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五千字以内で恋を。(恋愛短編集)

失恋の理由

作者: 大森サンジ

 僕らはいつも逃げるように恋をしている。

 そして。

 もう何度目かもわからない失恋を繰り返しているんだ。



「事件ですか、事故ですか」


「事故といえば事故ですけど……事件です、かね」


 淡々とした質問に曖昧な答えを返せば具体的な説明を求められる。

 目の前で倒れる彼女を見ながら、僕らにとっては一大事件でも世間一般で見たら事故なのだろうとぽんやり思った。


「知り合いがバナナの皮で滑って転んで起き上がってこないんです」


 馬鹿にされるだろうかという不安と、電話先の人が思わず吹き出したりしないだろうかという期待がないまぜになる。

 いまどきバナナの皮で転ぶとか古すぎるだろ!とか、コントかよ!とか、そんな反応があればいい。


「意識はありますか」


「ありません」


 救急車が手配される。終話を告げる電子音の繰り返しに、さっきまで笑っていた彼女がもう二度と目覚めないのではないかということをいまさらながら思った。


 彼女と知り合ったのは五年前、オープンしたてのケーキ屋で5人以上来店限定パフェを食べる会だった。

 ドタキャンしたやつの穴埋めに呼ばれた彼女は「フードファイター上等!」なんてやたら暑苦しく自己紹介をして、生クリームの山に何人もが遭難しそうになったときも元気に山を削っていった。

 すごいなおまえ、と言えば、食べるために生きてるからね、なんてからからと笑って、彼女の女っぽくないところに安心感さえ覚えたっけか。

 それから、男1人じゃ入りづらい店へ行く時への相方として呼んでみたり、流行りの恋愛映画についてきてもらったりして、気づけば二人で出かけることが多くなっていた。

 そんなある日。


「こーんなに可愛い女の子がいるのに手を出さないとか男じゃないよね? 草食男子っていうより草だよね、草。光合成で自給自足生活でしょ」


 僕の部屋であられもないかっこうで漫画を読みながら彼女はそう言って、というかその漫画はベッドの下に隠してたやつだ。いつの間に見つけたんだ。


「ほー、その可愛い女の子さんは手を出されたいわけだ」


「出したいの?」


「やぶさかではない」


「ほう。じゃあチューでもしてみます?」


「あほか」


 いつも通りのくだらない冗談。

 彼女もきっとそのつもりだった、いや、そのつもりだと思っていた。

 一瞬で真剣そうな顔に変わる彼女を見るまでは。


「なんで私がここにいるかわかってる?」


 ソファでだらけていた彼女が上体を起こす。


「漫画を読みたいから」


「そうそう……ってそれだけじゃないことくらいわかってるでしょう」


 食べ散らかしたお菓子のゴミの中にいるくせに彼女の鋭い目と口元は清潔感を体現したようで。


「おばあちゃんが事故にあったとき、一緒に大福を食べてくれたの、とても嬉しかったから」


 泣きそうな顔で大福を食べていたときと同じように、大きなものを押し殺すような顔で、睨むような、何かと戦っているような顔で彼女は言い放つ。


「いつのまにか好きになってた。一緒にいたいって思った」


 立ち上がった彼女は「だから」と続ける。


「私と……きゃぁあっ?!」


 ほんの数分前に彼女が食べたバナナの皮がローテーブルから落ちていたのは知っていた。

 あと少ししたら拾おうとも思っていた。

 まさか、それに足を取られて仰向けに倒れる人間がいるなんて。

 まさか、ローテーブルの角に頭を打ち付けることになるなんて。

 まさか、そのまま床に倒れ伏すことになるなんて。

 予想だにしなかったんだ。


「おいおい笑わせんなよー」


 そんな軽い気持ちで声をかけて。

 答えがないことに違和感をおぼえて。


「おい……おい、ふざけてんのか? おい、ちょ」


 顔を軽く手のひらでタップタップ。


「おい、起きろよ」


 反応のない彼女に、脳しんとうは動かしちゃいけないなんていうテレビの雑学が浮かぶ。

 すぐに119番通報を、という赤いテロップまで鮮明に。


「119119……電話は隣の部屋……いや、スマホでいいじゃん、ベッドの…えっと…何番だっけ」


 混乱する頭は支離滅裂で、固定電話へ向かおうとして足を止めたり視線がさまよったりするくせに、それでもどこか自分は冷静なんだと思っていた。

 僕が諦めればいいのだと思った。

 気づけば憎からず思っていた彼女に好きだと言うこともなく、ただ友達として接することに徹すれば彼女はこれまで通り元気にいられると思った。

 彼女のことは好きでもなんでもない、ただの親しい友達。ただの友達。ただの、ただの……知り合い。

 指が何度も4や2に触れて、やっと11と入れたのに6や0を押してしまってやり直して、コール音が聞こえたときはどこか達成感さえあって。


「事件ですか、事故ですか」


 電話の先の声がやけに冷たく聞こえる。

 でもそれに従えばきっと、彼女は死ぬことはないだろう。

 伝えることもなく消える思いは、予想外の成績を取ってしまった悔しさや可愛らしく近づいては「でも私カレシいるし」とのたまう女子への不信感を蘇らせる。

 忘れていたはずのぐちゃぐちゃした感情が押し寄せ、気づけば床に座り込んでいた。


「事件です」


 もう、苦しくなったときにくだらない会話に付き合ってもらうことはないだろう。

 あそこのケーキが美味しかったから誘ってみるか、なんて思うことも、しない。

 だから、神様。

 僕はもう近づかないから、彼女を助けてください。


 救急車のサイレンが遠くに聞こえる。

 やたら間延びしたそれは苛立ちを覚えさせて、そのくせ、それに縋らざるをえない自分が嫌になって。


「さよなら」


 気づけば口からこぼれ落ちた言葉に体が冷える。

 何かを失った実感。

 叫びだしたくなって、止まったサイレンを合図に玄関へと駆け出した。


 ああ、そうだ。

 僕は。僕らは。

 ほんのささいなことで。自分の意思で。勝手な妄想で。

 もう何度目かもわからない失恋を繰り返しているんだ。



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