第五話
噴水の側に置かれたベンチに腰掛けて、ため息をつく。自宅の雰囲気に怒りを覚え飛び出したが、冷静になると暫く歩いた疲れが身体に来る。
家に居ても休まらないとは憂鬱だ。儂はただ暮らしを楽にしたいと思い頑張ってきたのに、この仕打ちは酷ではないか。
今の私の周りはどうだ?急に見知らぬ親戚が増え儂におべっかを使い始め、息子達は身内を排除するべくお互いに怒声を浴びせ、嫌がらせを続けている。
儂の遺産目的なのは明らかだった。今は二番手に甘んじているが、儂はかつては国一番の商人として商いを操っていた。
そして、豪商としてこの歳になるまで働き続けていた儂には多くの金や土地がある。
今儂が死んだら家族達は一体どうなる?家が荒れに荒れるのは勿論、この隙を狙った儂の敵が手を伸ばすに決まっているではないか。
――このままでは死ねない。例え身体が動かなくなろうとも、家族の為に儂は死ぬわけにはいかないのだ。
「隣、宜しいですか?」
綺麗な身なりをした赤髪の青年が、儂の隣に腰掛ける。
他にも座る所が有るだろうに、わざわざ近付いてくるという事は、この男も儂の金目的か。
「お前も儂の金を狙いに来たのか?」
さて、今度は新しい親戚だろうか、覚えていない昔世話をしたと言う者か。
「お金?私はただ、貴方の悩みを聞きに来た者ですよ」
目を細めて、男はにこやかに儂に語りかける。随分と胡散臭い者だ、宗教の勧誘だろうか。
寄付を目当てに儂に近付く者も多い、この男もその内の一人だろうか。
「――ああ、もしかしてお金に困っているのですか?すみません、今あまり持ち合わせが無いのですが……これで足りるでしょうか」
私が睨んでいると、男は申し訳なさそうに顔を伏せると、懐から小さな銅貨を数枚見せてくる。
子供が露天でお菓子を買う位の金額だ。一体これだけで何が出来ると言うのか。
しかし、この儂に施しだと?儂は今まで対価を貰うか、奪われる事しかされていなかった。家族以外に施しを貰うのは若い頃以来だ。
儂の素性を知っていたら間違っても金が無いと勘違いする事は無いだろう。見たところ、演技でも無さそうだ。
どうやら目の前の男は儂の事は知らないらしい。だからと言って関わるつもりも無いが。
「フン、そんな金要らんわ」
そんな物貰っても、儂の財布が重くなって辛くなるだけだ。直ぐに断ると青年はそうですか、と一言呟くと直ぐに銅貨をしまい込む。
「貴方が何に悩んでいるのかは分かりませんが、良かったら話をして貰えませんか?ああ、勿論お金は取りませんよ。これは私の趣味みたいなものですから」
青年は私が悩みを抱えているのを確信しているような口振りだった。
まあ、悩みが無い人など居ないから、これは奴お決まりの台詞なのかも知れないが……。
何れにせよ、儂は青年の相手するつもりは無かった。返事をせずに黙り込んでやり過ごす事にする。
「まあ、いきなり知らない人から話しかけられてもこの街の人達は困りますよね。では、私の話をしましょうか……そうだ、故郷の話をしましょう」
儂に構わず、赤髪の男は話しかけてくる。
いい加減この場から離れてしまおうかとも思ったが、一度身体を休めてしまったせいで再び動くのが億劫だ。
まあいい、隣の男の声など頭に入れなければ問題ないだろう。
「私の故郷は、ポック村と言うのですが――」
「なんだと?」
思わず返事をしてしまった。驚きだ、あの辺境も辺境の村出身の者とまた出会えるとは。
ポック村はこの街から大きな山脈を挟んで向こう側にあり、水運も無く迂回しなくてはならないので馬でも日が掛かるので村の人達がここまで来るのは一苦労だ。
その上住んでいる人も少ないので、まさかこの街であの村出身の者と出会うとは思わなかった。
「……私の故郷を知っているのですか?この街の人は皆知らないので、すっかり話す事が無くなってしまっていたので嬉しいです」
「――昔、世話になった事がある」
