憑人
月夜に照らされた芸術品のような美しさを、私は見たのかもしれない。
見た目は11歳ほどであろうか。腰まではある丁寧に切り揃えられた艶やかな黒髪、静御前の赤い着物を纏い、儚げな金木犀の色の眼をした少女が次々に人々を朱へと染め上げていく様に、ただ魅せられていた。
2018年 東京
それは数週間前に遡る。
「あおいさ~ん!起きてくださ~い!きっともう皆様お集まりですよ~!!」
正午を過ぎ、街へ出る学生や労働者が昼の休息を終え、帰宅までの時間を持て余している頃。
私がお世話になっているこの家の主、朔羅 葬を起こすため、階下から私の持てるいっぱいの声を出し覚醒を促す。
「うるさぁい、起きるからぁ...起きるけどぉ...起きるぅ...」
2階から帰ってくる返事は間延びした、やる気が微塵も感じられない声。
「あーおーいさ~ん!!今日は憑議の日なんですから、さっさと起きてくださらないと困りますよ~!!」
階段をこぎみの良い音を鳴らしながら登りつつ、私は怒鳴る。
「もぉ~、分かったから!起きるから!!起きてるから!!!」
掃除の行き届いた汚れ一つ無い白の扉から、寝起きの乱れた髪に乱れた服のままの女性が飛び出してくる。
「おはようございます、葬さん!」
「おはよう、澪...」
自室へ戻り、藍色の髪を一つにまとめ、紫色の切れ長の眼を少しでも柔らかく見せようとする努力なのか、黒縁の伊達眼鏡を掛けつつ、ワイシャツと黒のスカートに着替える主人を私は手伝う。
「で、勢い勇んで起こしに来ましたけど、憑議って何をするんですか?」
「そうか、澪はまだ憑議に参加したことがないんだったな。」
「ええ、葬さん以外の憑人の方とは一度もお会いしたことがありませんし...」
着替えを終え、別館の会議室へと向かいながら寝起き前とは見違えた格好をした美女へと不安を漏らす。
「大丈夫だよ、澪。憑人は皆家族みたいなものだからね。自己紹介の挨拶でも考えておきなさい。」
娘を見るような暖かな微笑みを見せながら葬は答える。
「うぅ、緊張します...」
葬の微笑みで不安が和らいだという照れを隠すかのように澪は返す。
豪邸、世間一般にはそう呼ばれるであろうこの家はとても広い。剣術を鍛えるための道場や大きな池のある和庭、そして会議室。
「さぁ、着いたぞ。それじゃあ、新たな家族に会いに行こうか。」
樫の木で作られた、人が一度に五人は入れそうな一際大きな扉を葬が開く。
「おぉ、やっとロリコンが来たか〜、もう暇すぎて死にそうだったよ」
扉を開いた途端、中に居た中学生ほどの白髪碧眼の少年がそう叫ぶ。
「うるさいリーゼ、その低身長からさらに縮ませるぞ。」
ロリコンと罵られた葬がそう返すと、
リーゼは澪に気付いたのかまたしても叫ぶ。
「おいおい葬ぃ!ついには生きた女の子まで連れてきちゃったの!?刑務所まで差し入れに行くのなんて僕はごめんだよ!?」
「人を誘拐犯みたいに言うな、この子は新しい憑人だよ。ほら澪、私の疑いを晴らすために自己紹介。」
澪を見ながら葬は言う。
「はっ、はい!!えっと...初めまして!朔羅 澪 と申します!葬さんに憑人としての才能を見出されて~、名前を頂いて、それから~、色々あって〜、日本へ来て〜、あぅ、えっと、その〜」
緊張で目を回し、舌を回しながら喋る澪を見かねて、葬が助け舟を出す。
「この子は私の後継者として育てると決めた、私と同じ『少女憑』だ。この憑議で憑人について詳しく教えようと思っている。皆、仲良くしてやってくれ。」
「よっ、よろしくお願いします!!」
感謝の意と安心を得るため、葬の手を握りながら澪は言う。
「この子が憑人...?まだ10歳ほどではないか、実用可能になるまで何年かかると思っている。」
