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夜でもないのに灰色の雲が一面に浮かぶ黒い空には、輝く星などひとつも見えない。冷たい雨は止む気配がなく、雷鳴が悲しく叫んでいた。


魔物がひしめく森を抜けた先にある古城に、マテマ・ジェンドはいた。

魔王が呼び出した超高位召喚獣との戦いで、彼女の体はボロボロ。

彼女は魔導師として勇者一行と共に、魔王討伐に駆り出されていた。

今、彼女たちの目の前には頭から角を生やした “魔王” が瀕死の体でありながら、辛うじて立っている。


「魔導師!」


重傷の勇者レオンが床に膝をつけて血を吐きながら、マテマを呼ぶ。いま、動けるのは彼女しかいなかった。

周囲の状況を見て、マテマは覚悟を決める。魔王に一歩、また一歩と近づくにつれて走馬灯のように今までの人生がフラッシュバックした。


生後数ヶ月でひとりだったマテマ。

そんな彼女を育ててくれたのは、精霊たちだった。膨大な魔力と、精霊たちの加護を持ってこの世に生を受けていた。

その後彼女は森の中ですくすく育ち、「魔法陣」を生み出す。その能力は王族に目をつけられる代物だった。


マテマが21になった時。魔王が現れて人々を苦しめるようになり、勇者レオンを代表とするパーティに参加することが決まった。


今はその最終局面。

マテマの持つ杖に魔力が集まる。

魔王はその光に目を細めるだけで、微動だにしない。いや、動けない。


「ねぇ、魔王。いいや、ゼファエル。来世は幸せになれるといいね」


彼女は切ない笑みを魔王に向ける。

杖を両手で地面に突き刺すと、魔王の足元と頭上に、挟むような形で魔法陣が二つ現れる。

絶望的な状況のはずだが、彼の顔には困惑の表情が浮かんでいた。



——なぜ自分が人間だったときの名前を知っている?



