準備
ヌイドー王国 城内の一室
椅子に座るキリヒトとナシャエルの前で、クマが頭を抱えている。
「バカみたいな地響きが続くから、ブロックの奴らが攻めてきたのかと思ったじゃねえか!」
「それはまあ…すまなかった…。天使の力は加減が難しい…」
ナシャエルが眠そうに目をこすりながら答えた。
クマはそれを聞いて肩を落とし、またそれか、と呟いた。
「そんなことより、俺の右手の再生がめちゃくちゃ遅いんだがどうすりゃいいんだ」
「そんなことだとお?」
クマが文句を言うのを気にせず、キリヒトが骨や筋肉がゆっくりと再生している右手を振る。
「その右手は『ラグナロク』を使って全力で切断した…お前といえど再生に数日はかかるだろう…」
「体の傷の治りが遅いのもそのせいか」
キリヒトはシャツの中の自分の体を見てそう言った。
「ま、いいか。それより俺の特訓が終わったんだ、戦争が始まるのか!?」
キリヒトは新しい力を試したくて仕方がないといった様子でそわそわと動く。
「その話もしておく必要があるな」
そう言ってクマはホワイトボードをガラガラと引っ張ってきた。
「世界地図は見たことあるか?」
クマがそう言ってボードの地図を見せる。
キリヒトがそれを見て苦笑いを浮かべる。
「あるにはあるが…実のところ国の名前すらあやふやなんだ、最初から教えてくれないか?」
それを聞いてクマは頷いた。
「こちらとしてもそのつもりだった。教育を受けていないんだ、恥じることはないぞ」
地図に何か書き始めたクマの様子を見て、キリヒトがナシャエルに耳打ちする。
「なんかクマのヤツ、優しくないか?」
「お前の強さ…いや、努力を認めたんだろうよ。大人しく聞いとけ」
こそこそ話す二人にクマがサインペンを放り投げた。
「先生の話はちゃんと聞け!」
いつのまにかボードにはかわいらしいクマのイラストが描かれている。
「いいか、世界には5つの大陸があり、そのそれぞれを5つの大国が支配している。
中心がパーズが治めているイロー大陸、左下がサイア国のルーヴ大陸、右下がルヴィ国
のレド大陸、左上がシルヴァのワトイ大陸、右上がエメルのリング大陸だ」
キリヒトがその言葉を聞いて両手を挙げる。
「なんだか一気に言われてもよくわかんねえぜ。それで、ここはどこなんだ?」
「これを覚える必要はない。ちなみにここはルヴィ国が治めているレド大陸の端にある」
クマは黒いマジックで右下の大陸のさらに端に印をつけた。
「そして俺達の敵はここ、シルヴァだ」
クマは赤色でグルグルと左上の大陸を囲った。
それを見てキリヒトは首をかしげる。
「ん?中心にもう一つ大陸があるぞ?」
「ああ、ここはパーズと地続きになっている場所で、世界政府の本部があるんだ」
クマが今度は赤いマジックでぐるりと中心の大陸を囲う。
「ルヴィとサイアは同盟国だ。両国とも物質種に大しては寛容だし、我々の国に対する理解もある」
クマは青色で南の2つの大陸を囲った。
「で、シルヴァとパーズも同盟国だ。ぶっちゃけるとパーズもほぼ黒と言っていい」
クマは赤色で、中心のイロー大陸に矢印を書いた。
「この二国は物質種差別が激しい。加えてパーズは世界政府とベッタリの関係だ」
「おいおい、世界政府がそんな贔屓していいのかよ?」
キリヒトの問いにクマは即答した。
「ダメだろうな。だから、今回の会議で問題にするんだ。お前がされた違法な人体実験も含めてな」
「会議?」
クマは腹の縫い目から一枚のポスターを取り出した。
「各国のトップが集まる世界会議が、今から二ヶ月後に開催される。
うちからはナシャエルが代表として参加することになっている」
「なんでだ?コイツは国王じゃないだろ?」
キリヒトがそう言うと、クマはマジックで地図を叩いた。
「言っただろ、物質種は迫害されてんだ。こっちの国王は二人とも出れん」
「二人…?」
ポスターをホワイトボードに貼り付け、クマが振り返る。
「ん、ああ、気にするな。もう一人の国王にはそのうち会わせてやる」
キリヒトは首を傾げ、ポスターをじっと見た。
