029 本 の 熟成現象 に ついて
それ どこかで きいたこと あるぞ
「本の熟成現象」と題したけれども、「こいつは何を言っているんだ」状態だろうから、まずこれについて話しておこう。
私が考える「本の熟成現象」とは、「買ってみたはいいものの読まずに放置し、しばらく経ってから読むと面白く感じる現象」のことだ。放置した期間を熟成期間と称し、まるでワインのように(あるいはチーズのように)見立てているところから、「本の熟成現象」と私は呼んでいる。
まぁ、呼んでいるといってもさっき考えたことなのだが…。皆も好きに呼ぶといい。「発酵現象」とか「円熟現象」とか「完熟現象」とか。狭義を考えなければ、呼び方なんていくらでも作り出せるはずだ。その結果誤解を生んだら、目も当てられないわけだけれども。
何故、このような現象が起きるのか、私は考えた。考えて、それらしい解答を得たと思ったのでここに書いておくことにする。考えたと言っても、他の人の意見を参考にしたところもあるので、どこかで聞いたようなものになるかもしれない。その時は感想欄にでも「SDKA」と打ち込んでもらいたい。「SDKA」が何かって? ただの省略さ。漫画『スケットダンス』を読んだことがある人は何となく予想がつきそうだな。
さて、それでは私の考えを書いていこう。
何故、このような現象が起きるのか。それは………、「本が読み手の受け入れ態勢に左右されるから」だ。受け入れ態勢とは、簡単に言えばタイミングのこと。購入した段階で第一関門は突破しているのだけれど、読むには至らないっていうのは、第二関門の「受け入れ態勢」が調っていないからではないかと思う。この受け入れ態勢が調うと、タイミングが合った状態になるのだ。
タイミングが合った状態になれば、本も受け入れやすくなる。たとえどんな内容だったとしても、大らかな気持ちで受け流すことができるかもしれない。しかし、読んでいる途中で不快な思いをする可能性は十分あるので、その本の全部を肯定できるかと言われれば、否定する。何事も「全肯定」は難しい。もしできるというのなら、視野狭窄に陥っている可能性大。注意されたし。
では、この「受け入れ態勢」に必要なものを紹介しよう。
それは、「共通項目」である。他にもありそうな気がするが、ひとまずこの一つを挙げておく。「共通項目」は「共感」と密接な関係にある。人にとって自分に全く関係ないことは、結構スルーしてしまうものだ。どうでもいいと思っている情報ほど見逃してしまうだろう(慣れてしまった情報を見逃してしまうのとはまた違う状況である)。
自分に少しでも関係している事柄と、全く関係のない事柄を比較して考えてみてほしい。そうだな、「美味しい食事」と「事象の数理的処理」だったら、どちらに興味を持つだろうか。人によっては後者の「事象の数理的処理」を選択するかもしれないが、大抵は前者の「美味しい食事」の方を選択するのではないだろうか。どうせなら今晩は美味しいものを食べたいという欲求が、その選択をさせるのかもしれない。
そのような興味を持っている時、手元に『物事を数学で考える』という本と『美味しい食卓~全国食べ歩き日記~』という本があるとする。両方とも以前購入したものだ。
どちらを選んで読もうとするかは、明白でしょう?
けれども、『物事を数字で考える』という本を買ったのもまた事実。その時には興味があったはずなんだ。でないと、関係のないことだから、スルーしてしまうに違いない。
私思うに、人間は全ての可能性を持っているのではないだろうか。あくまで”可能性”だ。それが芽生えるかどうかは分からない。死ぬまで開花しないのかもしれない。けれど、”可能性”だけはある。人間には”可能性”がある。
つまり、「受け入れ態勢」も「共通項目」も、そして「共感」も、人間の可能性が開花した状態なんじゃないだろうか。偶然そうなったのかもしれないし、何かの働きかけでそうなったのかもしれない。あるいは、自分が変わろうとした結果でそうなったのかもしれない。どのような理由であっても、結果は変わらない(心中は変わるかもしれないけれど)。
結局、「本の熟成期間」は「可能性の開花促進期間」だったようだ。そう考えると、全く読めない本というのはこの世に無いのかもしれないな。開花しなくてもいい可能性はあるかもしれないけれど、さ。
文章を、読み物を、本を、物語を読む際は、こんなことを考えてみると、普段とは違った発見があるかもしれない。
それも結局は可能性次第だがな。




