013 純粋 と 不純 に ついて
書いている途中、これは何が言いたいのっていう例えがあるかも。
というかある。
「私はただ純粋に、君たちに楽しんでもらおうと思っただけなんだ!」
この言葉から察せられるのは、「僕」の行動の結果が他の人にとって思わしくなかった、ということだろうか。何が良いか悪いか、なんて人によって違うから、こういうすれ違い(あるいは悲劇)が起こってしまう。ただ、この場合における「純粋」の疑わしさは異常。
そもそも自分で自分の事(性格なり行動なり、色々)を「純粋」とか言う人はちょっと信用ならない。「純粋」という言葉、それ自体は純粋だ。穢れ無きものって感じが滲み出ている。言葉が「純粋」なのに何故「不純」になってしまうのか。
それはやはり、使う者である人間が不純だからではないか?
「いつも不純だ」とまでは言わない。けれど、「純粋」という言葉を使用する時の状況、気持ちを客観的に見ると「純粋」には程遠い気がするのです。いくら言葉を重ねたとて、疑惑が拭いきれないのです。まぁしかし、信じる心と共に疑う心を持つ人間にとって不思議なことではないのでしょうな。あくまで推測だけれど。
最初の一文は私が考えたもので、意味なんて無いですよ。
っていう私の言葉を信じる人はいるでしょうか?
それとも私の生活や性格や精神状態を推測して、私本人が心の底に秘めている気持ちが出ていると言うのでしょうか?
正解がどうとかは重要ではありません。今問題にしているのは、私の文章を読んだ、あなた方の心境です。
推測憶測を交えずに最初の文を読むと、あなた方に楽しんでもらおうとした熱意を感じる。
「純粋」という言葉に引っかかると本当に純粋なのかと思ってしまう。
「純粋」と「思っただけ」に注目すると、これは嘘をついている味だぜ、と言いたくなってしまう。
しかし、この考察はあまり意味が無いのかも。あなた方は限られた情報の中で判断しなければならないから。文字情報のみなので、より少ない情報での判断となる。そこにどれだけの事実があるのか分からない状態で真実を探すことになる。
まるで宝の地図を見ているみたいだ。
考える力(人それを妄想力ともいう)というのは厄介で、ありもしないことまで脳内で補完してしまうのです。完全にしようとする行為が逆に不完全を生み出すなんて、皮肉ですね。でも、だからこそ人間はその力を使い、今日まで生き残ってきたのでしょう。信じることだけでなく、疑うことを覚えて生きてきたのでしょう。
私が好きな『東京喰種』14巻で、篠原特等が鈴屋二等に対して次のように言っています。
『―天使みたいなのが 空から落っこちてきて この世界で 生きるとしたら
悪い事も たくさん してしまうと 思うんだよ
純粋すぎて どんな色にでも 染まって しまうんじゃ ないかってな…』
※東京喰種14巻 空白は改行。
天使という穢れ無き者、純粋な者と思える存在であっても、一度地上に降りれば土を踏まずにはいられない。土は汚れを生み、天使の体は汚れていく。
土は色んなものを喩えているけれど、私が比喩の対象にしたのは「不純」。嘘、欺瞞、詐欺、疑惑、そういった不純。
誰かと触れあうと意図せず生まれてしまう不純たちはしかし、私たち人間が生み出さざるを得なかったものたちなんじゃないかと思う。
自身と異なる世界がある他人へ、全幅の信頼を持つことは難しい。必ずといって良いほど、信頼に足る人物なのかと疑う。その疑う心を不純と呼ぶのなら、不純は私たちから切り離せないものになってしまっている。今や大コミュニケーション時代。コミュ力を持たない者に社会は冷たい。それが嫌だと叫ぶのなら、人間が作り上げた社会で生きることは難しいだろう。私たちは社会という鎖につながれた獣だ。
でも、獣は獣なりに純粋と不純を持ち合わせている。反するものを持ち合わせている。それは、生きていく上で必要な物だと分かっているからかもしれない。
「純粋と不純」から言葉と人間の関係性を探ってみたけれど、不確かなままだな。まあ、ふんわりとしているくらいが、丁度いいかもしれない。事実は時に残酷だ…。
トラウマを思い出したのでここで書くのをやめる。スマソ。




