閑話:伏魔殿にて 前編
アラバという都市は中心に近付く程王宮を含めて背の高い建物が建ち並び、逆に中心から離れていく程地価が安くなっていく傾向がある。
かつては城壁に囲まれていた頃もあったようだが、大国になった時にここを囲まれるようなら既に国の終わり、という開き直りの元防衛よりも流通を重視した再開発が行われ、無骨な城壁を取り払い大河から水を引いて水路が張り巡らされるようになった。
もちろん、密輸を防ぐために都市の出入り口等、要所要所は検問のため抑えられているが、基本的にこの街に壁というものは無い。
永遠に未完成の街とは誰が言ったか、今も都市の外側では北側を除いて建築屋が汗水たらしながら、誰が使うかも分からぬ建物を建てているのだろう。
――アラバ北側外縁部。俺はここで気の置けない部下と共に歩いていた。
この街の北側は中央の建造物に遮られ、陽のあたりが悪い。
その結果自然と人が避けていったせいで、人の目を気にするような奴らが都市の北側に集まって独自のコミュニティを築くことになった。
所謂スラムという所だ。国にも見捨てられたこの場所は東西南と違って移動や輸送に便利な水路なんてないし、臭いものには蓋といわんばかりに北側だけデカい堀が掘られて外に出るには他の方角の検問所まで暫く歩かなきゃいけない。
おまけに北側に住居を伸ばせなくなってこれ以上広げられない所に、ここの住人が無秩序に建物を建てていったせいで馬車なんてとても走れない程道も狭く、ただでさえ差し込まない日光が日中でも薄暗くなるほど頼りなくなる。
それでも住む場所が足りず、時折布を引いて横になっている奴も見かけられた。昔と変わらぬ光景だ。
「兄貴ィ!この辺りも久しぶりですねェ」
俺と今も隣に歩く部下はそんなスラムの住人だった。親も分からないし知ろうとも思わないが、この歳まで生きてこれたのは幸運なのだろう。
俺達は幼い頃は雨で溜まった泥水を喜びながら啜り、明日の事なんて考えられず今日をどう生きるかに全力だった。
「感傷に浸ってる場合じゃねえぞ、これから『悪魔』に会うんだからな」
幸運と全力の日々が報われて、俺は今三蛇会という組織の頭として数百人の手下を持ってる。この街でもそれなりの栄光と力だ。
だが、まだまだ足りない。ガキの頃に味わった屈辱や苦しみはこの程度で相殺できるものでは無いんだ。
ある日、この国で名の知れてる組織同士が手を組むという噂が立った。
組織の配下の者同士が、頻繁に出入りしていたからだ。そのせいで耳が早い者たちは何か近々起こるだろうと予測していた。
栄華を誇っていた者が次の日には乞食に落ちているという話を事欠かない街だ。俺もその手の噂は敏感になっていたが、何もせず手をこまねいている他の奴らより一歩先を行く事に決めたのは先日の事だった。
「それにしても、『悪魔』の奴、上手く裏切りますかね?」
「話からあいつに情が無い事は分かってる、上手く利を見せれば問題無い筈だ」
クラスの野郎と成金、黒髪の死神が繋がるのは裏ではほぼ公然の秘密になっていたが、悪魔もその輪に加わるという話を知ったのは偶然だった。
クラスの配下を捕らえたら偶然にもザペル宛への手紙を持っていたのだ――その手紙を見た俺は一計を案じた、悪魔への裏切り、内応への誘いだ。
『悪魔』は事欠かないエピソードがあるが、その中で共通しているのは破滅へ向かう者を笑顔で見送る非情さだ。
奴には情なんて要らない。ただ利益を見せれば良い。もしクラスの野郎がザペルを迎えるのに金を出しているならば、俺も代わりの物を用意してある。
そして、奴が身内の毒になっている内に――俺が全てを頂く。
暫くスラムを歩いていると、ある通りからパッタリと人の気配が無くなる。
道端で座り込んでうつむく者も、痩せこけた死体も、暴力による悲鳴も無く、まるで切り取られたかのようにその場所は静かだった。
「な、なんですかアレ……」
道の端に2階建ての大きな白い館が見える。ボロボロの建物が建ち並ぶスラムに、地面からいきなり生えたかのように浮いた雰囲気の建物。
広い敷地は高い鉄柵で囲まれて、日があまり差さない場所にも関わらず赤い花が並び、ここから見ても中の庭は専門家の手によって良く整備されているのがわかる。
もしコレが別の地区に建っていたならば、成金がと毒づくだけで終わっていた。だが、ここは上からは住人と数えられない者が住み、社会から見捨てられた底辺が住む場所だ。
そんな所にあのような建物が有るのは、殊更悪趣味としか思えなかった。
「ああ、悪魔の住処だ」
少しでもスラムに住んでいる者ならば誰もが知る、死にたくなければ必ず近付くなと言われている所がある。
伏魔殿――人はあの館をそう呼んでいた。
………
……
…
「ザンジ、知ってるだろうがこれから話す相手は裏の世界では神算鬼謀で知られてる。相手が話す言葉を良く考えろ。言葉の表面だけでなく、本質を意識するんだ……そうしないと、逆にこっちが喰われちまうぞ」
「へい」
門扉に近寄ると、ノッカーを叩く前に部下に注意を促す。
ここから先は相手のホームだ。準備はしているが何が起こるかは分からない。
油が差され、スムーズに動くノッカーを叩くと、程なくして扉が開く。
「おっ……」
部下が思わず声を漏らす。ブルネットの美女が前に立っていた、一瞬ザペルの情婦かと思ったが、使用人の服装をしている。
一介の使用人すらこんな上物を用意するとは……いや、こんな女を敢えて一介の使用人にするのがザペルなのか?
