼女には敵わないとユリウスは思う。
「……待ちますよ。でも、7年も待たされるのはもうごめんです。遅すぎたら見つけに行きますよ」
彼は思いっきりルシアを抱きしめた。
相手は魔王。自分がどうなるかはわからない。
何でもこなせる自信があったユリウスだが、ルシアと二度と会えなくなるかもしれないと思うと、胸が押しつぶされそうだった。
「必ず戻る」
いつもと様子が違うユリウスに、ルシアは胸騒ぎがして仕方ない。
体を離されて、何があったのか聞こうとするも、ユリウスはルシアの額に唇を落として、すぐに魔法で消えてしまった。
「ユリウス様?」
キスされたことよりも、彼の様子が気になって、ルシアはその日よく眠ることができなかった。
***
ユリウスは最初、史実を基に討伐隊を編成した。
勇者オズワルド、戦姫フィーネ、騎士ライオット、聖女アイリス、そして魔法使いユリウス。
この5人で魔王の討伐を行う。
自分一人で魔王討伐に向かうこともできたが、国王からのお達しだ。無視することはできない。
どうやら娘のフィーネが話を聞きつけて、どうしても討伐に向かいたがったようだ。
娘だからと言って、重要機密が漏れているのは見逃せないが、ユリウスは仕方なく口をつぐんでいる。
個人行動が多いユリウスからすれば、集団行動は苦痛だ。
特に自分のことを根掘り葉掘り知ろうとする姫様には呆れる。国王の一人娘として蝶よ花よと育てられたはずだが、いつのまにか剣をも振るう傲慢さを兼ね備えた姫様になったようだ。
ルシアより1つ年が上にもかかわらず、無鉄砲な性格にはため息が出る。
旅が進むにつれ、オズワルドはそんな姫様に惹かれていくし、ライオットとアイリスも隠しているようだが好意がダダ漏れだ。
何で子守をしなくてはいけないのかと、ユリウスは頭を抱えたくなったが、いつもアズベルに慰められた。
何より、ユリウスはこの魔王討伐に疑問を持っていた。
彼は魔王について調べていたが、彼が事件を起こすのは、人間が不正をしている場合だけだ。
700年前は、魔物を使って手当たり次第人を殺していたようだか、今回はそうではない。
ジュードの報告を疑いたくはないが、いま追っている魔王は本当に「魔王」なのか、怪しかった。
魔物の棲む森を進み、住処である古城にたどり着く。
森を抜けるだけでも、他のメンバーは息が上がっていた。
(本当にひとりで来た方が早かったかもな)
ユリウスは古城の中に入ると、適当な場所で逸れて、先に魔王と対面した。
「精霊の愛子か。お前のことはよく知っている」
「それは光栄だな」
「魔導師マテマに比べれば、どうってことないがな。で、お前はなぜここにひとりで来た」
玉座に座る魔王は、三十代くらいの人間に角を生やし、黒い目に変えただけのような容姿だ。
「あなたが、史実の魔王とは違って随分正義感の強いヒトだと思ったまでですよ」
「ハン。生意気な餓鬼だ。俺も馬鹿じゃない。殺す人間を選んでいるだけだ」
「……あなたに話がある」
「ほーお。俺と取引でもしようってか?」
ユリウスは口角を上げた。
控えていたアズベルからすれば、ユリウスの方が俄然魔王らしくみえるのだった。