逃走と撤収
ヴラドは他の者と同じように実験体にされたが、その中でも特に強い力に適合した。
故事にある血王の名を名付けられた彼は、かつてナンバーズの原型である精鋭軍の頂点に君臨していた。
その理由は至極単純なものであった。誰も彼の毒血を防げなかったのだ。
彼の血に含まれる毒は、体内に取り込まれると急速に体組織を破壊する。
同時に、他のあらゆる毒を受け付けることは無い。
解毒はその血から特殊な製法によって取り出される血清でしか行えない。
ただし、日光や空気といった所謂外部環境に晒されればものの数秒で無毒化されてしまう。
だからこそ、ヴラドは直接血を送り込む方法を研鑽し続け、力の差が覆ることのないよう努力していた。
だが、その努力は全て無駄となった。
彼らの創造主である"父"は、より強い軍隊を欲していた。。
優れた武器であり、同時に毒に対する優れた防具である毒血の能力を、
超再生や怪力と合わせて汎用化…つまり、全ての被検体に組み込めるようにすることを指示したのだ。
その結果、ヴラドは新しい人員はおろか、今まで自分の下についていた者にさえ勝てなくなってしまった
のだ。
嘲笑され、冷遇され、それでも彼は現在のナンバーズへと留まり続けた。
いつか、再び返り咲くことを信じて。
「ぐっ!」
キリヒトの顔に拳が入り、甲殻がパキパキと音を立てて剥がれ落ちる。
反撃の爪を、皮一枚で避けたヴラドは再び口から血を吹き付けた。
「チッ!またかよ!」
キリヒトは血を避けて後ろに飛び退き、距離をとった。
「お前をぶちのめして拠点に持って帰れば、お前のその力も俺のものになる。
そうなれば俺は再びトップに立てるというわけだ」
息を切らすキリヒトに、ヴラドは額の血を拭ってそう言った。
時間をかければかけるほど、キリヒトの体力は消耗していく。
もはや『喰らう者』の力を維持できなくなるのは時間の問題だった。
だが、ヴラドが少しずつ吐き出す情報を捨てて逃げるという選択肢はキリヒトに無かった。
キリヒトにとって、自身の目的、目の前にある復讐への道筋を離すことは何よりも苦痛だったのだ。
「この…!」
キリヒトは地面を蹴り、一気に距離を詰めた。
心臓を食えば、ヴラドの毒血に翻弄されることも無い。
だが、当然のごとくヴラドもそれを読んでいた。
「おっと、心臓はとらせない」
息を切らすキリヒトの攻撃を、無駄のない動きでヴラドは回避していく。
大ぶりの攻撃をかわされたキリヒトは、その勢いで地面に倒れ込んだ。
さらには甲殻が剥げ落ち、元の人間の姿へと戻ってしまう。
「く…そ…」
「やっと力尽きたか。とんでもない力を出しながら、よくもまあこれだけ動けたもんだ」
ヴラドは倒れたキリヒトの襟首を掴み、顔を近づけた。
「これで、勝ちだな」
キリヒトは目を見開き、瞳が黄色く光る。
「俺のな!」
そう言うと同時に、長い尾が後ろからヴラドの心臓を貫いた。
尾は体を貫通し、そのままキリヒトの口へと心臓を押し込んだ。
「部分変化…できたのか!?」
「"できることに気づいた"んだ。たった今な」
胸から出る血で手袋を外し、口から血を溢れさせながら、
ヴラドは自嘲的な笑みを浮かべた。
「はっ…一瞬の…いや、閃きというやつか」
そう言って、ヴラドは突き刺さった尾を素早く切断した。
「ぐっ!てめ…まだそんな力が!」
キリヒトは立ち上がり、ヴラドに掴みかかろうとするが、ガクンと膝をついた。
尾も再生することなく、甲殻と同じように崩れ落ちる。
「はーっ…はーっ…お互い、満身創痍だな…」
ヴラドは地面を這い、ゆっくりと遠ざかっていく。
「てめ…ここまでやっといて逃げるってのか…!」
「毒血を奪われた時点で俺に勝ち目は無い」
ヴラドは口の血を拭い、懐から小さなボールを取り出した。
ヴラドの目には遠くから近づくルヴィのヘリが映っていた。
今攻撃すれば、キリヒトは殺せる。だが、逃げる余力を失った自分も間違いなく殺されるだろう。
生き延びることのほうが、ヴラドにとってより重要な目標だ。
キリヒトはヴラドの方へと必死に這っている。
「超再生についてまだ聞いてねえんだ、逃がす…か…よ」
「この状況でまだ分からんのか?再生するエネルギーが無くなれば、超再生は機能しなくなる」
ヴラドはボールのダイヤルをカチカチと回している。
「その状態で、粉々にされでもすればもう蘇生は不可能だ」
「おい!それで何をするつもりだ!クソ!てめぇ!」
ヴラドはそんな様子を見てしばらく首をかしげていたが、なにかを理解したかのように笑った。
「面白いヤツだ。見せかけの憤怒、見せかけの意思…一体お前は何のために戦っているんだ?」
「…何だと?」
ヴラドは手を止めて、キリヒトの瞳をまっすぐ見た。
「お前の中は虚無だ。見せかけの怒り、見せかけの殺意。
分かるか?お前はただ目の前にあるものしか見えていない
お前は、実に滑稽だ」
「何を―!」
吠えるキリヒトにヴラドは手を振り、ボールを地面に叩きつけた。
ボールから煙がもくもくとあがり、ヴラドの姿を瞬く間に覆った。
