018 小説家 と もの書き に ついて
小説家ともの書き、二つの呼び方がある。しかし、もの書きの方がいささか意味範囲が広い気がする。小説家は物語限定のような感じ。エッセイや随筆、詩や短歌を書く人はもの書きなのだろうか。
しかし、小説家ももの書きのうちに入りそうだし…。となると、小説家は優遇されている気さえする。あぁでも、詩を書く人は詩人、短歌などを詠む人は歌人と言ったりするから、言うほどの優遇ではないかもしれないな。
そもそも、「もの書き」と言う言葉は曖昧さを含んでいる。「もの」って何だ、「もの」って。この、読む者にある程度解釈を委ねる感じは嫌いじゃないけれど、何だかもやもやする。何かを書く者、それ自体を指すのが「もの書き」ならば、こんなにふわっとした解釈でもいいのかしらん、と肯定しながらも不安になる。
(このふわっとした感じから脱却するために「小説家」や「詩人」、「歌人」などのそれぞれを象徴する言葉ができたのかもしれない。いっしょくたにされるのが我慢ならなかったのだろうか)
もの書きは、資格が必要という感じはしない。明確な証を何一つ必要とせず、「書く」精神、それのみがあればもの書きと言って差し支えない気がする。
小説家には、資格が必要だ。ある種の狂気的な資格が。それは、地位とも名声とも言えるものだ。社会で認められるという資格が必要だ。
先ほど、「狂気的な資格」と書いたが、私の偽らざる本心である。社会の中で書くようになると、必要のない檻に囚われる。求められるもの、立場、商業的打算など、自然と這い寄ってきてついには放り込まれることになる。それはまさに狂気的であり凶器的だ。悲劇だ。書きたくても書けない悲劇だ。それを踏まえて良い作品を作ればいい、などとは決して言わないでほしい。特に、あなたが書き手、もの書きであるのならばなおさら。
資格の有無に関わらず、それぞれ自称することはできるだろう(と私は勝手に思っている)。しかし、抵抗感があるのはどちらか。小説家の方には抵抗がないだろうか?
二つの差異が気になって調べた。
辞書によると、
小説家は、「小説を書くことを仕事としている人」。
もの書きは、「もとを辿ると書記役の意で、文筆(に従事する人)。生きるための手段に過ぎないという気持ちを込めて自嘲気味に用いられることがある」。
そう『新明解国語辞典』には書かれていた。
※ちなみに「もの書き」は「物書き」とあったが、漢字に違和感があったので、あえて平仮名で「もの」と表記している。
やはり、小説家は仕事なのだ。仕事にできるほど社会に認められなければならないということだ。自称することはできると書いたけれども、自身の虚栄よりも辞書を優先させるならば、自称することなどできないな。
もの書きの方は、何だか鬱屈とした感じが漂っている。語句の説明にある「従事」と言う言葉は「させられている」というイメージが強く、続く「自嘲気味」という言葉もマイナスだ。今のように謙遜のような意味合いは無いのか。ちょっと困惑。
私が使うとしたら「もの書き」の方か。小説を書くことを仕事にはしていないし、好き勝手に詩やエッセイを書いているから。でも、先程の意味合いならば「もの書き」を使うのにも抵抗があるな。一体どう名乗ればいいんだ。
ここは間をとって「書家」とでも…。いや、これは書道家の違った呼び方か。「書記家」だと、書記の意味が強い。「文筆家」? 筆の字を使うのは何だか嫌。「書き手」は唯一という感じが弱い。「文書家」は文書がなぁ…、公的な感じでなぁ…。
いろいろ考えはすれども、これといったものが出ない。もう、「もの書き」で良い気がしてきた「家」という字を使わず、すっきりした感じはするから、これで良い。これにしよう。さっきまでの時間が無駄になった気もするが、気にするな。よくあることだ。
「もの」の部分が平仮名であることは外せない。辞書にも漢字で書かれていたが、漢字だと物質のイメージがあるので、より広義的に捉えられる(気がする)平仮名の「もの」を、私は推薦する(どこに?)。
日本語のみで語ってきたが、外国語もまぜて考えればもっと違った呼び方があるかもしれん。しかし、日本独自の呼び方で呼ばれたい気もする。
英語の「writer」はしっくりこない。フランス語の「écrivain」は発音を聞いたが、凄い違和感だ。
そうして調べていると、「もの書き」よりも短くて、カッコいいものを発見してしまった。
「文士」、だ。
「小説などを書くのを職業とする人。(職業)作家」とあったけれども、実際使ってる人をあまり見ないな。使われているところも見ない。「小説家」や「作家」という言葉が世に広まり、淘汰された可能性がある。カッコいいのにね。「職業とする人」と書かれてはいるが、耳になじみがないので、職業という風に聞こえないし思えない。
何だか気に入ったので、これからは「文士」を名乗ろうかな。




