5秒ボタン
その箱に入っていたのは5秒ボタン、というものだった
その名の通り、押すと5秒だけ時間が戻る
ただし、5秒間戻るのはたったひとりだけで、そのひとりはボタンを押す私が頭に思い浮かべた人物だけだった
具体的な活用方法がわからなかったので、とりあえず喫茶店の中から道行く人を1人決め、押してみた
するとその人はその場から姿を消し、数メートル後から歩きながら姿を表した
それはとても異様な光景だった
街がパニックになるかと思ったが、特に騒ぎが起きることはなかった
誰もあの人のことを見ていなかったのだろうか
都会とはそんなものだろうか
そう考えながら、今度はカップルのうちの男性に決め、ボタンを押した
歩きながら姿を消し、数メートル後ろに現れたその男性は、靴紐を結んでいた
そして立ち上がり、女性の方へ駆け寄っていった
なるほど、どうやら自分以外の人には5秒戻ったことによる差分は、なんらかの形でつじつまが合って見えるのだな
それから何度か試し、大体の機能は把握できた
しかし、5秒である
有益な使い方はわからなかった
またぼんやりと外を見ていた
きれいな女性がいたので、なんとなく目で追っていた
突然建物の角から現れた車に、その女性ははねられてしまった
驚いた私はとっさに5秒ボタンを押した
跳ね飛ばされた女性の体は消え、建物の角の少し手前に現れる
へこんでいた車のボンネットもなにごともなかったようになった
走り去る車、歩いている女性
私はしばし体の緊張が解けなかった
こんな使い方があったとは
もしかしたらこれが自分の役割なのかもしれない
このボタンの意味なのかもしれない
それから私は毎日この喫茶店の窓際の席から、外を見ている
人が車にはねられることなどそうそうないが、出会い頭に人と人がぶつかることなどはよくある
ほんの少しタイミングをずらすことで、何事も起こらなくなる
無意味ないさかいなどがなくなるのだ
私がこのボタンを押すことで、この街に平和が訪れているのだ
私は使命感に満ちていた
今日も喫茶店に来ている
窓の外に上司の姿が見えた
いつも偉そうに振る舞っている大嫌いな上司だ
思わず目をそらした
そのすぐ後ろでは工事をしていた
見上げると大きな窓ガラスが落ちてきている
かなり高いビルなので、あと10秒もしないうちに落ちるだろう
私の中の悪魔がささやいた
うまく行けばあの上司が下敷きになるのでは?
もう考えている時間はない
「10.9.8.」
私は目を閉じた
「7.6.」
どんなに嫌いな人間とは言え、死んでいく姿を見るのは忍びない
「5.4.3.2.」
しかし待てよ、このボタンはこんなことをするためにあるわけではない
「1.」
私は何をしようとしているのか、そうだ、私を5秒戻してくれ
「0.」
「5.4.3.2.」
しかし待てよ、このボタンはこんなことをするためにあるわけではない
「1.」
私は何をしようとしているのか、そうだ、私を5秒戻してくれ
「0.」
「5.4.3.2.」