黒い髪を清潔に整え、スーツを着こなす、いかにもサラリーマン風の男が冷たく返す。
椅子の背もたれに全体重をかけ、遊びながらリーゼは言う。
「襲先輩は反対か〜。でも歳を言うなら僕もまだ13だけど?僕は葬がそうしたいなら、なんでもいいと思うな~、懐芽はどう思う?」
リーゼに懐芽と呼ばれたメイド服を着たピンク色の髪を一つに束ねて肩にかけた女性は柔らかな声で答える。
「うちはええと思うよ~、こんな可愛い女の子が新しく仲間になってくれるなら、妹が出来たみたいでうちも嬉しいし〜。リーゼくんと澪ちゃん、は~、可愛い弟と妹の面倒を見れるんならうち幸せや〜。」
「可愛いって言うな!カッコイイと言え!!」
可愛いと言われることが嫌なのか、リーゼは懐芽に反論する。
「はいはい、とりあえず、この子の面倒と責任は私、朔羅 葬が全て持つ、異論は聞きません。じゃあ、皆も自己紹介。」
「はぁ...いつも葬は強引に物事を決める。まぁ、責任をすべてお前が持つと言うなら俺はそれで構わんが...俺は朱凰 襲だ。憑人とは何かぐらいは知っているか?」
襲に問われた澪は答える。
「はい、憑人は、『未練を残して死した魂をその身に宿し、宿したものの姿、声、記憶を持つことが出来る者』ですよね?」
「そうだ、そしてその憑人の特性は各個人で違う。俺は『獣憑 』人間以外の動物を憑かせられる。」
「動物ですか!!犬さんや猫さんになれるんですか!?」
動物と聞き、目の色を変えて食いつく澪に気圧されながら襲は答える。
「あ、あぁ。お前、動物好きなのか...」
「はい!私、猫が大好きなんです!今度猫さんになってください!」
「やめといた方がいいよ~、襲先輩の声で喋る猫とか怖いだけだよ。」
軽いショックを受けながら襲は言う。
「おいリーゼ、俺は傷つきやすいんだぞ...」
「そんな!どんな声でも猫さんは猫さんですよ!えっと、リーゼくん...でしたっけ?」
「うん!僕はリーゼ・ファンデルワールス、少年の魂を憑かせられる『少年憑』だよ!澪とは同い年くらいかな?仲良くしてね~。」
「はい!よろしくお願いします!リーゼって変わった名前だね?」
懐芽が口を出す
「リーゼくんは新興国イリアル出身の子やで〜。可愛い顔しとるやろ~?」
「だーかーらー!可愛いじゃなくてカッコイイって言えよ懐芽~!」
「はいはい、カッコイイカッコイイ〜。澪ちゃん、うちは幡無 懐芽って言います〜。様々なことや者に従事していた人間を憑かせられる『従者憑』です〜。困ったことがあったら何でも言ってな〜。」
懐芽の方を向き、澪は挨拶をする。
「懐芽さん!よろしくお願いします!優しいお姉ちゃんが出来たって感じで嬉しいです!」
「ほんまに~?お姉ちゃんって呼んでもええからな〜。でも葬ちゃんも優しいやろ〜?」
「そうですね、だらしない所があって総合的に見るとマイナスですけど...」
「おい澪、この完璧な私がだらしないと?」
葬が即座に反論する。
「はい、だらしないです。」
「だらしないな。」
「だらしない。」
「だらしないな〜。」
襲、リーゼ、懐芽が澪に続く。
「お前ら...今世紀最大の裏切りをされた気分だ... まぁ、いいが。ところで、他の者達はどうした?」
溜息を一つつきながら襲が答える。
「あいつらは俺達と違って自由人だからな。根はいい奴らなんだが、いかんせん協調性という物が無い。」
続いて懐芽が答える。
「というわけで〜、みんな今頃はバカンスを楽しんでるんやないかな~?」
「はぁ...なるほどな、まぁ想像の範囲内だが。あいつらへの紹介はまた次の機会にするか。」
呆れた顔をしつつ葬は仕切り直す。
「では、『憑議』を始めよう。」