「それにしても各国の首脳がねえ…なんだかお硬い感じがするぜ。
ま、俺はそんなところとは無縁だけどな」
うとうとしていたナシャエルが、そこでパッと顔をあげた。
「む、言ってなかったか?お前も私の護衛として参加してもらうぞ」
「!?」
驚くキリヒトをよそに、ナシャエルは大きく伸びをした。
「いかん、眠すぎる。久々に第二段階の力を使ったからな…天使の力は使い勝手が悪い」
そう言って立ち上がり、クマを指差す。
「会議についてはクマに教えてもらえ。私は眠る」
ナシャエルはドアを開けて、欠伸と共に部屋を出ていった。
静かになった部屋に、クマのため息が響く。
「天使とかいうホラ吹きさえなければ、あいつもな…」
「ああ!?アイツ天使じゃないのか!?」
クマが呆れたようにもう一度ため息をつく。
「そもそも天使が実在すると思ってんのかお前は」
「いやー、だってナシャエルがそう言ってたし…」
「確かにナシャエルは人間離れしてるが、天使なんてものが存在するかよ…馬鹿馬鹿しい。
とにかく、」
クマはさらに資料を腹の縫い目から取り出し始める。
さらにどこからか、手製らしいクマの人形がついた棒も取り出した。
「各国のトップの顔ぐらいは覚えておけ。まずはこれだ」
レド大陸の所に、20そこそこの青年の写真を貼り付けた。
真紅の髪と、頬の傷が特徴的だ。
「コラン=ルヴィ。ルヴィ国の国王だ。主にこの方の護衛がお前の第一任務になる」
「自分で軍を率いていきそうなやつだな。苦手なタイプだぜ」
さらに若い少年の写真を貼りつける。
「同盟国であるサイアの王ダラム=サイア。まだ就任して間もない」
「まだガキじゃねえか。頼りなさそうだ」
「……」
「その棒の先についてる変なのは何だ?」
クマは黒のマジックを逆手に持った。
「……で、このじいさん、ベリル=エメルがエメルのトップだ。したたかなじいさんだぞ。
シルヴァのトップはこいつ、アグ=シルヴァだ。コイツがまあ最終目標だな」
頭から血を流してグッタリするキリヒトにクマが説明を続ける。
「パーズのトップはスイシ=パーズ。そこそこのベテランだな」
「世界議会の代表みたいなヤツはいないのか?」
キリヒトが頭に突き刺さったマジックを引き抜いてそう言った。
「いるにはいるが、顔は分からん。いつも音声だけの参加だ」
「だからどうしてそんな特別扱いがまかり通るんだよ」
キリヒトの問いにクマは首を横にふる。
「知らないのか?…いや、知るわけないか。
世界政府は元々、中立かつ公平な会議を行うための言わば…審判のような存在だった。
それで、暗殺や懐柔を防ぐために顔を隠して会議に参加していたんだ」
「裁判官…みたいなのか?」
クマはキリヒトを見て強く頷いた。
「大体それで正しい。ただ最近、どうもおかしいんだ。
100年ほど前から少しずつシルヴァに有利な判断がされている。
世界政府は独立した機関かつ保護されているから調査や告発もしづらくてな…」
「どうしてだよ?文句言えばいいじゃねえか」
クマは手を顔の前で振った。
「ダメだ。俺たちが世界会議で発言する、ということは実質ルヴィの国王がそう言ったということだ。
今回のシルヴァ告発ですらとんでもないリスクなんだぞ。
分かりやすく言えば、スポーツの試合で審判に向かって
"こいつは買収されてる!"って叫ぶようなものだぞ?」
「…一発退場だな」
キリヒトはそう言って下を向いた。
「ただ、今回のシルヴァの件は流石に看過できないはずだ。
これでシルヴァをかばえば、合わせて告発することができる。
…でかい賭けだがな」
そこまで話して、クマは資料をボードから剥がした。
「説明は以上だ。質問は面倒だから受け付けん。知りたいことがあるなら…」
クマはまとめた資料をキリヒトの前にドサリと置いた。
「読め」
「俺、文字がロクに読めないんだけど」
クマは腕の縫い目から分厚い本を取り出す。
「だと思ったから、これで学べ。二ヶ月間無駄に過ごす必要も無いだろ」
げんなりするキリヒトを置いて、クマは部屋を出ていった。