魔王は口を開こうとしたが、彼女の魔法は発動してしまった。闇の力が身体から絞りとられるように、蒸発していく。

その痛みに悶え、彼は言葉にならない声を上げる。


憎き人間の魔導師を、睨み殺してやろうと苦痛の中でなんとか魔王はそちらを見続けた。


だから、彼には見えた。


落ちていた魔剣を拾い、魔導師マテマの胴体に深く突き刺す戦姫エーデが。


ゴフッと血を吐き出すマテマ。

彼女は膝から崩れ落ちる。


魔王には何が起こっているのか、わからなかった。

しかし、彼女から溢れる血が発動中の魔法陣のもとまで流れると、彼にはマテマのものらしき記憶が流れ込み、全てを理解する。

魔王は与えられた痛みも忘れてマテマに視線を移す。

彼女は笑っていた。

どうみても無理やり貼り付けた笑みは、痛々しくて見ていられないものだった。


「人間どもがぁあア!!!」


怒り狂った叫びとともに、彼はマテマが地面に突き刺した杖に封印された。






これはとある少女の前世。


ルシア・オーランド。8歳。


マテマの魂がそのままルシアの身体に入っているので、本質的に彼女はマテマだ。

生まれ変わったことに気がついたのは、物心ついたとき。確か生後十ヶ月くらいのこと。

ルシアはオーランド伯爵家の令嬢で、前世とは全く異なる境遇に生まれた。

魔力はほとんど持っていないし、精霊たちの姿は一度も見たことがない。

そして何より驚いたのは、ルシアはマテマが死んでから700年後の世界に生まれた子どもだということだ。

調べたところ彼女は、「魔法使いマテマ」となり伝説上の人物として崇められる存在になっていた。

なんでも、魔王を封じ込めた英雄らしい。

後世にこうやって名前が知られているというのは、頑張りも無駄ではなかったのかなと少しだけ誇らしく思えた。


でもそれは過去の話だ。

過去の栄光にすがっていても仕方がないし、そんなことはしたくない。


残念なことに、マテマのほうが美人だし、力もあるし、精霊と話せるし、あの身体が恋しくないといえば嘘になる。

今の彼女は8歳だが、母親譲りのシルバーの瞳を持っている他は目立った特徴がない容姿をしていた。魔力は無いに等しいので、伯爵令嬢という肩書き以外はただの凡人だった。


「ルシア〜。畑に行くぞ〜」

「はい」


父デイモンドに呼ばれて、まだ日が昇らない朝に屋敷を出た。

変わり者の伯爵として名を轟かせるデイモンド。曲がったことは大嫌いで、不正などもってのほか。煌びやかなものは好まず、質素倹約を掲げるような人だ。

畑仕事で鍛えられた身体は筋肉がつき、たくましい。全く社交界に出入りするような男には見えない。

彼が管理する領地は、この国——マーレライの南にある森や山。

〈自然の都〉と呼ばれ、自然と共存して人々は暮らしている。

700年前は、多数ある少数民族の住処だったが、今は統合されていた。


「今日は、ニンジンとジャガイモを採っていこう」


畑の手入れを終えて、今日の食事に使う分の野菜を収穫する。

これが朝の日課だった。

自然の都を統治するデイモンドは決して貧しい訳ではないのだが、自分でできることは自分でやる。

そのせいで “変わり者” と言われていることは気にも留めない。


デイモンドが持つカゴに、採ったものを載せて、ふたりは屋敷に戻った。


「おかえりなさい」

「ただいまかえりました。母様」


変わり者のデイモンドであったがルシアがいるわけで、結婚している。

母ガーネットはすごい美人だ。

ルシアも母の血を濃く受け継ぎたかったものだが、人生そう上手くはいかないらしい。


母手製の朝食を食べて、リビングでまったりとした時間を過ごす。


ルシアとしての人生は、とても充実していた。



「そういえばルシア、今日の午後婚約者が遊びに来るぞ」


それは突然の出来事だった。


「こん、やく、しゃ?」


ルシアは目をまん丸にして、父親の言った言葉を繰り返す。


「そうよ。将来、父さんと母さんみたいになる人のことよ」


もちろん彼女は精神年齢が30歳に突入しそうなので、婚約者が何かくらいは理解している。

驚いているのは、自分に婚約者がいたという事実だ。

一歩譲って婚約者がいるということを受け入れたとしよう。

しかし、今日遊びに来る?


(遊びに来るって、どういうこと? え、来るの? 今日? 今?)


頭の中はプチパニック。

口をあんぐり開けて父を見た。


「ど、どんな子なのですか?」

「ローレンシウム公爵のご子息だぞ〜。彼は養子なんだが、すごい魔力を持っていてな。それと、精霊の加護も持っている。とにかく、すごい子なんだ」


デイモンドは8歳の娘が養子とか精霊の加護とかの意味がわからないと思って話しているようだが、ちゃんとそれがどういうことか、わかっている。


それはまるで、マテマのようだった。


「そんなすごい子が、なぜ田舎の伯爵家の私と婚約するのですか?」


その問いに、父と母は顔を見合わせた。

母が慰める時のように、優しい微笑みを浮かべながらゆっくり口を開く。


「あなたが心の優しい聡い子だからよ、ルシア」


そんなことをまだ8歳の子どもに言うのか。と呆れた気持ちにもなるが、8歳の子どもにしては聞き分けの良い子に違いない。


「そうですか……。仲良くなれるといいですけど」

「そうねぇ〜」


ガーネットは頬に手をついて微笑んでいるが、笑い事ではない。


精霊の加護を受けた子。すなわち〈精霊の愛子〉。

それは、天災を引き連れた子と同義だ。

愛子のために精霊たちは力を使うことを惜しまない。そのため、彼を困らせるような無礼を働きでもしたら、精霊たちの怒りを買う。


ルシアはそれを身をもって知っている。


きっと、自然の都で誠実に仕事をしているオーランド家の娘なら恨みを買わないだろうと結ばれた婚約なのだろう。


(父様も母様も、精霊の加護とか全く気にしてないんだろうなー)


