第6話 ゆうべはお楽しみでしたね with 人外娘
ベッドの上。俺は正座して薄い木の間仕切り板を凝視していた。間仕切り板の向こう側で起こっていることを1つも漏らさず、目と耳を使って正確に読みとっておきたかったからだ。
アムスが持ってきてくれた湯浴み桶は2人で入るには少し小さかったので、リィに先に使ってもらうことにしたのだ。あとこれはリィが
「ふ、ふ、2人で入ってあんなことやこんなことをする予定なのですか!あ、あと私の身体も見てはいけませんので!」と拒否したからでもあるのだが。家族になるというのに、なんだその裸のつきあいも嫌だという態度は。
そういう訳でいまは正座でリィのお風呂上がりをひたすら待っている状態である。
薄い間仕切り板の向こうでは薄く湯気が上っている。今ちょうど小さくて高い水音がした。おそらくリィが腕を上げて湯桶に腕をかけてもたれかかったのだろう。
「あ、あの…ヌルクさん?もうおやすみになられましたか?」
おそらく俺があまりにも静かにしているのでふと心配になったであろうリィがおずおずと声をかける。ここは面白いのでしばらく黙っておこう。
俺が静かにしていることを確認したかのような間があって、それからすぅ、と息を吸い込む音がした。
ん?あまりにも小さ過ぎてよく聞き取れないが、これは何かの歌のようだ。リズムの良い歌だ。狩か何かの歌か?
「狩った刈った勝った
狩人が狩った刈った勝った
かつては父を母を祖母を祖父をかった仇
家族を騙る仇 仇は形を遺す
狩人は仇を囲った 片割れも囲って
囲んで囲んで最後は鎌
狩人は狩った刈った勝った」
どうやらこの繰り返しらしい。随分と物騒な歌詞だな。いや、日本でも「あんたがたどころさ」みたいな子供でも知ってる童謡が結構物騒な内容だったりするから、お互い様だな。
歌に聞き入っていると、ざぱっと少し大きめの水音に続いて、ヒタヒタと濡れた足が床を踏む気配がした。おっとこれは寝たふりだけでもしておいてやらんとな。俺は音を立てないようにベッドに横たわった。
しばらくするとリィがベッドに近づいてくる気配がした。俺の横にゆっくりとベッドに上がってくる。そして俺の顔をそっと覗いたのだろう、瞼の上からでも光度が少し下がったのがわかる。彼女の身体から仄かに湯気の熱と湿り気が伝わってきた。う、うーん、俺の下半身がそろそろ限界。起きていい?起きて良いよね???
「ヌルクさん…起きてましたね」
俺が声をかけるより早く、リィは俺に話しかけた。しょうがない。大方瞼でもピクピクしているところを見られたのだろう。目を開ける。
「あはは…いや、ごめん」
「い、いえ、その構いません。ヌルクさんは初めての戦闘もありましたし、今日は早めに寝ましょうか」
「えっ」
「まだ眠くないのですか?」
「いや。あの、その、眠くないわけじゃないんだけどさ、リィと俺は家族になったってわけじゃん?だったら、こう、家族サービスというか、その…」
「ヌルクさんのいた世界では家族に奉仕するのが習わしだったのですか?」
オイオイオイオイ!?
