075 目薬 に ついて
「二階から目薬」ということわざがある。物事が思うように上手くいかず、もどかしいさまを表現したものだ。実際、二階から階下の人に目薬を点そうとすれば、とても困難なことだと分かるだろう。もどかしいというよりは、何故そんなことをするのだと思わず問い詰めたくなる。
実際の状況を想像させることが先ではなく、ことわざに込める意味の方が先だから、このようなことが起こるのだろう。でないと、わざわざ二階から目薬を点そうだなんて、普通思いませんわ。近くに寄って点す方がずっと簡単でしょう? つまりは「もどかしさを解消したいなら状況を変えるべし」と私たちに教えてくれているのだと考えるが、いかがだろうか。
ことわざはさておき、「目薬」と言う言葉について。目薬という言葉を分解すると、目の薬となるだろうが、そのまんまだな。しかし、そのまんまだからこそ伝わりやすい。だが、私の偏ったイメージとして、薬というとどうしても飲み下すイメージが存在する。勿論、飲む物だけでなく身体に塗りつける物も薬の中にはあるわけだが、これまで過ごしてきた中で飲むタイプが一番多いせいだろうか。何度も服用するうちに強いイメージとして定着したのかもしれない。あくまで「私の場合は」だが…。
日本最初の洋式目薬は、慶応3年(1867)に岸田吟香が 製造、発売した「精錡水」というものらしい。硫酸亜鉛(Zink sulfate)が主成分とのこと。Zinkを中国の当て字にすると精錡となることが名前の由来みたい。硫酸亜鉛は、現在でも眼科用に収斂作用薬として、結膜炎、眼瞼炎、角膜潰瘍などに使用されているそうな…。
ちなみ、江戸時代の目薬は、生薬が主であり、ペースト状のものを目のふちに塗るか、水に溶いて使うものだったらしいっす。
今でこそ気軽に使うことのできる目薬だけれど、昔はちょっとした手間が必要だったのだね。ケースの蓋を取り、点し口を眼球の上に持っていき、ぽたりと落とすだけで良いのだから。手も汚れないし、衛生的だ。現在は恵まれていると言って良いかもしれない。まぁしかし、そんなに簡単になっても、目に点すことが恐いという人も中にはいるらしい。異物が入ってくるイメージが強すぎるせいなのか?
どちらかといえば、目のふちに塗る方がマシだと感じるかもしれん。それなら目の中に入ってこないし。目が悪い人がコンタクトをつけるのを躊躇うのに似ていると思う。私も目が悪くて眼鏡をかけるのだが、コンタクトはまだ一度も使ったことが無い。ちょっと恐いから。何だか痛そうで、ね。つける手間もあるし、清潔に保たないといけないしで面倒というのも理由の一つだ。それなら眼鏡をかけたり外したりの方が楽でいいなと思う。だから私は眼鏡のみを使っている。
そして、眼鏡をつけていても目が疲れてしまうことがある。そんな時に目薬の出番である。疲れ目に効くという目薬は、やはり在ってくれて非常に助かる存在だ。疲れを和らげてくれるというのは、重要だと思う。耐え続けるのはしんどいのだ。ので、私は、目薬に感謝している。無くても構わないという人はいるだろうが、一度で良いので目薬のある生活をすることを勧めておく。多分だが、少しは改善されるだろう。人には個人差というものがあるので断言はできないが、気分転換にでも使用してみてはどうだろう。
色んなタイプの目薬が存在するが、私は、個人的には少し刺激があるものが好きだ。強すぎる刺激は痛みに変わるので、注意が必要。だからマイルドな奴か少し刺激がある奴が良い(パッケージの商品説明欄にその辺載っているので、購入の際は参考にしていただきたい)。
どうして少し刺激がある方が好みなのか考えてみると、目薬が効いていると思い込みたいせいなのかもしれないと思った。目薬自体、すぐさま変化を感じ取れるものではないと思う。しばし時間が経った後に効いていると実感できる。けれど、それでは本当に効いているのかどうか分からないという人もいるかもしれない。そんな時に刺激が少しでもあれば、「効いてる効いてる」などと思い込みで不安を誤魔化すことができる。恐らくそんな感じで刺激を好んでいるのだろうと思った。同様に感じる人はどれくらいいるのだろう。
目薬の好みも人それぞれであるが、自分に合ったものを使っていただきたい。私は医者でも目薬販売業者の回し者でもないが、不具合というのは些細なすれ違いから起こるものである。自身の好みでは刺激が強い方が良いのに、体にとっては有害となり得る可能性だってあるのだから。今、目薬を使用しているという人は、一度見直してみてはどうだろうか。これから購入しようという人は、どうか自身に合った目薬を。
参考サイト
・くすり百話 >第23話 日本最初の洋式目薬と逸話
http://www.sagayaku.or.jp/kusuri100w/kusuri100_14.htm




