特訓
その日から、ナシャエルとクマによる訓練が開始された。
今までキリヒトは自身の怪力と、超再生に頼った戦い方しかしてこなかった。
超能力を使いこなすことなく、自分より弱い敵を相手にしてきたキリヒトに必要なのは
相手の裏をかく戦い方と、効率のいいエネルギーの使用法だった。
そのため、最も適した訓練は…実戦であった。
「まさに真綿で首を絞めているってわけだ」
クマに絞め技をかけられ、キリヒトがそれを外そうともがいている。
「…あぐぐ!!」
柔らかい腕にもかかわらず、キリヒトは首の拘束を外すことができない。
「ほら、力に頼るな!」
キリヒトの手から炎が放たれると、クマは瞬時に拘束を解く。
手に炎を留めたまま、キリヒトはクマの方へ飛びかかった。
「その動きは、手以外から炎を出せないと言ってるようなものだぞ」
大ぶりの攻撃をかわし、クマはキリヒトに脇固めをきめる。
バキ、という派手な音がしてキリヒトの腕が折れる。
苦痛に顔を歪めるキリヒトの顔に、ピシピシとヒビが入る。
「力で勝っているはずのお前が何故、俺にいいようにされるか分かるか?」
反対側の手をクマに向けるが、逆に手首を捕まれねじり上げられる。
再び骨の折れる音がして、キリヒトがうめき声をあげた。
「技術が足らんからだ。技次第では、俺の綿が詰まった手足ですら銃弾を弾けるようになる」
キリヒトが口から吐き出した酸を、首を動かすだけでかわしたクマは、
鳩尾に正拳突きを叩き込んだ。
「俺はお前のことが死ぬほど嫌いだ。だから丁寧に教えることはせん。
一方的に攻撃される中で、勝手に学び取れ」
血と吐瀉物の中に崩れ落ちるキリヒトを見下ろして、クマはそう言った。
「昨日は随分とクマにやられていたようだな」
質問に答えず、キリヒトはナシャエルに殴りかかるが、
触れられること無く腕の動きだけで地面に叩きつけられた。
「キリヒト、今までの戦闘は全て素手だったのか?」
倒れたままのキリヒトにナシャエルはそう話しかけた。
「ぐっ…そうだ。そこらに落ちてる鉄パイプなんかを振り回すぐらいなら、
俺がぶん殴った方が強いからな」
息を切らしながらキリヒトは立ち上がる。
「ふーむ、それもそうだな。よし、これを渡しておく」
ナシャエルは何事か呟き、空中から一組の黒い手袋を取り出した。
「扱える人間がいないので、しまっておいたものなんだが…お前なら使いこなせるだろう」
「何だこれ?手袋して戦えっていうのかよ」
「つけてみろ」
キリヒトは文句を言いながら、手袋をつけた。
「っ!?」
突然両手を抑え、キリヒトはうずくまる。
「以前、刃こぼれしない剣を作ろうとしていて、それの試作品だ。
手袋の先に特殊金属製の爪が仕込んである。切れ味は抜群の上に、刃こぼれすることも無いんだが…」
痛みに耐えているキリヒトを気にもとめず、ナシャエルは顎に手を当てた。
「何故だか装着した人間の血を吸い続けるんだ。外すには外から血をたらふく与えるしかない」
「てめえ…つける前にそれを言えよ!」
キリヒトの目が黄色く変化し、顔にヒビが入る。
「余計なことを話す隙があるのか?10秒で約1Lの血が吸われるぞ。
命を落とす前にさっさと外せるようになったほうがいいんじゃないのか?」
淡々と話すナシャエルに、キリヒトが飛び掛かった。
次々と繰り出される攻撃をかわしながら、ナシャエルが笑う。
「さっきよりはいい動きだ。お前に足りないのは必死さだ。
超再生と怪力に頼り切っているから勝てない。
私の首を落とした時のような戦い方を見せてみろ」
キリヒトは正面にフェイントを入れ後ろに周りこむが、攻撃するよりはやく壁に叩きつけられる。
ぐったりとし、動かなくなったキリヒトをナシャエルは見下ろした。
「そろそろ立てなくなったか…30L程度が限界らしい」
ナシャエルは自分の手首を切り、キリヒトの手袋の上に血を垂らす。
「私達の特訓をクリアした後、もう一つしてもらうことがある。
死なないように頑張れよ」
キリヒトの地獄の特訓は続く。
「痛みはそのまま感じるらしいな。苦痛が嫌なら俺に勝ってみせろ!」
キリヒトはクマに折られた腕を強引にもとに戻す。
「復讐を果たしたいのだろう?ならば立て」
ナシャエルにそう言われたキリヒトは、