「これは転移装置だ。本来ならお前を連れて帰る用だったんだけどな…。
じゃあな、わざわざ教えてやったんだからせいぜい死ぬなよ」
キリヒトは這って近づくが、煙が消えたところには瓦礫しか残っていなかった。
「う…ぐ…!!くそおーッ!!」
やり場のない怒りが、キリヒトの中で渦巻いていた。
十数分後、キリヒトが倒れ伏している上空にヘリが飛んできた。
開いたドアからはクマが地面を見て、キリヒトを見て探していた。
「あそこだ!ここで止めろ!」
クマがパイロットに指示を出し、ヘリから飛び降りる。
「…なんだ、クマか…ぐっ」
「えらくやられたな。一体何があった?」
ズタボロのキリヒトを肩に担ぎ、ヘリから降りてきた梯子を掴んだ。
「…俺に、兄弟がいたんだよ。そこに死体が二人転がってる」
意外にも、その言葉を聞いた時のクマは冷静だった。
「やはりか」
その言葉にキリヒトは疑いの視線を向ける。
「どういうことだ?何か知ってんのかよ!うぐっ」
「おい、おとなしくしろ」
担がれたままじたばたともがき始めたキリヒトを、クマはヘリの床に放り投げた。
その勢いでヘリはぐらりと揺れた。
「あー、クマ様。投げるのはやめてください」
「すまん」
クマは謝ったあとどっかりと腰を下ろし、キリヒトにいくつかの缶詰を放り投げた。
「食って回復しろ。その間にお前の兄弟についての話をしてやる」
キリヒトは素手で缶詰をこじ開け、中身を流し込みはじめた。
「やはり、と言ったのはある程度推測が立てられていたからだ。
実際のところ、お前と似た能力を持つ者の存在が予測されていただけで、兄弟だとは考えてなかったが
な」
無造作に積まれていく空き缶を見て、クマは続けた。
「ただ…ナシャエルの戦術計画表にはキッチリ"兄弟"と書かれていた。
…お前、3人と戦って1人に逃げられたんじゃないのか?」
流し込む手を止めて、キリヒトはバカにしたように笑った。
「はっ、当てずっぽうにしては鋭いじゃねえか」
「それも計画表に書いてある」
渡された一枚の紙を見て、キリヒトは手に持った空き缶を握りつぶした。
「…何だよ、これ。アイツは未来予知もできるっていうのか!?」
微細な違いはあれど、渡された紙に書かれた内容はほぼ実際の出来事と一致していた。
キリヒトが空き缶を投げると、積まれた他の缶が派手な音を立てた。
「簡単に言えばそうだが…厳密には違う」
クマは腹の縫い目から駒を一つ取り出し、キリヒトに見せた。
「これを知ってるか?」
「やったことはねえけど、S.L.ウォールにもボードゲームはあった。
で…だから何なんだ?」
縫い目から駒を何枚か取り出して、キリヒトの眼の前に並べていく。
「これは二人でやるゲームだ。駒の種類は8種類。
昔、これをナシャエルと遊んだことがあった」
キリヒトはその様子をじっと見ている。
「俺がこれに誘った時、あいつの一言目は『つまらん』だった。
それを聞いてはじめ、ルールが分からないのかと思った。
だから、実際に対戦をして教えようとしたんだが…」
クマは、駒を並べ終わり手を止めた。
「勝てなかった。一度もな」
「お前が弱かっただけじゃねえの?認めたくねえけど、あいつ頭は良さそうだし」
クマは首を横に振った。
「違う。俺はそのあと『つまらん』の理由を聞いてみたんだ。答えは
『パターン数が少なすぎる』だった」
「は?」
意味がわからない、という風にキリヒトは首を傾げた。
「そのままの意味だ。全部の展開、手の善し悪しが全部読めてしまうらしい。
だから、最善手だけを選び続けて簡単に勝てるんだと」
「…コマの種類はえーと、9種類だから…」
頭を抱えるキリヒトに、クマがルールを書いた紙を見せた。
「このゲームは相手のとった駒を使える。最新のコンピュータでも全パターン試行は無理だ。
それを一瞬で読み切れるだけの頭をあいつは持っている。
この能力を戦術に生かせば…そういった予測も可能になるってことだ」
「…どうなってんだ?」
しばらく考えていたが、キリヒトははっとクマの方を見た。
「じゃあこれからの計画も書いてあるのか!?見せろよ!」
「それはできん。というより無理だ」
クマは封筒を取り出し、キリヒトに渡した。
見えない力でガッチリと封がされており、キリヒトの力でも開けることはできなかった。
「『先に読まれて、計画外の動きをとられると面倒だから』だそうだ。
これは勝手な予測だが、きっとあいつには最善手がずっと先まで見え続けてるんだろう。
…今回の、過労によるダウンも含めてな」
「善い手には思えねえけどなあ」
渋い顔をするキリヒトに、クマが新しい紙を渡した。
「さて、次は、アグ中部に広がる大森林への潜入任務だ。
…だが、これの目的が書いてない…ナシャエルめ、どういうつもりだ?」
顔の下に手を当て、クマが考え込んでいると、ヘリのパイロットがクマの方を振り返った。
「クマ様、本国から緊急入電です!」
クマはジェスチャーでキリヒトにも繋ぐよう指示した。
「どうした?何が起こった」
「ルヴィ王が…コラン様が、誘拐されました!」




