第一話
「ザペルの野郎はまだか」
赤い絨毯が敷かれた、鼻がムズムズするような品の良い部屋で、俺は椅子に座り時折懐中時計の針を見ながら、何度目かわからない言葉を呟いていた。もう針は回りきっている、遅すぎだ。
今日はこれからの未来を決める一歩だ。下手な真似はしたくねえ。
腐敗している今のソリニフには、国をマトモに運営してく力はねえ。貴族と上ばかり見て、下の方は放ったらかしか搾取してばかりだ。
そして国の手が伸びづらくなった以上、この国から甘い汁を吸おうと様々な組織が大小生まれた。
高い所場代を払わせて遊んでばかり居るクソヤロウ共、暴力で何事も言うことを聞かせようとするクソヤロウ共、普通の商人を脅して潰してから生活必需品を高値で売りさばくクソヤロウ共、麻薬を売るクソヤロウ共。
数年前はクソヤロウがソリニフという一つの壺で混ざり合って悪臭を放っていた。
俺は上は嫌いだが、この国と街は愛していた。
戦った。壺に入っていたクソを片っ端から投げ捨てていった。
捨てていくうちに、俺も汚れて同類のクソになっちまいやがったが、いつの間にか壺は綺麗になりつつあった。
しかし、最後にこびり付いたやつが取れやしねえ。俺たちの事だ。
「あいつが遅れるなんて、いつもの事じゃない」
大きいテーブルを挟んで、対面側に座る赤いドレスに身を包んだ長い黒髪の女――アンブレラが、煙草を吹かせながら呟く。
一見娼婦のようにも見えるがとんでもねえ、この街で国を除いた最大の暴力機関の長であり、女自身もかなり腕に覚えがある。恐らく人を殺した数はこの街で二番目位に入るんじゃねえだろうか。
しかし、この女が暴力を振るうおかげで治安は良くなった。レイプなんて起きた次の日には犯人が吊るされて死んでるからな。法なんて知ったこっちゃねえって勢いだ。
まあ、殺っちまうのもわからなくはねえがな。国の衛兵だったら運が良ければレイプ犯が見つかって、僅かな賄賂で釈放されちまう。運が悪ければまた被害者が増えるだけだからな。
だが衛兵の真似事は良いんだが、気に入らねえって理由でぶん殴って血を見ることも多くなったのはいただけねえ。
それにしても、俺は神はあまり信じちゃいねえが、なんで神はコイツを強面にしなかったのか小一時間問い詰めてえくらいだ。デカい猿顔の方がよく似合うぜ。
「だがこういう集まりに来ないって事は……何か良からぬ事でも考えてるんじゃないかね?」
左手側に座る身綺麗だが髪が薄く小太りの男――アサグナが、仰々しく問いかける。
コイツは今では表向き住人に適正価格で物を売る一介の商人に過ぎねえ、だがこの街移って来たときにはえげつねえもんだった。予め情報を仕入れていたのだろう、高値で物を売って住民からヘイトを集めていた商人を標的にした販売戦略で街の住人を味方につけて、物理的にライバル店を潰しやがった。
潰したのがクソ店だけなら良い話にもなるが、コイツに恭順しなかった普通に物を売っていた店も潰しやがったのは許さねえ、俺のお気に入りの店もあったんだ。
今では9割の店が傘下に入って国の税金とは別にコイツに上納金を納めている。うまい具合に反発が出ない程度に、だ。
この国で誰が一番金を持ってるかって言われたら、間違いなくコイツだろう。
「あのヤロウが良からぬ事を考えてるのはいつもの事じゃねえか」
右手に座る予定だった男を思い出して、思わず顔を歪ませる。
いつも柔和な表情をしているが、何を考えているのか全くわからねえ赤髪の優男。俺ら三人と比べると数人しか構成員が居ないかなり小さい組織だが、そのフットワークは半端じゃねえ。
何かでけえトラブルが起こる時は必ずアイツが関わっていて、最終的に得をするのはいつもあのヤロウだった。
一年前にふらっとやってきたらしい――詳しいことは調べさせても全くわからねえ――奴はあっという間にこの街の裏で名の知られる男になった。
麻薬を売るために隣国から来た組織を潰して売上をゴッソリ持っていったり、暗殺ギルドに狙われたと思ったら向こうの頭がそっくりヤロウにすげ替わってやがる。
おまけに稼いだ金はどこにやったのか聞いたらそんなのねえとか寝言言いやがる。派手に使ったらすぐ分かるんだ。奴が使った金と手に入れた金が釣り合わねえ。
なんだ?それともお前の金は虚空に消えるのか?