自分の腹部に手をねじこみグローブを外した。
何十Lもの血を流し、限界を超えた苦痛に耐えながらキリヒトは強くなり続けた。
そして、1ヶ月の月日が流れた。
「少しはできるようになったな!」
そう言って突き出したクマの正拳をキリヒトは受け流し、腕を捻ろうとした。
腕を回転させふりほどいたクマは、一歩踏み込み反対側の腕で肘を入れる。
だがキリヒトは肘を受け止め、そのままクマに飛びつき十字をかけようとする。
「この…!!」
クマの腕にある縫い目から鋭い刃が何枚も飛び出し、キリヒトの両足を切り裂く。
空中で姿勢を整えたキリヒトが着地して手を腰に当てる。
「そんなものまで仕込んでるのか?便利な体だぜ」
「コレはとっておきだ…チッ。忌々しいが、俺の訓練はここまでだ」
クマが飛び出た刃を戻し、ほつれた縫い目を直す。
「何だよ、せっかく楽しくなってきたっていうのに」
「もう十分だ。あとはナシャエルの方だな」
キリヒトは足の傷を見ている。
「クマにもう少しで勝てそうだったのによ」
「はっ、200年はやいぞ、小僧」
クマはキリヒトに背を向け、あるき出した。
「だが、人間にしてはまあまあだ」
はじめて聞いたクマの褒め言葉に、キリヒトはしばらく唖然としていた。
「クマが合格を出したか。もう少しかかると思っていたが」
ナシャエルがキリヒトの乱打をかわしながらそう言った。
以前とは違い、ナシャエルにわずかながら攻撃が当たり始めている。
「頭は悪いが、実践による飲み込みは早いようだな。
全力を出すのは一瞬でいいと本能的に理解している」
ナシャエルはかわすだけでなく、防御も行い始める。
突然キリヒトは攻撃をやめ、空中に飛び上がった。
「意表の突き方は悪くないが、空中は…!!」
見上げたナシャエルが驚愕の表情を浮かべる。
飛び上がったキリヒトには、両腕が無かった。
地面に落ちた両腕の付け根が地面に根を張り、双方向からナシャエルの胴体を貫く。
「ざまあ見ろ!余裕こきやがって!」
両腕から血を流しながらキリヒトが笑うが、ナシャエルがそれを気に留める様子はない。
「ふーむ。素晴らしい上達ぶりだ」
口から流れる血を拭い、ナシャエルは体に刺さった腕を引き抜いた。
「ケッ。大して効いてないくせに、よく言うぜ」
放り投げられたキリヒトの両腕が地面を這い、元通りくっつく。
血を十分に得た手袋は簡単に外れた。
「よし、最終段階に入ることにしよう。その前に栄養を限界まで補給しに行け」
「おいおい、そんなに俺にダメージを与える気か?」
キリヒトが嫌そうな顔で言う。
ナシャエルはそれを否定せず、言葉を続けた。
「再生不全で死なれては困るからな」
ナシャエルの言葉に偽りが無いことに気付き、キリヒトは拳を握りしめた。
食堂でガツガツと食事をするキリヒトの向かいに、ナシャエルが座る。
「食べたままでいい。私の話を聞け」
返事をせず、キリヒトは食事を続けた。
料理係の腕を8本生やした木人が文句を言いながら料理を運び続けている。
「『アブソーバー』にはまだ先がある。それは当然理解しているな?」
「知らん」
キリヒトが食事の手を一瞬止めて答えた。
「気付いていなかったのか!呆れたやつだ…ああすまない、そこの君」
近くにいたウサギのぬいぐるみに、ナシャエルは飲み物を頼む。
「あらゆる能力を吸収できるというのは、すなわちその全てに適正があるということだ。
お前は根本的に、他の超能力者とは違う」
「俺はそーいう能力なんだよ。適正がどうとかは買いかぶりだ」
キリヒトは焼き魚を頭から骨ごとかじってそう言った。
ナシャエルは違う、と言って首を横に降った。
「時々お前の顔に入るヒビ、あれは恐らく次の段階の片鱗だ」
「ヒビ?」
「つくづく呆れたやつだな。どうなってるんだお前の頭は」
ナシャエルが額に手を当て、珍しくがっくりと肩を落とした。
「まあいい…とにかく、食事が終わった後の訓練で次の段階に進んでもらう。
地下最下層の訓練施設に来い」
そう言ってナシャエルはその場を後にした。
「ひゃー、地下にこんな場所があったのか!」
最下層の訓練所に入ったキリヒトは辺りを見て驚く。
「本来は私が力のコントロールを行うために作った場所だ。
