084 ティッシュ に ついて
ティッシュは、私にとって割と重要な存在である。というのは、鼻をかむ時には必ずティッシュを使うし(そこら辺の紙やトイレットペーパーを使う事は無い)、何か汚れがある時は気軽に拭けるからである。使い捨てることができるってのは衛生的だ。
そりゃあ、布巾のように何度も使うことはエコだろうとは思うけれど、ティッシュに関しては、繰り返し使おうとは思わない。水で洗おうとしてもふやけるだけだし、また使おうと思ってどこかに置いていたのだとしたら、菌が繁殖していそうだからだ。どこかの国では、ティッシュを繰り返し使うそうだが、私には真似できない。これも潔癖症と呼べるのだろうか。
日常的に使用はしていたけれど、ティッシュが身近なものだと思えるようになったのは、小学生の頃だったと思う。それは、ある習慣、いや、ルールが原因だ。私の小学校では、ポケットにハンカチとティッシュを携帯しなければならなかった。それが身だしなみの一つだった。特に逆らう気も無かったので、私は二つのポッケにそれらを詰め込んでいた。まぁ、たまに忘れたりしていたが…。別に反骨精神とかじゃない。たんに忘れていただけ。
しかし、その忘れた時に限ってティッシュが必要になったりする。もしくは残りが少なくなった時とかね。いつのことだったか、どういう状況だったかは忘れてしまったが、鼻血を出したことがあった。小学生なのだから突然鼻血を出したりもするさ。けどね、問題は出した後。すぐ突っ込めるようなティッシュがあれば、簡単な話だった。しかし、その時、ポケットにはティッシュが無かったんだな、これが。結局、そのまま壊れた蛇口のように垂れ流しにすることはできなかったので、近くの人に借りた気がする。鼻血はしばらくしてから止まったよ。その時、ティッシュの重要性を身にしみて感じたね。
そうして、何度も何度もポケットに滑り込ませているうちに、変な感じだが、愛着というかそういったものを得てしまった。だが、誤解してほしくないのは、ティッシュそのものに抱いた感情ではないということだ。確かに、便利で使いやすくて身近なものではあるけれど、愛を感じたわけではない。感じたとすれば、それはティッシュカバーの方だ。布製のもので表面に猫の絵があった(気がする)。可愛らしい猫は、殺風景な透明ビニルを覆い隠し、ティッシュに彩を与えてくれた。ちょっとした小細工だが、そのまま使うよりかは愛着が湧くというものだろう?
中には、ポケットティッシュではなく、箱ティッシュを持ち込んでくるツワモノもいたっけ。あれなら大抵のことには対処できるだろうと思っていた。机の引き出しに箱ティッシュがある生活に心惹かれるものがあったが、ちょっと目立ちそうだったので持ち込みはしなかった。結構幅を取るものでもあるし。安心感は、大いにあるだろうが…。でも、目立つ箱よりポケットレベルの方がマシな感じもする。小さくても安心感はしっかりある。
小学生の時から、そんな風にポケットに忍ばせる生活をしていたから、中高でも同じようにしていた。ふとした瞬間に必要となるので、私の中でティッシュが心強い存在となったことは言うまでもないだろう。今までどれほどのティッシュを使ってきたのか想像もつかない。それほど大量のティッシュを使ってきたのである。言い訳かもしれないが、手が届く距離にあると、ついつい使ってしまうのだ。
日本のティッシュ消費量はかなり多いと聞くが、身近な位置にあることも原因ではないだろうか。繰り返し使う布巾の方がエコだし、経済的だろう。だが、手元に無くて使用する機会が少ないのかもしれない。もしくは使用する習慣が無いのかも。ティッシュの安心感を忘れられないでいるのも理由だろうか。何だかんだ言って便利だから、ティッシュは。