40年程前、私が行商人を始めたばかりの頃に、商売の機会を求めてこの国の全ての場所に訪れた事が有る。ポック村もその一つだ。
自然と儂はかつて訪れた、あの村を思い出して赤髪の青年に話していた。
………
……
…
昔ポック村周辺を馬車で走っていた時、この国に強い寒波が来て本来ならばまず降らない筈の雪が、吹き荒び私を襲った。
雪道を走る事を考えていなかった馬車は壊れ、馬着も無かった為に馬も寒さに耐えられず倒れてしまったのだ。
私は売る予定だった商品を燃やし暖を取りながら、逃げ込むようにポック村を訪れる。
完全によそ者だった私をまず迎えたのは、藁の束を着込んだ赤髪の少年だった。
「うおぉ!?おっちゃん寒そうだなぁ!おらん家さ来っせ!今ならあったけえ菜っ葉鍋が有るべ」
ひどく訛った言葉で言いながら、少年は着ていた藁を震える私に被せて、小さな家へと向かい手を引っ張っていく。
家の中に入ると、こちらも寒かったが、風が無いのが非常に助かった。家の中心では四角い枠の中には赤い石のようなものが燃えていて、上に鍋が置かれていた。
アラバでは見たことが無い物だった。この辺りでしか使われない燃料のようなものだろうか?
「エティア、危ねえからせめて雪が止むまでは余り外さ出んな――と、お客様ですか」
少年の母親だろうか、長い赤髪の女性が私の姿を見ると、お辞儀をして迎えてくれる。
それから、濡れてしまった服に替わる着替えを用意して貰い、質素ではあったが、温かな食事までそのまま饗されてしまった。
素性も話さず、初対面の私ににここまでしてくれる人は初めてだった。私が住んでいる街では見知らぬ男が家にやってきたら警戒するだろうに、この人は全く私に対して嫌な素振りを見せない。
「冬の備えは充分ありますので、雪が溶けるまでゆっくりしていって下さい」
「有難うございます。これ、少ないですが……」
正直、かなり助かった。もし村から追い出されていたら、この辺りの土地勘も無く、私はそのまま死ぬしかなかっただろう。
商品は壊れた馬車に置いたままで場所も吹雪で分からず、持っていった物は燃やせる物は暖を取る為に全て燃やしてしまった。とりあえず私はお金の入った革袋を女性に渡そうとする。
「いえ、お金は要りませんよ」
「え……何故ですか?」
「貴方との縁を、お金の受け渡しで済ませてしまうのは勿体無いじゃないですか」
そう言うと、女性は微笑む。
辺境の村に似つかわしくない、垢抜けた雰囲気を持った女性だった。もし私が独り身だったならば、見惚れていたのではないかと思わせる。
「しかし、困りました。どうやってこの恩を返してやればいいのか……」
「ふふふ……それなら、あの子に村の外の事を教えてあげてください。私も村の外からやってきた身ですが、余り詳しくないので」
「それで良いのですか?それなら任せてください。商売で鍛えた話術で外での出来事を面白可笑しく話してみせますよ!」
それから、数日間私はポック村で生活を続けた。
私を歓迎してくれた女性――名前をパウリナと言う――の他にも村民が居たが、彼女が特別というわけでも無く、皆私をまるで親友のように歓迎してくれて、毎日宴会をする程だった。
「はええ……やっぱ村の外はすげえなぁ……おらもいつか行きてえけど、しばらく村の手伝いが先だべ」
時間を見て、エティア少年に街の事も話した。彼は興味深そうに私の話を聞いては、知らない事が有ると直ぐに質問攻めしてくる。
ただ、中々村の外に離れられないと嘆いてはいたが。
「んだけど、今の話子供さ出来たら教えてあげっぺ。んで、おらの子供には沢山村の外を見させてあげんだ!」
「そうか……もしアラバに来たら私の所に来ると良い。歓迎するよ」
「おっちゃんも暇さ有っだらまた村に来てな!」
「ああ、勿論さ。次来る時には街のおもちゃとかも持ってくるよ」
「ほんとか!?約束だがんな!」
私がそう言うと、少年は全身で喜びを表現していた。
