【検証】
「飲み過ぎが原因かと……」
医者が虚ろに鬱ぎ込む私に告げた。その言葉には『王のくせに何をやっているんだ……』という副音声が付いているような気がして、目もろくに合わせられない。
ここは国立の病院の診察室。私は酒の飲み過ぎで倒れ、二日間ほど病院にいるらしい。やっと意識が戻り、改めて医師からの診断を受けているところだ。
どこの魔王が、酒の席の失態で病院に運ばれるというのだろうか……
「本当に申し訳なく思う」
心の中で謝った。別に眼前の医者に謝罪するつもりではなかったのだが、国王として国や民に申し訳が立たない。いや、医者も国民の一人なのだから、詫びることは少しも悪くないのかもしれない。私は一体何をしているんだろう。
この急性の中毒症状の原因は、先日訪問したモンスター工場で過度に飲酒してしまったことが原因である。そのせいで病院に搬送され、翌日は愚か翌々日まで頭痛にめまい、吐き気といった最悪の状態となっている。
まさかこんなことになろうとは……本来、酒が強いわけではない。しかし、弱いわけではないとも過信していた。余程、酒が入ってしまったのであろう。どれほど飲んだか飲まされたかは覚えていない。
――酒の飲み過ぎは駄目だ――
後悔の念が余計に気分を悪くさせていく。
吐き気が特に激しく、便所への往復がただただ忙しかった。寝床へ戻った瞬間にまた嗚咽に襲われる。症状に効く高価な薬を飲んでもすぐに戻してしまう。いくらもったいなく思ってもそれを止められない。魔族の王といえども、生理現象には為す術もなかった。
吐きすぎて胃や喉が痛みに襲われる。吐くべき物が胃に無くなってくると、嘔吐の動作だけで終わることが続いた。体が勝手に絞りだそうとするのだが、臓器が一所懸命に動くだけで喉がちぎれそうな感覚になる。口から内臓が出てくるのではないかと錯覚するほどなのだ。きりきりとした痛みに、便所に伏してもだえ苦しむ。
このような状態であるから、食事はおろか水分すらまともに取ることが出来ていない。食欲がないのだ。食料を摂取しないので動力を確保できず、まったくと言っていいほど力が入らない。歩くのもやっとである。
食欲と同様に記憶も無い。工場でのことは断片的にしか思い出せず、記憶を辿ろうとすると頭痛がそれを妨げるので、途中で諦めてしまう。
『とにかく早く治さねば』と思い、寝床に伏せるのであったが、頭痛、吐き気、そして自分への苛つきがもどかしく眠りにつくことは出来ない。考えても苛々するばかりなので、無心で時間の経過を祈る。
こういう時はどうしようもならない。
それから数時間が経過――その間に何度も嘔吐し何度か眠って、少しずつ体は楽になってきた。体調が回復の兆しを見せると記憶も少しずつ蘇ってくる。
ぼんやりとした記憶によれば、モンスター工場の者達に生産性向上を約束させた上で、報酬として与える“物”が彼らの食指を動かしたようだ。それが何であったかは思い出せないが、その報酬に歓喜したからこそ阿呆のような宴が始まってしまい、散々飲まされた。その犠牲として今、私は病に伏している。
自身としてはかなりの代償を払ったわけだが、結果として労働意欲向上に拍車が掛かってくれたことは確かで、大いに期待して良いと思う。
それだけが成果なのかもしれない。私自身は絶望的な状況を突きつけられたわけだったが、希望の光はある。
しかし、当初の目的である“査察”は全くできていない。私は工場へ再訪問することにした――
大臣に段取りをさせようとすると、『ま、まだ、ご安静になさった方が……』と、私の顔を見るなり制止しようとした。
「全然、回復していないようですし、万全を期して再び伺わなければ十分な成果を得ることは難しいかと……」
心配する大臣の説得には時間がかかったが、なんとか首を縦に振らせることに成功した。こういう時に限って常識的かつ、ぐうの音も出ない正論をかざしてくるのは、作為的のようでもある。普段は非常識でいつも私を冷やかすかのごとく対応ばかりのくせに。
いつか問いたださねばならないだろう。「常に私の妨害を考えているだろ?」と。
そんな邪魔な家臣のことはさておき、準備を急いだ。今回は一人で十分。鎧も必要ない。重たい鎧を装備している私を目にしなかっただけで馬もかすかに喜んでいるかに見えた。
馬にまたがると、前回と比べてかなり軽いらしく負荷が無いと見た。体調不良である私の歩を進めてくれる相棒としては有り難い。
工場は馬を走らせて一時間ほど要する僻地に存在し、道路は整備されているわけではない。いわゆる悪路というやつだ。
体調が万全でない今、全速力とはほど遠いゆえ、少々余分に時間を要する。その間、思考を巡らせることにした。
モンスターの生産について――
モンスターは物質や生物を基本として生成するのだが、物質の場合は魔力によって命を吹き込むことで誕生する。一方、生物を基本とする場合は、魔力で強化するだけで済むが、その生物を入手してくる時間や手間が必要である。
物から生成したモンスターは命を吹き込んだ“核”が破壊されるまで活動を続けるが、その頭脳は生物を元としたモンスターよりも劣る。基本的には、元になる物や生物に由来するところが大きい。
魔物の生成を考えている内にある事を思いついた。うまくいけば、これまでにない強力なモンスターを作ることに成功するかも知れない。
ちなみに、魔物ならびにモンスターといった造られた物以外を魔族と呼ぶ。人間のように交配し、集団や組織を形成しているのが主な特徴であり、魔力を自分で練ることが可能である。
