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私的徒然草  作者: 半信半疑
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063 無垢 に ついて

 無垢。漢字では「垢が無い」と書く。何故「垢」なのか。勝手な想像を語ることが許されるなら、人間が生きていく過程で培われるものの全てが、垢のような汚れであるということなのかもしれない。言葉も、表情も、体の動かし方も、全ては後付けの外部装置で、核にあたる記憶媒体にはもともと記録されておらず、それが経験という行動によって齎されてしまうのだとしたら。記憶媒体の表面にゆっくりとこびりついていった物たちは、まるで垢のようだとは思わないか? 


 経験をデータとして捉えたなら、記憶媒体にこびりつくものではなく書き込まれるものではないか、という指摘はごもっともだが、人は機械ではなく、忘れてしまう生き物である。忘れることのできる生き物である。機械なら、一度書き込まれたことは、消去しようと思わない限り消え去る事は無いだろう。


 しかし、人は忘れる生き物であるので、記憶したものも勝手に消えてしまう。その様が垢のようにぽろぽろと剥がれ落ちるものとそっくりで、だからこびりつくものだと思ったのだ。


 だが、よくよく考えると、垢というのは古い角質のことだから、書き込まれたものの成れの果てという考えの方が合っている気がする。まぁ、受動的にこびりつかれたのか、意識的に書き込んだのか、それは定かではないが。経験というものは無意識に得られるものも含むのだとすると、その時は気づかなくても、何らかの情報は記憶媒体に記録されているのかもしれない。


 一旦、「無垢」から離れて「むく」について考えてみよう。平仮名にしてみただけだが、こうするとより想像の幅が広がる気がしてこないかい? 漢字だと一定の方向に誘導されてしまうからかな。それはさておき、「むく」の話。「む」は有る無しの「無」を自然と連想させる。何かが無い状態。不足してる状態。欠けている状態? いや、不足や欠けるといったものは少し行き過ぎた表現かもしれない。ただ、「無い」という意味だけにとどめた方が良い。


 そうすると、「く」は何か。「垢」の漢字は、呉音の発音で「ク」となっていた。他に「く」が当てはまるものは何だろうか。私が真っ先に思いついたのは、「苦」という漢字だった。関連した言葉で、「苦行」「苦汁」「苦労」など思い浮かばれる。大人になることは、苦しいことという風に見ることもできる。勿論、これは一部の視点からしか「大人」というものを見ていないので、実際はそうでないかもしれない。


 けれど、「苦」無しに大人になることは果たして可能なのか。「苦」を通してしか得られないもの、「苦」の先にしか用意されていないものがあるはず。「楽」だけでは不完全であり、それを補う「苦」が必要なのだろう。大人になるとは穢れを受けることに違いない。受けるだけでなく、受け入れるまでいくと、何らかの誤作動が起こりそうなものだが。


 穢れを受ける、その場合、感じる色は黒に近い。逆に「無垢」のイメージ色は白だ。それでいうと「苦」も黒色をしていて、「無苦」も白色になるのだろうか。人の場合、まっさらで白い状態を無垢だと判断するのは、どうなのだろう。赤ん坊とか、幼児は無垢のイメージに当てはまる。何も知らないから。児童はどうか。小学校に上がりたてならば、まぁいける気がする。中学年も疑わしいが概ね無垢だろう。しかし、高学年の段階では、無垢とは呼べないと思う。大人ではないにしろ、大体のことは知っているはず。


 確かに経験としては知らないのかもしれないが、知識としては知っていることも多かろう。子どもは無垢、そういうイメージを大人は持ちがちだが、何の事は無い、子どもであっても、むしろ子どもだからこそ、無垢ではいられないのだ。人の世で生きるというのは難しいな。

 

 人と生きるのならば、無垢というのは成立させることが難しい。それに、人間社会は無垢を尊びはしない。それは無知につながってしまうから。無知は知識の欠けた状態という認識が強い(気がする)。「俺は自分が無知であることを知っている」などと言おうものなら、人間社会は「それは自慢するようなことではない」と答えるだろう。無知の知は、思想的には面白い試みだが、社会の中で扱うには面倒なテーマである。だからなんだ、そう言わざるを得ない。知らないことは喜ばれない。自身の認知状況を伝えたところで、他者は何も変わらないからだ。変わらないのなら、喜びもない。


 結局のところ、人は無垢であり続けることはできはしない。無垢であることはできるかもしれないが、それを認識するには無垢であってはならない。いや、ならないというか、無垢だと認識できないと思う。そして、そのことさえ知らないのだ。だって、無垢だから。いつも、知るのは全てが過ぎ去った後である。


参考文献

・『新漢語林』 鎌田正/米山寅太郎 2010年4月1日初版第7刷 大修館書店



 記憶、記録されたものによって、私たち人が形成されているのだとしたら、記憶媒体を持つ人形との違いは何だろう。他の命を食らうこと?

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