…と思ったら、リィは俺の目の前でうつ伏せに転がった。
「家族に奉仕する、というなら、少し私の身体をみてもらえませんか。少し腰のところに違和感を感じるのです」
これは『夜のお医者さんごっこ』をやるやつでは!?!?!!!??俺の正直な器官がすでに歓喜の声を上げている。俺は出てきた生唾を飲み込み、主に股間の平静を装いながら
「い、いいよ。どうぞ、横になって。これでも前の世界では人を治す仕事に就いていたんだ」
まだインターンだったけどな。
「ヌルクさんはその、聖魔術師だったのですか?」
ベッドから少しくぐもりがちな声が聞こえる。
「いや、魔術師じゃなかったよ。医者っていうんだけど、うーん、なんていうのかな。こっちの世界の人間の身体の構造、機能、病気についてしっかりと調べて、調べられた事実に基づいて対策を考えたり、一緒に病気を治す手助けをしたり、たまーに新しい病気があったりすると、他の人に発表したりするの」
そう言いながら、俺はリィのお尻付近に近づき、尻尾の生えているところに手を近づけた。尻尾は少し太めの延べ棒ほどの太さであまり長くはない。せいぜい50cm程度が良いところだろう。けど尻尾に骨や血が通っているのだとしたら結構実は重たいんじゃないかな。
「そうなのですか。こちらの聖魔術師とは少し異なるようですね」
「というと?」
話の続きを促す。
「聖魔術師は、ヒト族…昼間にお話したヒューム属、長耳族、小人族のみが使用もしくは対象となる魔法です。魔神より生まれた私達魔族は使用ができませんし、対象となった魔族の一部はダメージを受けることさえあります。
また、聖魔術は基本的に【術者にかかっている聖神の加護や奇蹟を分け与える】ことを目的としています。なので術者の受けている加護の階級によってできることが限られるのです」
ふーん。聖魔術師は加護の中間業者という立場なのか。というかこっちはなんだか属人性が高い方法を使ってるんだなあ。
「聖魔術師にかかってる加護って例えばどんなのがあるの?」
「うーんと、そうですね…私は魔族なので、あまり詳しくはないのですが、傷を継続的に治療する加護や、物理攻撃に対する耐性を与える加護なんかがあるようです」
「ふーん、なるほどなぁ。ところでリィ、腰に違和感があるって言ってたけど、この尻尾のあたりか?」
俺のカンがもし正しければ、今日リィは騎乗したゴブリンに襲われた俺を助ける時、尻尾を使ってバランスを取っていた。おそらくリィの今日の腰の違和感は尻尾でバランスを取った際に急な動作で尻尾付近の筋肉に異常が生じたのが原因だとみている。
「はい、そうです。その辺りを揉んだりしていただけると」
「はいよ」
俺が尻尾の付け根、人間でいうと尾骶骨より5cm程度高い場所を、触ったその時、あの例の無機質な声が聞こえてきた。
《個体の力線を探知しました。《魔医学の心得》及び《力線の観察者》のスキルにより、力線の診察及び治療が行えます》
!?
いきなり出てきてびっくりするんだよ…
「どうされましたか?」
ビクッとした気配を感じたのか、リィが聞いてくる。
「いや、こっちの話。今からスキル使うからまってね」
「私は患者第1号なのですね。光栄です」
「じゃあ、診察するよ」
俺が軽く力線の診察をお願いします、と念じてみると
《スキルを使用し、力線の診察及び治療を行います》
無機質な声が聞こえたあと、リィの身体に無数の線と色が見えるようになった。
なんだこれは…
宇宙の瞬く星々でも見てるよう気分にすらなる、凄まじい情報量に、俺は目眩がする気持ちだった。
あれだ。これは情報量をフィルターしておかないと訳がわからないやつだ。
もう一度尻尾の付け根に触れる。
《情報のフィルターを受け付けました。現在表示可能な情報はサーモグラフィー、力線マップ、マナ濃度マップです。その他の検査情報は、個別に指定してください》
何だか魔術と医学がごちゃごちゃになった説明が帰ってきた。
とりあえず1番まだ見慣れたサーモグラフィー(とはいっても俺は現場でサーモグラフィー使うところにあまり立ち会ってないが)を見ようか。
《サーモグラフィー展開します》
リィの身体にサーモグラフィーが浮かんだ。
全体的に少し体温が高いようにみえる。これはさっきまで湯浴みしていたからだろう。
恐らく今日腰を捻ったであろう箇所が炎症を起こしたのか、少し熱を持っている。しかし…腰細いなぁ…