ルシアは心の中でため息を吐く。


こんな田舎の令嬢には勿体無い婚約ではあるが、もし自分の行動のせいで精霊を怒らせでもしたら、一家の崩壊は近いかもしれない。


大変な役目を負ってしまったが、嫌だとは思わなかった。きっと何かの因果なのだろう。





「はるばる王都からよくいらっしゃいました。ジュード様、それに、ユリウス様」


デイモンドが、客人を招き入れる。

ジュードがローレンシウムの当主で、その後ろに立っているのがユリウス。つまりはルシアの婚約者に間違いなさそうだ。


「ユリウス」


ジュードが、外套のフードを被ったままのユリウスに声をかける。

彼はフードに手をかけて、ゆっくりそれを取った。


畑仕事の手伝いや、森の中で遊ぶことが多く、日に焼けているルシアとは違って、陶器のような白い肌。サラサラした髪は金色に輝いている。青と緑が混在する瞳が、彼女の姿を捉えた。


あまりに綺麗な子で、ルシアは息をするのを忘れる。


「ユリウス・ローレンシウムと申します。以後お見知り置きを」


丁寧な所作で彼は軽く頭を垂れた。

10歳の子どもには、とても見えなかった。


「ご丁寧に。ルシア、ご挨拶を」


デイモンドも目を見張ったが、すぐ横にいた娘の背中を押して前に立たせる。


「ルシア・オーランドです。えっと、これからお世話になります」


そう言って勢いよく頭を下げると、クスッとジュードの笑い声が聞こえる。


「噂通り素直なお嬢さんだ」


「ハハ。わたしがこんな者ですから、令嬢らしい振る舞いはまだまだでして。大目に見てやってください」


噂とは何か気になるところだが、彼女はまだ8歳だということを忘れないで欲しい。そして、王都では天才と名高いユリウスと比べてはいけないだろう。


その後、屋敷の中に客人たちを案内し、ちゃんとした顔合わせを済ませる。親たちは話があるようなので、ルシアとユリウスは別室に移動することになった。

平穏な生活と、世渡りが下手くそな父親のためにもルシアはユリウスと仲良くすることを、この時心に誓う。


「ユリウス様。お茶はいかがですか?」


にこりと微笑んで、ルシアはユリウスに茶をすすめる。


「ありがとう。いただこうかな」


しっかりしている御坊ちゃまだ。

養子らしいから、舐められないようにと、こんな性格になっているのだろうか?