村での時間はあっという間に過ぎていった。雪が収まり地面が見えてくると、そろそろ帰らなくてはならないと一人一人村の人に挨拶してからこの村を後にしようとする。
数日前に村へ運んだ馬車に残った商品と引き換えに――ちなみに村の人が受け取るのを渋ったので持てないからと無理矢理渡した――村の人から食料を分けてもらっていたが、馬車が壊れてしまったから徒歩で帰らなくてはならないのと、
居心地の良かったここから離れなければならないのと合わさって憂鬱な気分だった。
「おっちゃん!馬車、おらが直しといたべ!牛は母ちゃんからのプレゼントだ!」
村から離れると、少年が腰に手を当てて私の事を待っていた。
「こ、これは……本当に君がやったのかい!?」
目の前には、牛に繋がれた荷車が有った。少し前に私が雪道で壊した物だ。
子供の仕事とは思えない出来だった。釘が無い代わりに木を上手く組み合わせて補強されている。
軽く体重を補強部分に加えてみたが、歪む事は無かった。これならば馬で走らせるには不安だが、積んでいる荷物も無く牛の速度ならば問題ないだろう。
「おっちゃん……泣いてるのか?おら、何かやっちまったが?」
「いや、これは違うんだ……まさか、ここまでしてくれるなんて……」
気がついたら、涙が頬を伝っていた。私は少年を抱きしめる。
「有難う……有難う……必ずこの恩は返すよ」
「んじゃ、また街の話してくれよ!おらおっちゃんの話大好きだべ!」
「ああ……きっとまた戻ってくる」
私はエティアに別れを告げると、牛を歩かせる。少年は私が見えなくなるまで手を振っていた。
………
……
…
「しかし、儂は結局あの村に戻ることは出来なかった。きっと村の者は儂の事を薄情者だと思っているだろう」
あの後街に戻った儂に大きな商談が入り、成功を収め忙しくなったせいで辺境まで足を伸ばす暇も無かったのだ。
せめて、利益にはならないが人手を使い村に定期的に行商に行かせるようにしたり、この国で飢饉が起きた時には食料を安く売ったりしたが、顔を見せられないままこの歳になってしまった。
「――そんな事はありませんよ。父は貴方の事を一度も貶しませんでした。それどころか、暇があっては貴方が話した都会の事を何度も何度も聞かされました。お陰で妹は大人になったら直ぐにあの村を飛び出してます」
青年の言葉を聞いて、儂は思わず彼の顔を見つめる。電撃が走ったような驚きが有った。ああ、何故儂は気付かなかったんだろう。それどころか、怪しい者だと訝しんでしまうとは。
隣に座っている赤髪の青年は、まるであの時の少年がそのまま成長したかのような姿ではないか。
「まさか、こんな所で会えるなんて……君はあの少年の息子なのか?君の父は……エティアは元気か?」
「残念ながら……父は私が6つの時にあった戦争に呼ばれて――そのまま帰って来ませんでした」
赤髪の青年の表情が曇る。既に遅かったか……儂はまだあの村の人達に恩を返しきれていないと言うのに。
「何ということだ……一体儂はどうすれば……」
「それなら、今度は私にこの街の事を教えて下さい。父の代わりに」
「それで、良いのか?相変わらずあの村の人達は無欲な事だな……」
それから、暫く青年にアラバの事を話した。昔のように、この街の醜い面は一切話さず、面白可笑しく儂の全霊を掛けて話し続けた。
青年は既にこの街の事を知っているだろうに、興味深そうに儂の話を聞いて相槌を打っていた。
まるで昔会った少年とまた話しているような気分だった。興奮して鼓動が早くなる。怒りとはまた別の高揚感だった。
「やはり、ここは素晴らしい所なのですね……改めて感動しました」
話が一段落した所で、青年は儂に向き直る。
「お爺さんの事も、是非教えて下さい。何かお困りなのでしょう?父のように、私も貴方の力になりたいのです」
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