つばごんの家
少年は通学の途中、路地の地表で何かが動くのを見ました。
『キーッ』
少年は自転車を止めてその動く物に近づきます。そこにはツバメの雛がいました。ふるふると震えています。怖いのでしょうか? それとも寒いのでしょうか?
「おや。可哀そうに。巣から落ちちゃったのかい? 」
少年はそっと雛を抱えて持ち上げました。少年は上を見ますがそこにはツバメの壊れた巣がありました。周りを見ると黒い羽が二枚落ちています。どうやらツバメの巣はカラスに攻撃されて壊れてしまったようでした。カラスは案外獰猛で他の鳥の巣を襲い卵や雛を食べてしまう事があるのです。
「なんだ。お前は一人ぼっちになっちゃったのか。」
少年は手の平の中で震える雛に向かって優しく語りかけました。
学校に行くことをやめて学生服の内側にそっと雛を入れた少年はなるべく揺れないように、静かに自転車を走らせて家に帰りました。
懐からそっと引き出された雛はやっぱり「ふるふる」と震えています。確かに今日は五月にしては涼しいですが寒いほどではありません。
「お前は羽もまだ生え揃っていないから寒いのか? 」
そう思った少年は押し入れから電機アンカを取り出しました。一番弱い温度にしましたが、まだ熱いような気がしました。そこで少年はタオルを持って来てアンカの上に置きます。
その上にそっと雛を置いてやりました。するとしばらくしたら雛の震えはおさまっていたのです。
「やっぱり寒かったんだな。」
少年は満足そうに肯いて、愛おしそうに雛を眺めました。
さあ、それから少年は本棚をあちこち探し始めました。
何を探しているのでしょうか。
「あったあった。これこれ。」
少年は一冊の本を取りだしたのです。「野鳥百科」という図鑑の様な本でした。きっと少年がもっと小さい頃に読んでいたのでしょう。表紙はぼろぼろで、日に焼けて黄色く変色しています。
早速「ツバメ」の事が載っているページを見つけて開きました。
「やっぱり餌は生きた虫か。よし待っていろよ。今、捕まえて来てやるからな。」
少年は家を飛び出し虫を探します。でも昆虫網を少年は持っていませんでした。近くの林に行って見ます。そこでカブト虫を見つけました。
「これは大きすぎるなあ。もっと小さな虫じゃないとだめだな。」
懸命に探しますが雛に丁度いい大きさの虫が見つかりません。少年は汗をかきました。その汗に一匹のハエが止まったのです。とっさに手を出しました。手の中でぶんぶんとハエの翅の音がします。
「やった! 捕まえたぞ! 」
少年は急いで家に帰るとハエをピンセットでつまみ雛に近づけます。
でも雛はもそもそと動くだけで餌に見向きもしません。
雛にとって餌は親ツバメがくれる物でした。少年がくれた餌を食べる事を知らないのです。このまま餌を食べないと雛は死んでしまいます。
「怖くないから。ちょっと痛いかもしれないけど我慢しろよ。」
少年は雛のくちばしを手で無理やり開いてハエを放り込みました。こういうシーンを何かのTVで見たのを思い出したのです。もっともそのTVではツバメではなくフクロウの雛だったのですが。
餌を口の中に放り込まれた雛はこくんとハエを飲み込みました。
「やった! でも一匹じゃ足りないなあ。もっと捕ってくるからな。」
また少年は餌を探しに行きます。餌探しはやはり苦労しましたが、クモの巣に引っ掛かったハエを一匹捕まえました。ハエはまだ生きています。
こうして雛が来た日はハエを二匹だけ食べさせました。
少年は次の日、朝起きるとすぐにツバメの雛を覗きこみます。
「良かった。生きているや。」
少年はほっとしました。今日は土曜日でお休みです。一日中雛と一緒に過ごせます。
「お前も名前がないとな。つばごんにしよう。今日からつばごんだ。」
ツバメの雛は『つばごん』と名付けられました。名前がついて嬉しいのかつばごんは口を開けてピーピーと鳴きました。つばごんは名前がついて嬉しかったのではありません。餌をねだっているのでした。
昨日、無理やり餌を食べさせられて、餌をくれるということが分かって安心したのです。今日は自ら口を開けておねだりです。
「お、餌が欲しいのか? よし、待っていろよ。」
少年は昆虫網と虫かごを買い、振りまわします。まだつばごんは小さいのでハエを集めます。家の近くの公園で十匹のハエを捕まえました。
その日、少年は大忙しです。餌をくれとねだるようになったつばごんは「ぴーぴー」鳴いて餌をねだります。十匹のハエを食べても、少し経つとまたねだります。そして餌さがしです。
でも少年は嬉しかったのです。小さな命が自分の手で守られていると感じていたのですから。
