011 「言うまでもない」 に ついて
「言うまでもない」というのは、「言う必要がない」という意味だと私は思う(そのまんまだ)。それで完成されている、もしくは整っているのだから、わざわざ付け加える必要はないのだろう。
だがしかし、世の中には必要であっても省略したり必要でないのに付け加えたりするため、中々油断できない。が、それには様々な理由や背景があるのかもしれない。一方的に決めつけるのは好きではないのでね。今回は、どのような例があるのか、何故省略・追加されるのか、そういった点について考えていこうと思う。
まずは、「言うまでもない」について辞書を引く。やはり、私の解釈自体が間違っている可能性もある。共通認識は重要だ。
以下、辞書の「言うまでもない」の解説。
◯いうまでもない【言うまでもない】
わざわざ言う必要もないくらい、自明の事だ。
「―(当然の)事だが、他言は無用だ」
※出典:『新明解国語辞典』第六版第十八刷 山田忠雄(主幹) 2009年11月20日 三省堂
辞書では、言う必要のない「当然のこと」と、例を用いて示されている。大体似たようなことだったので、辞書を引くこと自体が「するまでもないこと」だったようだ。しかし、調べて分かったこともある。
それは、「言うまでもない」と言う言葉が、「相手が理解した状態であること」を前提にしている点だ。
「自分は分かっている、相手も分かっている、ならば言う必要はないな。当然のことだし」。そういうことが起こっているのだ。
しかしこれは、誤解や語釈を生みだしたりもするのではないか?
いや、どんな時でもその可能性があるという意見は置いておいて。
例一として、『三月のライオン』より、順慶さんの言葉を引用させてもらう。
心に刺さる言葉だ。
『「信じれば夢は叶う」 それは多分 本当だ
但し 一文が抜けている 「信じて努力を続ければ夢は叶う」―これが 正解だ
さらに言えば
信じて「他のどのライバルよりも1時間長く
毎日 努力を続ければ
ある程度迄の夢は、かなりの確率で」
叶う―だ』
※出典:『三月のライオン』7巻 羽海野チカ 2012年3月30日 白泉社
この言葉に続く一文は、「キャッチコピーというものは 短い方がいい ―でも これは あまりにも はしょり過ぎだと思う」である(本当はこの後も良い言葉が続くが引用が長すぎるので割愛する)。これはキャッチコピーの性質というか、特徴の問題なのでここで挙げるべきではないのかもしれない。しかし、暗黙のうちに見過ごしてきたことの一つかもしれないと思われたので例として挙げることにした。
強い言葉は人を自然と惹きつける。「信じれば」ときて、「夢は叶う」である。この場合強いのは後者(「夢は叶う」)だ。前者の働きは、後者を実現可能だと私たちに思わしめることだろう。短い文だが印象に残るというキャッチコピーの特徴がよくでている。
しかし、世の真実というか、現実を見つめるとそうはいかない。知ってしまうと思わずたじろいで身を引いてしまうかもしれない。幼い頃ならばなおさらのこと(かも)。そうならない為にあえて短くしたのかもしれないな、と私なんかは思う。ほら、大人にとっては「言わなくても」真にある言葉は気づきそうなものだろう?
つまり、そこ。言葉を投げかける対象によって捉え方が変わってしまうのは、「前提」に気づくかどうかの差が生まれるせいだ。相手が理解している前提で話すというのはこわいものだなと思った。「言うまでもない」ことの内に潜む闇だな、うん。
例二として、私が文を作った。平凡な文だ。過度な期待はしないでもらいたい。
とある南家の三女さんも言っているではないか。期待しすぎると後が辛くなるぞ。心やすらかに読みたまえよ。
『私が林檎を好きであることは言うまでもないことだ。』
※作者:半信半疑/潟元/早乙女黒百合(現在使用しているペンネーム。今後も増えるかもしれない)
はい、ごく平凡な一文ですね。事実私は林檎を好いているが、自己紹介でも言っていないし、これが私との初邂逅という人には「知らねぇーよ」といって良いほどの事実だ。さていったい誰に向けて書いたんだろうね(いや、誰に向けて書いたわけでもないが)。
もしも、この文を知らない人々に宛てて書いたのだとしたら、それはもう駄目だ。相手が自分を知っていること前提で書いているからだ。「言うまでもない」などと使うべきではない。まぁ、滑稽な自分を表現するのなら許容できないでもないが。
例が少ないけれど今回のまとめ。
言葉が省略・追加されるのは、『作者が書く時に前提とする部分と、読み手である読者が前提としている部分に差が生じる』からなのではないか。
一応書いておくけれど、誤字脱字の類は「言うまでもなく」、事例としては外していますからね。
では、今回はこのへんで失礼。
他に例を思いついた方は感想などください。
お待ちしています。




