第九話
全身の動きを意識する。
指先から頭の先まで、細胞の全てをこの一振りに合わせるように呼吸する。
脚のバネを最大限に使って飛び込むと、地面の音と共に土煙を上げた。
恐怖の表情をした逃亡者が、目を見開いてこちらを見る。追い抜きざまに手に持った得物を胴に滑らせると、ぐらり、と男の身体が傾げる。
自分の身体が二つになったのを理解した男は、己の最期を認められずただ肺を懸命に動かし呼吸を続けていた。
「お見事です。アンブレラ隊長」
剣に付いた血を男の服で拭っていると、遅れて私の部下がやってくる。返り血が付いている所を見ると、部下も仕事を済ませたようだ。
「こんな雑魚で持ち上げられてもねぇ」
目の前の死にかけている男は複数人で商店に押しかけた強盗だった。
偶然街を歩いている時に犯行を目撃した私達は、最初は捕縛しようとしたが抵抗にあった為結局皆殺しにする事にしたのだ。
「一応投降するように言ってるんですけどね、なんで毎回こうなっちゃうんでしょう」
「一度投降した相手を殺したのがまずかったかしら」
昔、武器を捨てて下った相手が部下に下衆な発言をしたので斬り殺した事があった。
それから毎回相手が必死に抵抗するようになった気がする。お陰で犯罪者の置き場には困らなくて良いが、毎回大捕物になってしまうのは頂けない。
私達の組織は一応自警団として表向きこの街の治安を守っている。特に、部下の助言に従うただの暴力機関としては動かないよう気をつけてはいる。
まあ、周りからは私のワンマン組織と思われているのと、毎回犯罪者を皆殺しにしているので暴力機関ではないと言ったら鼻で笑われるだろうが。
「皆さん、有難うございます。お陰で命が繋がりました」
商店の主人が私達に頭を下げて、金の入った革袋を渡してくる。
主人は表向き私達に感謝の言葉を告げていたが、目には恐怖が浮かんでいた。
正直、こういうやり取りも面倒だったが、それ以上に無償で街の用心棒の真似をしたらしたで、相手に警戒されるのも面倒だった。
「お疲れ様です」
「ええ」
普段寝泊まりしている屯所に戻ると、訓練をしていた者が挨拶してくる。皆昔襲われているのを流れで助けたら、そのまま私の元にくっついてきた者だ。
初めはただの気まぐれだった。路地裏で女性を襲っている暴漢が気持ち悪かったので、近くにあったレンガを本気で投げたら頭から血を流してその男は死んだ。
女性からは感謝された。それと同時に同じ暴力が己に襲いかからないか不安だったのだろう、目には恐怖があった。
そして、その目を見て不思議な感覚と高揚を覚えた私は、もう一度それを見たいと思ってしまう。
それから、私は色々な人の恐怖を見ようとした。自分の死を実感して恐怖する者、理解できない出来事に恐怖する者、人間とは思えない存在に恐怖する者――
意識してみると、恐怖にも様々な種類があると知った。傘下に入った部下にさえ、畏怖というものはあった。私がおもむろに剣を持つと、未だに身構える者も居る。
そして、色々な恐怖を見ていくうちに、いつしか私の暴力に惹かれた者が現れ、弱者が私の力を期待し庇護を得たいと近づき、大きな一つのコミュニティになった。
私自身も、様々な恐怖というものを見る目的は有ったが、それに至る戦いという過程も楽しむようになっていった。
そして、私は『死神』と呼ばれこの街で私に恐怖しない者は居なくなった。でも、それで良いと私は思った。
もし全世界の人間が私に恐怖したならば、それは私は全てを恐怖という力で自由にする事が出来るだろう。ただ流れるままに生きてきた私には愉快な報酬ではないだろうか?
さあ、それではまず初めにこの街で何をしよう――と思った所で、三人の男が私の目の前に現れた。
「その……お客様が来てます」
「お客様ぁ?まあ、いいわ」
一人の部下が恐縮しながら、私に要件を伝えてくる。誰だろうか、クラスかアサグナか?