「今日はちょっとだけ腰を捻ったみたいだね。多分湿布か何かを貼れば治るとは思うけど、ある?」
「湿布か…もしかしたらまだ少し残っていたかもしれない。そのポーチを取ってくれないか」
俺が手渡すと、リィがポーチから湿布を取り出す。
「あった。これだ。すまないが、貼ってもらえないだろうか?」
サーモグラフィーで僅かに赤くなっているところに湿布を貼る。湿布は匂いを嗅いだところ日本で使っていた湿布と大差ないように感じた。消炎剤ぽい匂いがする。
「とりあえず今日はこれで応急処置にしよう。明日もできればゆっくりしてほしい。今日からさらに痛くてなったら言うんだよ?」
「はい。今日はありがとうございます」
視界を切り替えてマナ濃度マップと力線マップを見てみた。
マナ濃度マップは、胸部と下腹部にマナ濃度が集中しているようだ。力線はなんというか…見慣れた神経図とは少し様子が似ていた。全身に巡らされた線である、という意味においては。しかし、これもマナ濃度マップのように、下腹部と胸部に太い線が集中していた。また、リィの場合は尻尾と耳があるので、そこにも力線が走っていた。
「リィ、ごめん。ちょっと治療とは直接関係ないんだけどさ、身体触ってもいいかな?」
「え!?え…え、まあ、家族ですし、大丈夫…です」
見るのはダメで触るのはOKなのかよ。
「リィ、自分の心臓のある場所に手を置いて?」
「え、は、はい」
うつ伏せの姿勢から横向きの姿勢にかわり、リィが服の上から自分の胸に手をあてる。
俺の手をリィの小さい手に代わってあてる。平熱は高い方らしい。身体がすこし暖かく、小さいが張りのある乳房の感触が俺を迎え入れた。マナ濃度マップを少し詳細にみると、心臓にマナ濃度が集中している。
「じゃあちょっと手を動かすよ」
手を身体の外側に向けてスッと動かしてみた。すると
「んあんっ」
リィが押し殺した声と共にビクッとした。
「どうしたの?」
わかってはいるが、ちょっと意地悪してすっとぼけた質問をしてみた。もしこれでマナ濃度の上昇があるとすれば、あそこしかない。
「え、え、えっと…お腹の下の方が、その、ソワソワするといいますか…」
ビンゴだった。下腹部のマナ濃度が1番濃くなったのは子宮の位置と同じだった。
力線マップの詳細は恐らく各魔族によって違うだろうが、マナ濃度マップの概要は各魔族によって共通項になると俺は考えた。即ち、心臓付近と生殖器の近くがマナ濃度が濃いのだ。
そこまで考えて、俺はふとわずかに首筋に濃いマナ濃度を認めた。視点を通常視点に切り替えて首筋をもう一度見ると、リィの首筋に小さな黒い穴が2つ並んで空いている。そしてその周りに入れ墨のようにぐるりと囲んだ線があった。
「リィ、これ何?」
俺は触るか触らないかのそーっとさでリィの首筋を指差した。
「っひゃん!!!?!」
くすぐったかったのだろう、リィは上ずった悲鳴をあげた。首筋が赤くなっていく。
「…あ、ああ、それはですね、私の部族の印です。これが刻まれている限り、私は部族の一員なのです」
「というと?」
「猫人族は50程度の部族が存在するのですが、私の部族、ラヴェ族は森で狩りをすることで生活をしている部族です。この首筋の穴は、部族の一員と認められる儀式の際につけられるもの。この印ある限り、私が帰れる場所がある、ということを示しています」
「ふーん、なるほどなぁ。この首筋の穴って他の部族にもあるの?」
「それは私でもわかりません。部族によって決まりは様々で、信条や生活様式なども全く違います。私たちラヴェ族は部族の絆を重んじ、森で狩りをするのが主ですが、中には【美しくあること】を至上命題として、日々自身を厳しく律しながら暮らしている部族もいるんですよ。そういう部族は街で踊り子や歌い手など、他人を魅せることで生活をしているものが多いようです」
アイドルみたいなことしているのか。こっちの魔族も結構色々あるんだな。
「さ、さてヌルクさん、今日はもう遅いですし、そろそろおやすみしましょうか」
リィは何を照れ隠ししているのか、あの穴のある首筋をさすりながら部屋の明かり取りの灯を消した。
「そうだな。明日は村に聞き込みとかしておきたいし、ゴブリンの対策も立てておきたい。明日は長いししっかり休もう。おやすみ」
「おやすみ、ヌルクさん」
そうしてリィと俺は寝ることにした。
サーモグラフィーでこっそり見たリィはさっきよりさらに体温が上がっているようだった。