ルシアは席から立ち上がる。


「それならわたくしが」


ユリウスの後ろに控えていた執事がルシアに歩み寄る。

オーランド家では、使用人は最低限しか雇っていない。雇用は森の管理などで補っている。

ルシアも父に倣って自分のことは自分で行っているので、お茶を淹れることくらい朝飯前だ。


「いえ。えっと、執事さんもよろしければ飲まれます?」


執事とユリウスは顔を見合わせる。


「お言葉に甘えさせてもらうといいよ」


ユリウスの言葉で、執事のアズベルが後ろに下がった。

ルシアはハーブティーをカップに注ぐ。

その様子をアズベルが心配そうに窺っていることには気がついていなかった。


「どうぞ。庭で採ったハーブから作ったお茶です」


ユリウスとアズベルにお茶を渡す。

優雅な動作で口にカップをつけるユリウスは、ただお茶を飲むだけの姿もお美しい。

額縁に入れて飾っておきたいほどだ。


「美味しいね」


「それは良かった! お菓子もたくさん作ったので、食べてくださいね」


まるで孫にものを与えるおばあちゃんのように、ルシアはあれこれユリウスに用意する。

彼は作り物の笑顔を終始浮かべていた。


「ユリウス様のご趣味は何ですか?」


自分から話そうとしない婚約者殿に、彼女は質問を繰り出す。


「趣味か。王宮図書館にはよく足を運んでいるよ」


「では、読書が好きなのですね。どんな内容の本をお読みになるのですか?」


「魔法についての本をよく読むよ」


「魔法! 私は魔力を持っていないので、見たことがありません。ユリウス様はお使いになるのですか?」


それまでスラスラ答えていたユリウスが答えにつまる。貼り付けた笑みがより分厚くなった気がした。


「わたしは力が強いから、あまり魔法を使わないようにしているんだ」


「そうなのですか。それはよかった」


「よかった?」


ユリウスが金色の髪を揺らして、小首を傾げる。


「私はユリウス様と一緒に魔法で遊ぶことはできませんから」


ルシアの答えを聞いて、彼は大きく瞬きを繰り返す。


「そんなことは初めて言われたな」


「そうなのですか?」


子どもとして普通のことを言ったつもりだったが、ルシアはハッとする。


「これは失礼しました。私みたいなのがユリウス様と遊ぶなんて、烏滸がましいですよね」


真っ青になって頭をペコペコする彼女に、ユリウスは笑みをこぼす。



——面白い。


単純にそう思った。

養子ではあるが、ユリウスは2歳の時からローレンシウム公爵家に相応しい子どもになるべく育てられている。

精霊の加護を受けている自分に、ちゃんと向き合ってくれた養父には頭が上がらないほど感謝しているので、ジュードのためならばなんでもできる自信があった。

ジュードの顔に泥を塗るようなことはできないので、勉強にも励んだし、魔法だって暴走せずに扱えるようになっている。

ただ、そんな風に成長していくうちに、ユリウスは「特別な子」と人々から遠巻きに見られるようになっていた。


だから、こんな風に接してくる子は珍しかった。


まず10歳にして早熟な思考を持つユリウスと、話が合う子ども自体が少ない。

2歳年下のルシアだが、〈自然の都〉の変わり者伯爵家で自立した生活を送っているようだ。「烏滸がましい」などと難しい言葉を知っているし、多少抜けているところはあるみたいたが、ハキハキものを言う子だ。


「ルシア嬢は、わたしと遊んでくれるのかな?」


「……え? あ、はい! 私なんかで良ければ!」


「そうか」


にっこり微笑んだユリウスを見て、アズベルが頬を引きつらせる。


「私、今朝、婚約のことを知ったので、ユリウス様が心のお広い人で安心しました」


そうとは知らないルシアはそんな言葉をこぼした。


「今朝?」


ユリウスが纏う空気が変わる。


「そうなのですよ。父様ったら、いきなり婚約者が遊びにくるぞ、なんて言うので驚きました」


「……ルシア嬢は、わたしのことを知らなかったのかい?」


「恐縮ながら田舎娘なもので、存じ上げませんでした」


彼はその言葉を聞いて、先ほどまで感じていた彼女への興味を失った。


(この子も、わたしのことを知ったら離れていくだろう)


ルシアと婚約することになった大きな理由は、自分にある精霊の加護のためだ。

自然の都に住む者は、〈緑の民〉とも呼ばれ、精霊の崇拝が行われている。

だから、彼女が選ばれた。

それだけの理由だった。


「ねぇ、ルシア嬢。君は精霊の加護というものを知ってる?」


ユリウスの様子に気がついたアズベルだけが、気が気でない。


「もちろん知っています。ユリウス様には精霊のお友達がたくさんいらっしゃるんですよね」


「友達か。それも初めて言われたよ。でも、その友達はわたしのためにみんなにイタズラをすることもあるんだ。…………時には命を危険にさらすようなイタズラを」


「ユリウス様」


さすがのアズベルも口を挟んだが、そんなことはルシアも知っていた。


「それはあなたが大切だからですよ。誰だって大切なものを傷つけられたら怒ります。彼らは怒りを言葉で表すことができないから、代わりの手段を使うだけ。私はユリウス様の婚約者ですから、精霊を怒らせるようなことはしませんよ」


これにはユリウスも表情を崩した。

彼女の言っていることは正しくて、言い返すようなことがない。

そこで初めて彼は作り物の笑顔を剥いで、ルシア・オーランドを見た。


茶色の長い髪は少し癖があり、それがどこか可愛らしさを醸し出す。

シルバーの瞳は王都では珍しく、目を奪われる。


決して美人だとは言えないが、どこか惹かれるものがあった。


(そうか。なんとなくだけれど、父さんに似ているんだ)


ジュードと顔が似ているということではない。彼のもつオーラと、ルシアのそれが似ているのだ。


「……そうか。それは心強いよ」


今後、彼女が精霊を怒らせる時が来るのかはわからない。ただ、自分のことを「精霊の加護持ち」だと決めつける人とは違うことはわかる。


ユリウスの心は動き始めていた。


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