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
静かに一礼すると、要件を聞いてくる。こっちは明らかに堅気じゃない格好だが、表情に動きは無い。
俺みたいな相手は慣れているのか、単純に表情が出ないタイプなのか……。
「三蛇会の者だ……少しビジネスの話がしたい」
「アポイントメントもない上に、素性の知れない方の面会はお断りしています」
一言切って捨てると、女は門扉を閉めようとする。
「テメエッ!兄貴の言うことが聞けねえのか!?黙ってザペルの野郎を呼べって言ってるんだよ!」
閉め出される直前に、部下が足を挟むととのまま懐からナイフを取り出して女の首筋に突きつけた。
一応話し合いに来たんだがな……だが、このまま門を閉じられたら会うことは出来ないし仕方ないか。
「どうぞ」
「何?」
「お前のじゃがいもを地面ですりおろしたような汚い顔を見せてご主人様の機嫌を損ねる位ならば、ここで死んだ方がマシだと言ったんです」
肌に触れたナイフが分からないでもないだろうに、無表情のまま女は俺達部下を見上げて告げる。
ザペルの奴、使用人にどういう教育してるんだ?正直、ザペルに会う前からこんな面倒な奴を相手する羽目になるとは予想外だ……。
「よせ」
部下もフリだとは思うが、流石にこれから話し合うってのに使用人を殺すのは不味い。
俺は一言ザンジに告げると、女を睨みながら渋々とナイフを仕舞う。
「どうかしましたか?」
部下の怒声が聞こえたのか、革靴が石畳を叩く音と共に、奥から赤髪の優男がやってくる――伏魔殿の主のお出ましだ。
使用人はザペルを見ると、一歩下がって道を開けて頭を下げる。
「三蛇会だ、話がしたい」
「それはそれは……歓迎しますよ、どうぞ」
凄む部下を右手で制して、要件を告げると奴は特に嫌な表情もせず、片腕を広げて歓迎する様子を見せる。
ザペルに促されるまま中に入ると、そのまま奴は俺達を先導していく。メイドは相変わらず無表情のまま後ろに控えていた。
「ここには中々人が来ないので退屈していたんです。ああ、綺麗でしょう?庭弄りが今の私の趣味なんですよ」
他に人が居ないか様子を見ている部下の様子に気づいたのか、世間話をザペルの野郎はしていく。
裏の世界では違う組織というのはそのまま利権を取り合う相手だ。要するに敵だと言うのに、背中を見せて少しも警戒しているように見えない。
余裕の表れか、それとも俺達を舐めているのか――
「んなあああああぁぁぁぁぁぁっ」
建物の中に入り、大広間を抜けた所で女の高い悲鳴が響く。使用人の声ではない。
「何だ!?」
「ああ……気にしないでください」
奴は何事も無いように言うが、無理な話だ。あの声は痛みを感じた時に出すような声だった。
今も拷問か何かやっているのか?それも自宅で?俺も敵を捕まえて情報を吐かせる時に色々やるが、少なくとも相手の悲鳴が聞こえるような所で寛ごうなんて思わない。俺達に対する威圧か?
先程の声の事を考えていると、奴は等間隔で並ぶ扉の一つに立ち止まる。メイドがその扉を開けると、中は特に驚くような事もなく普通の客間のようだった。
豪華という印象は受けないが、厚い絨毯が敷かれ所々置いてある家具は装飾等から素人目でも良い質のものばかりだという事はわかる。
「シドラさん、お茶とケーキを。お茶は一番いい奴でお願いしますね」
「畏まりました」
「どうぞ、座って下さい。シドラさんは料理が得意でして、焼いたケーキもきっと気に入ると思います」
使用人が出ていくと、『悪魔』は革張りのソファーに座るように、と手で促す。座ったら針が飛び出したりしないだろうな?俺は軽くソファーを触って感触を確かめてから座った。
さて、向こうも俺らと雑談なんてゴメンだろう。どうやってあの話を切り出すか……。
一話で終わらせるつもりだったんですが、微妙に長くなりそうだったんで分割しました。
一章は次の閑話で終わりになります。
ポイント評価感想有難うございます。この為に生きています。