とにかくアイツが何かに手をつけると全く予想が出来ねえ。正直触れるのも勘弁してえ位だ。
「フッフフ……それもそうね、出来ればこっちに矛先が来て、暴力的な手段だとこっちも真正面から潰せて気持ちいいんだけど」
「アレが君とやり合えるほどの戦力まで持ってたら世も末だよ」
「わからないわよ?意外と良い勝負になるかも」
女は機嫌が良さそうにザペルの事を話し始める。
アンブレラはあのヤロウがお気に入りだからな、型に嵌らないのが好きだとか、とんでもないぜ。
「別におめえらとあのヤロウがやり合うのは構わねえが、勝手にやられるのは困るんだよ」
「隣国の組織の動きが盛んだからね、すっかり大きくなった私達の組織同士がいきなり戦い始めたら、隙を突かれるかもしれない」
「国は期待出来ない以上、私達が守りましょうって?下らないわね」
吸っていた煙草から口を離して紫煙をたゆらせながら、女は呟く。
ま、仲良しこよしが暴力女の好みじゃねえってのはわかってんだ。
「じゃ、好きに喧嘩売っていいぜ、俺ら三人でお前を潰すからよ」
俺はこの街をボロボロにするような事は許せねえ。アサグナはもう手放せないくらいこの国の利権に食い込んでいる、それを駄目にするような行動をアンブレラがするのならば、喜んで一緒に金の力で味方を連れて殴ってくれるだろう。
ザペルのヤロウはよく分からねえが……ここで女の好きにさせるようならもうとっくの昔にヤロウが扇動して行動を移してる。やってねえって事はやりたくねえんだろ。
敵にさえ回らなければなんとかなる筈だ――と言いたい所だがあのヤロウだけはわかんねえんだよな。
「……あら、三人なら勝てるとでも思ってるのかしら?」
「……ああ?思い上がんなよ?ぶん殴る事しか能のねえクソが」
椅子から立ち上がり女を睨みつける。
チッ、めんどくせえ。これだからこの女は嫌いなんだよ。女は理屈じゃねえってか?良いから引け!お互い何の利もねえだろうが!
「いやあ、遅くなってすみません」
クソ女と睨み合っていたら、向こうに控えていた部下が扉を開ける音と共に、赤髪の男が微笑みを浮かべながら入ってきた。
嫌味ったらしい位礼儀正しく、帽子を被り黒い手袋を嵌めまるで貴族の側に居る執事のように黒と白で統一された服装だ――あのヤロウはこの格好を好んでしている。
それにしてもタイミングの良い登場なこった。遅れたから思いっきり怒鳴りつけてやろうと思ったが、女の方に意識が行き過ぎててそんな気も起きてこねえ。
「チッ、俺も暇じゃねえんだ、あまり待たせんなよ」
俺は思いっきり尻を椅子に叩きつけると、吐き捨てるようにザペルに言った。
クソ女もため息一つついてから再び煙草に口をつけ始める。
「こちらも色々立て込んでまして――いえ、言い訳は駄目ですね。申し訳ありませんでした」
深々と、ヤロウは頭を下げる。
普通、こういう場で堂々と謝罪をするような事はしねえ。周りから舐められるからな。それに、遅れたくらいで頭を下げるようなトップに少なくとも付いていきてえと思う奴は居ねえ。
俺だったら「それがどうした」とか言いながら椅子に座って何事もなかったかのように話し始めるだろう。
だが、あのヤロウは昔から自分が僅かでも悪いと思ったら躊躇せず頭を下げていた。
もちろん、最初の頃は舐められて喧嘩を売られたりしたようだが、今では向こうが謝ったから自分の方が『上』だと思うやつは居ねえ――全員死んだからな。
「時間の無駄だ。早く座れ」
「――そうですね、では失礼します」
音を立てないように意識しているのか、それとも自然なのか、ヤロウは静かに椅子に座りだす。
相変わらずキザったらしいヤロウだ……。
腕を組んで、面々を見回す。アンブレラは興味なさそうに、アサグナはハンカチで汗を拭き、ザペルのヤロウは少しも微笑みの表情を崩さずこっちを見ていた。
「言っておくが……この会合はただ手を取り合って一緒に頑張りましょう――とかいうもんじゃねえ、ただの確認作業だ」
俺たちの組織は――俺は不本意だがデカくなりすぎた。下手にぶつかると、この国という身体に傷がついてしまう程に。
そして、お互いこうして会合に参加する程度には顔見知りだが、とてもじゃないが気の知れた相手じゃねえ。