高さは約150m、広さは約7km^2あるうえ、壁をかなり補強してあるから好きなだけ暴れられる」
「よく作ったな、こんなの」
キリヒトはまだ周囲をキョロキョロと見回し続けている。
「グローブは使うな。瀕死時に外せなかったら困る」
「さて、時間を無駄にしたくない。早速行くぞ」
そう言ってナシャエルは翼を広げる。
左目から入れ墨のような線が縦に伸びて、角が大きくなって行く。
「ちょっと待て!何する気だ!」
「私は今からお前を攻撃し続けるから、死にたくなければ力を解放して抵抗しろ」
「な…!」
返事をする間もなく、ナシャエルはキリヒトの顔を殴りつけた。
だが、キリヒトはそれをいなしてナシャエルを睨む。
「クソが…そっちがその気ならやってやる!」
そう言って腕をひねり上げようとするが、反対にキリヒトが地面に叩きつけられる。
ナシャエルは地面に倒れたキリヒトに突きを繰り出すが、間一髪でそれをかわす。
「もっと攻撃しても構わんぞ」
キリヒトの顔があった場所に埋まった腕を引き抜き、ナシャエルがそう言った。
「言われなくてもな!」
キリヒトがそう言って口から大量の煙を吐いた。
煙はみるみるうちに広がり、あたりに異臭が漂う。
「酸と火を合わせて作った有毒ガスか。いい使い方だ。だが私相手にはせいぜい目眩まし…」
そこまで言って気付いたナシャエルは後ろをふりむく。
振り向いたナシャエルの髪をキリヒトは掴み、顔を全力でヒザに叩きつけた。
ヒザに当たったナシャエルが後ろに吹っ飛んだのを見て、キリヒトはニヤリと笑う。
「…やるじゃないか。能力の複合、不意の突き方、格闘技術…よくできている」
起き上がったナシャエルを見て、キリヒトの笑みは消えた。
「首から上を消し飛ばすつもりで攻撃したんだけどな…出血すら無しか」
「さて…」
白いローブについた汚れをパンパンと払い、ナシャエルは立ち上がる。
「行くぞ」
グシャ、と頭蓋の砕ける音がした。
壁に頭を叩きつけられたキリヒトが血の跡を残しながらズルズルと地面に落ちる。
「さっさと力を使え。さもなくば本当に死ぬぞ」
血溜まりの中、つぶされた頭でキリヒトは考える。
(どうすりゃいいんだ…勝てる気がしねえ…能力を合わせるって発想は悪くなかったはずなんだけどな…)
霞む視界の中、ナシャエルがこちらに歩いてくるのが見える。
(クソ…何とかしないと…)
立ち上がるべき足には力が入らず、ガクガクと震える。
(まだ死にたくねえ…!何でもいい、何の能力でもいい!発動してくれ!)
倒れたキリヒトが、ゆらりと立ち上がった。
先程までとは異なる気配にナシャエルが首をかしげる。
「む…?まさか…」
キリヒトの黒髪がパキパキと音を立てて逆立ち、青白く変化する。
瞳が爬虫類のように細くなり、黄色くなる。
皮膚がボロボロと剥げ落ち、下から青い甲殻のようなものがあらわれる。
長い尾が生え、地面を打つ。
キリヒトだった化物は耳まで裂けた口で大きく咆哮を上げた。
「オオオオオオオオオォォォォォ!!!!」
「とんでもないものを私は起こしてしまったようだな…」
ナシャエルが焦りと共に、冷や汗を流す。
「まずい、武器を…!!」
武器を取り出そうとするが、化物はそれより素早く尾をナシャエルの足に巻き付けた。
「!!」
化物に引き寄せられ、顔に拳を食らう。
何発か殴った後、化物はナシャエルの腕を掴んだ。
「ぐあっ!!」
握力だけで腕の骨を砕き、そのまま地面に何度も叩きつける。
地面の跡が数えきれないほど出来た後、化物は壁の方にナシャエルを思い切り振った。
腕が千切れる音がしてナシャエルが飛んでいき、ぶつかった壁が音を立てて崩れる。
化物はさらにその方向へ口から熱線を吐き出した。
唸り声をあげ、化物はナシャエルの腕を放り捨てた。
「慣れない力は暴走する…やはりここを選んで良かったというわけだ」
自分よりも大きな瓦礫を持ち上げ、ナシャエルが砂埃の中から現れた。
再生した腕を黒いジャケットに通し、襟を整える。
角がみるみる伸びていき、左目の模様は三本に増えた。
「とはいえ私にここまでさせるとはな。
正気に戻すには…痛めつけるのが一番はやそうだ」
クロスサスペンダーの中心についたメダルをまっすぐにして、ナシャエルは黒い翼を広げた。