一か月もするとつばごんは大きくなりました。羽も生え揃い、羽ばたくそぶりを見せます。大きくなると餌はハエでは小さすぎるようになりました。今度はバッタを捕まえに少年は空き地で網を振りまわしました。このころには少年は虫とり名人になっていました。
つばごんのお気に入りの場所があるんです。それは少年の右肩です。少年が家にいる時は肩にとまって傍を離れようとしません。少年もそんなつばごんが可愛くて仕方がないのです。手の平に乗せて頭をそっとなでてやるとつばごんは気持ちよさそうに目を閉じます。時には眠ってしまう事も。
つばごんが飛べるようになると少年の後をついて行くようになりました。学校へ行く時も、買い物に行く時もどこへでも付いて行きます。学校の先生ははじめは追い出すように少年に言いました。でも教室の窓から外に出しても、ベランダの柵から少年をじっと見て動こうとしません。クラスの生徒達の人気者になりました。
雨の日、生徒の一人が先生に言います。
「先生。つばごんはクラスメートです。中に入れてあげてください。」
他の生徒達も口々に訴えました。先生もつばごんの愛らしさに参っていましたから、すぐに認めて、つばごんはクラスの一員になりました。
つばごんを知っている人はつばごんを見分ける事が出来ます。それは止まる時に右の翼をちょっと開いているからです。この癖はきっと少年の右肩にとまることが多いからバランスを取るために翼を開いていたのでしょう。それが癖になったのでした。
餌さがしもつばごんが自分で探して食べるようになったので、少年の役目は終わりました。
野鳥を人間の都合で買う事はいけないことです。少年は寂しいですが、つばごんの巣を玄関の外に出しました。きっと仲間の所に帰って行くんだろうなと思ったのです。
でもつばごんは少年の傍を離れません。少年も泣く泣く家の外へ締め出しますが、外からピーピーとつばごんが鳴きます。「入れてよー、入れてよー」と少年には聞こえます。あまりに可哀そうでついつい少年は家に入れてしまうのでした。そして少年の部屋の窓にはつばごん専用の扉が付けられました。つばごんが自分で開けられる扉です。つばごんはいつも幸せそうに少年の枕元で寝るのでした。
季節は秋になりました。ツバメが日本を離れる時期です。少年は悩んでいました。つばごんは大事な家族です。でもツバメであるつばごんの幸せは仲間のツバメと一緒に旅立つことなのではないかと幾晩も考えます。
気がつくと少年の近所のツバメも大分少なくなりました。旅立って行っているのでしょう。少年は心を鬼にしてつばごんを大空へ放ります。つばごんは近くの電線に止まり首を傾げて少年を見ます。少年は泣きながら家へ走って帰りました。つばごんの扉も開かないようにしました。
その夜、少年の部屋の窓は一晩中「こつこつっ」と音がしていました。つばごんが家にに入れてくれとくちばしでつついていたに違いありません。少年は「ごめんよ。ごめんよ。」と言いながら布団をかぶって泣きました。
昼間も少年は家を出るときはつばごんが肩に止まらないように走って移動しました。あのクラスの中にも入れませんでした。もちろん家の中にも。
そんな事が三日続きました。そして周りにツバメの姿がいなくなった時、一緒につばごんの姿も消えたのです。
「つばごん。幸せになれるといいな。」
少年は遠くの見える丘の上に立ち夕日を眺めて呟きました。
きっとつばごんは仲間と一緒に旅立っていったのでしょう。少年の愛を受けて育ったつばごんはきっと優しいツバメになったでしょう。
「あれから一年か。もうこの季節なんだなあ。」
あれから秋が来て、冬が来て、春が来て、つばごんと出会った季節になりました。少年はツバメが飛んでいるのを見てつばごんを思い出しました。
「つばごんは僕の事を忘れちゃってるよなあ。でも僕はずっと覚えているからね、つばごん。」
少年のツバメを見る目はとても優しいものでした。
少年は受験生になりました。いつも家にいる時は勉強しています。その日も学校から帰ると机に向かっていました。
「こつこつっ」
窓から音がします。少年は目を輝かせて立ち上がると窓の外を見ました。
そこには右の翼を少し広げてとまる一羽のツバメがこちらを見ていました。
「つばごん! 帰って来たのか? 覚えていてくれたのか? 」
少年は窓を開けてツバメに叫んでいました。ツバメはすぐに少年の部屋に入り少年の肩に止まったのでした。ツバメはつばごんでした。
つばごんは一羽のツバメを連れてきていました。きっとお嫁さんでしょう。
その夏から少年の家は賑やかになりました。なんと少年の部屋の中に巣を作り子供を育てたのです。つばごんの子供達? もちろん少年と友達になりましたよ。
毎年、少年の家はツバメがやってきます。近所の人は少年の家を「つばごんの家」と呼んでいます。