今は暴力の面でアンブレラ、資金の面でアサグナ、人脈の面で俺、知略の面でザペルが先んじているお陰で均衡が取れているが、いつ崩れるかわからねえ状況だ。
そして崩れた時、漁夫の利を得ようとする者が出てくる。それはお互いぶつかり合って疲弊した奴を喰おうとする俺らの誰かと、外の組織だ。
なし崩し的に抗争が始まったらもうこの国は持たねえ――俺たちは終わりだ。
言い聞かせるように、三人に告げる。俺たちはクソだが、せめて臭わねえようにはしてえ。そのための未来が、この会合にかかってる。
「お互い何やってるか、何進めてるか話して利害が関わる事をここで確認するんだよ。そうすれば、気がついたらお互い引けない所まできていた――ってことにはならねえ。争いを未然に防ぐ事が出来る……俺らがやりあったらお互い倒れる事はわかってるだろ?」
「で、その利害がぶつかったらどうするのかね?結局お互い引けない事には変わりないだろう」
「その時は、関わらない奴らが調整すれば良い」
パン、と椅子が壊れる音が部屋に響く。クソ女がバカ力で勢いよく立ち上がったからだ。
やっぱり駄目か。まあもとよりこの会合を上手く回せるとは思ってなかったがな。あまりにも女の好みから離れすぎる。
「ハア……結局ただの親睦会じゃない。利害が関わったら調整?甘い事言ってるんじゃないわよ……対立したら奪い合えばいい、今までそれでやってきた。今更変える必要なんて無いわ」
アンブレラは吐き捨てるように言うと、部屋から出ていく。ついでに丁寧に細工がされたドアを蹴るのも忘れないのが最悪だぜ。この場所取ったの……俺なんだぞ……?
やっぱり、クソ女は先手を取って殺すしかねえか……だが、俺らも無傷じゃすまねえ……。
「まあ、元々無理がある話だったね。利害調整は良いけれど、公平性は誰が保証してくれるのかね?」
アサグナもやれやれ、と腰を上げる。
公平性に関しては問題にはならねえ……向こうは俺の事を信用してねえが、俺は決して贔屓はしねえよ。信用してもらえねえだろうがな。
アサグナも利害調整する立場になったら今が一番安定している状況なんだ。波風を立てる事はしねえ。
問題は他の二人だが……ザペルはよくわからねえ奴ではあるが贔屓するもされるも露骨に敵を作るなんてわかりやすい真似なんてしねえ。そんな事するタイプだったらとっくに死んでるか行動が理解出来てる。
アンブレラはまず利害調整なんてやることになったら、顔は見せるがめんどくせえとか言ってそんなに関わらねえ筈だ、そして、その結果公平性が無いような利害調整されるようだったら相手をぶっ殺すだろう。
仮に得するような状況でもあの女ならば気に入らねえとか言ってぶっ殺す。他の奴らも女がそういう奴だってのはわかってるからクソ女関係は問題ないはずだ。
一度成立しちまえば上手く回るハズなんだよ……。
「素晴らしいですね」
ニコニコしながら黙って成り行きを眺めていたザペルのヤロウが徐に手を叩く。そして、普段何してるか分からねえ手で俺の手を握りやがる。気持ちわりい。
アサグナはそんなザペルの様子を見て、ドアノブに掛けようとした手を止めてこっちを見ていた。
「改めてクラスさんの考え、感じ入りました。とても素晴らしい事だと思います」
その笑顔を深めて、握った俺の手を振ると称賛の言葉をヤロウは浴びせてくる。しかし、裏にある何かが透けて見えて俺は素直に喜ぶ事は出来なかった。
受け止めるにはあまりにも胡散臭すぎる。そもそもコイツの言葉に全く裏が無かったことなんて有ったか?
「ま、あの女が好き勝手動くなら結局ご破算だ」
「ならば、私が今から説得しましょう」
「ほ、本当かね!?アレを?」
自信満々なザペルの言葉に、アサグナが驚いてヤロウに向かって問いただす。
説得?あの女の辞書にそんな言葉が存在するとは思えないが。それに少なくともさっきの様子を見てすぐに説得出来ると思っているならば正気じゃないぜ。
「まあ、それほど時間はかからないかと。それでは呼んできますね」
クソヤロウは相変わらず微笑んだまま、この部屋を後にする。
ヤロウの行動が常に正気じゃないのを思い出したのは、すぐ後だった。