そうこう思案している内に到着はしたが、工場を目にしたと同時に忌々しい飲み過ぎの記憶もぶり返した。少しずつ回復はしていたはずなのだが、理不尽な吐き気が襲う。
たまらなくなりすぐ馬を降りようとするも、足かけがうまく外れず引っかかって頭から落ちてしまった。
嗚咽と戦いながら、敷地へと進入。今回は迎えはない。
「おえー」
「うっ」
「うぷっ」
心的外傷が蘇る。工場で馬鹿騒ぎする愚者どもの高笑い、病院での忌まわしい闘病……
頭を抱え、口を押さえ、千鳥足でヨタヨタと進む――
このような姿を見られずに済むのだから、迎えがないことが不幸中の幸いとでも言おうか。守衛所までなんとか歩き、その隅で心身ともに落ち着かせることに時間を割いた。
動悸や息切れが止んで守衛に声をかけると、突然の王の来訪に驚いていた。人差し指を立てる動作で制止させ、工場長を呼び出させる。数分後、軽妙な足音とともに現れた。
「もしかして……また宴ですか!?」
もういい。出会い頭に何を言ってくれるのだろうか。こちらは、お前らのせいで生死を彷徨うような苦しみを味わわされたというのに。
殺意が沸いてきたが、理性が勝った。私の個人的感情よりも仕事が大事である。
私の魔力を以てすれば、非戦闘員である工場長を一瞬で消し飛ばすことなど造作も無い。
当然、そのように圧力をかけて査察を容認させた。酒の瓶がまだ転がる通路を内部へと進んでいく。整理整頓を励行させなければならないだろう。今後の課題だ。
場内至るところに亀裂や破損も多い。この工場は三百年も前から稼働を続けており、かなり老朽化している。
建物の増築は高層を繰り返されることで解決されており、下層へと陽の光は届かない。至る所で多くの暗がりが形成されており、昼間と言えど重苦しい雰囲気を醸している。案内が無ければ来た道を戻ることは容易ではないだろう。
視界に入る配管や側溝からは蒸気が漏れており、化学薬品の匂いが辺りに充満している。
カンカンと足音のみが響く鉄鋼の通路を、延々と最奥へと進んだ。一際明るく妖しい光が漏れる部屋へと入る。
この部屋は施設内で最も古く、最も巨大なモンスター生成機が設置してある場所。それゆえに工場内で一番大きな部屋でもある。
五階を優に超える円柱状の透明な容器――これこそが魔物を培養するための入れ物であり、周囲にはおびただしいほどの機械が据えてある。配管や導線が至る所に延びているため、部屋面積の割に足場は少ない。器には魔力が多大に込められた液体が沸騰したように煮え立っている。
怪しい碧色をしたその流動体は、生命の起源を象徴しているかのようだ。無論、これまで多くの魔物を生んできた。私はこの色を見るととても落ち着く。例えるならば、母なる存在を感じるような感覚とでも言おうか。さっきまでの不快な気持ちも和らいだ。
今回はこの装置にこそ最大の用がある。早速、同伴している工場長にそのことを伝えた。
「そ、それは何と!今までにない試みですな!」
この施設の長であると同時に熟練の科学者である彼も胸が高鳴っているようであった。それを見て私も自信が確信に変わる。
モンスターの生成には、既存の生物か物質を使用するということは前述の通りだが、私の案というものは“同期生成”である。鋼鉄と野生の狼を同時に投入すると、鋼鉄の狼の魔物が出来上がるのではないだろうか。
魔物に属性を持たせることに成功すれば、魔王軍は一層強力になる。規模こそ先代には及ばないまでも、精鋭部隊を形成し確実に人間領土を蹂躙していけば良い。
発想を行動に移すべく開発を担う者達をすぐに寄越し、実験を始めた。
手始めに、実験用モルモットと草花を合成――
まず、工場の敷地に生えていた草を培養装置に入れる。次に、モルモットを投入。そして、レバーを引く。
すると、碧色の液体が一層煮え、泡で被験物が見えなくなった。
ゴボゴボ……
容器に負荷がかかっているようで、壁面が軋むような音がしている。やはり、今試みは不可能なことなのであろうか。皆、神妙な面持ちで固唾を飲んで待つ。
沸騰にも似た現象がやがて落ち着いたが、煙と蒸気が視界を遮る。
「チューチュー!」
蒸気がが晴れるとそこには、月桂冠を被った愛くるしいネズミがいた。尻尾の先には黄色く小さな花が咲いている。
「か、可愛い!!」
皆、そのネズミに夢中である。今回は魔力を少ししか取り入れさせなかったため、凶悪さは皆無で、少しも魔物という雰囲気は無い。実験用のモルモットとは思えない愛嬌が緊張感を解きほぐした。
何はともあれ、成功である。
一つ実績ができると、欲が出てしまうのが魔族である。次は、物体と物体を同時に投入するとどうなるか検証したくなった。
相反するような性質を持つ物が好ましい。皆で考えた結果、硬い物と軟らかい物を合成することになった。
剣とゴムを実験対象にしてみる――
出来上がったモンスターは大剣が意思を持ったかのようであり、しかも伸びる。確かに両方の物質の特性を有しているではないか。伸縮可能な剣が弱いわけがない。モンスターでありながら、装備品としての可能性を示唆している。
実に革新的である。魔族の文明がこれから花を開こうとしている瞬間に立ち会っているのだ。
今回の実験の最後として、相反する物質二つと生物を投入することにした。剣と炎とモルモットである。今回は魔力を多く注ぎ、凶悪で強い魔物を生み出す。
まず、剣と炎。
ここで魔力レバーを最大にする。
そして、最後にモルモットを投入せんとしたその瞬間――
付近を蠢いていた害虫が『カサカサ』と培養装置に入っていってしまった……