あの二人は中々面白い男だ。私の力に恐怖はしているが、あの手この手で乗り越えようとする意思がある。
クラスはまず私達がクラスの面々に対して暴力を使うような展開にさせる事はまずない。私の部下の中にはクラスに世話になってる者も居て、もしクラス一派に手を出したら大なり小なり反発を受けるだろう。
正直そんな私には身内でのいざこざなんてゴメンだった。それに、クラスは私に対する態度に全く弱みは見せない。殺すのは最後にしてやると誓った。
アサグナは金の力で私を縛り付けている、甚だ不本意だがアイツを殺したら私達は破産か暴力でひたすら金を回収し続ける下衆になるしかない。
私は戦いたいのと色々な恐怖を見たいだけで治安維持はオマケだが、部下は真剣に街を守ろうとして私に付いてきている。きっと外道なやり方に切り替えたら一気に私の組織は瓦解するだろう。
まあ、私の目的の為なら組織なんてどうでも良かったが、やはり戦い以外の面倒なトラブルには関わりたくない。そんな私の気持ちを突いたアサグナのやり方は、私に対する回答としてこういうのもあるのかと好きではないが感心はした。
「やあやあ、君が噂のアンブレラ君かね!」
金糸で施された豪華な刺繍がある服を着た貴族が、馴れ馴れしく私の肩を叩いてくる。
「何なの?気持ち悪いわね」
手を払って振り払うと、ニヤニヤとした気持ち悪い顔をしてこちらを見ていた。
思わず提げていた剣に手が行くが、頭を横に振っている部下を見て渋々様子を見る事にする。
「実はお願いしたい事があってね、ああ、女王陛下が攫われたという話は聞いているでしょう?」
最近の街で噂になっている事だ。その件に関しては私の耳にも入っていた……攫った奴がザペルという事も。
聞いた時にはいきなり国に喧嘩を売りだすとは相変わらずザペルは意味がわからないなとは思ったが、国に睨まれてもどうやらまだ生きているらしい。一体どんな奇術を使っているのやら。
しかし、国の貴族が私に何の用だろうか。正直、国がわざわざ顔を出す程この場所はご立派だとは私は思っていないが。
「早く要件を言って」
正直面倒だったが、話を聞かない限り帰ってくれないだろう。私は貴族にさっさと話をするよう促す。
「実を言うと、あの悪逆非道、血も涙もない悪の権化ザペルの伏魔殿から女王陛下を奪還しようと思ったのだが、私の私兵では難しくてね。君の力を借りたいと思ったのだよ」
「私兵?女王が攫われたんだ。国軍を出せば良いでしょう」
贅沢に過ごす事しか考えない貴族の私兵なぞ質も量もたかが知れている。腐っても世界最大と言われるこの国の軍ならあのザペルも量で押しつぶせるし、軍ではないが私と戦える程の強者も居る。
フン、他の貴族から責任を取らされているのか。それとも国軍が出せない理由でもあるのか。
「ま、まあ、それは良い。君……いや、君の自警団に依頼したい。金なら出す」
貴族の使用人が、見たことがある箱を持ってくる。中の容器には三分の一程の銀が入っていた。
なんだ、コイツアサグナの所行ってきた帰りか。しかも、量からしてアサグナから既に見捨てられている感じがある。
毎月私の所に送られてくるコレは金が一杯に敷き詰まっているぞ。
「なに、ザペルと戦えと言うわけではない、女王陛下もいい、胸のレガリアさえ取り返して――」
鞘から剣を抜き放つ。
アサグナもよくコイツを殺さずに金を出したもんだ。王の象徴さえ取り返して貰えれば子供の女王が死体でも構わないとはね。
まだ三蛇会とかの方がマシだよ、同じ外道でも自分で動くからね。コイツは外道な上にその行為を全て他人に委ねるクズだ。
私の凶行に貴族の使用人達は一斉に逃げ出していく。ちょっとは主人の仇を取ろうだとかいう奴も居ないか。
「すまないね、屯所汚しちゃったわ」
「いえ、私も貴族は嫌いなのでスッとしました」
部下も慣れているのか、既に棒で死体を焼き場に持っていってブラシで床を掃除していた。
「まあ、折角の機会だ。ザペルの所にでも行ってこようかしら」
「え!?あの人の所に行くんですか!?貴族の件は一応断った事になったのでは?それに、クラスさんからやり合うなと……」
「女王陛下を助け出すという表向きの大義名分があれば良いでしょう?それに、貴女たちは来なくてもいいわ」
ザペル。この街に最後に来た支配者で通称『悪魔』と呼ばれる者。
あの男は私に似ている。
私は暴力による恐怖で相手を支配するが、ザペルは言動による恐怖で相手を縛り付けている。
それに、個人的に気に入らない事もあった――この街で唯一あの男は私に恐怖しない人間だからだ。
今まで出合い頭に首を落とそうとしても、ザペルは全てを躱してみせた――何の感情を見せずに。
私の剣を見切っているだけならば別に何とも思わなかっただろう、ただ、何をされても常に変わらない感情がそこにあるのが私には理解出来なかった。
意味が分からなくて、軽口を飛ばした時に私の言葉が震えているのを感じた。
「それに、これは組織同士の抗争ではないわ、個人の私闘よ。喧嘩を始めるのに誰に許可が要るのかしら?」
恐怖は私のアイデンティティだ。誰にも侵されたりはしない。
何、ちょっと本気で戦って、ザペルの瞳が恐怖で震えるのを見れれば私は満足する。満足したら、悪魔から攫われた哀れなお姫様を連れてここへと戻ってこよう。
あの館で生活していて、正気でいるかどうかは疑問だが。
ポイント評価感想有難うございます。励みになります。




